「ルームメイト」75点(100点満点中)
監督:古澤健 出演:北川景子 深田恭子

原作読者は騙される

ミステリの映画化は難しい。原作読者にはオチが割れているし、小説という形態独特のトリック、たとえば叙述トリックがメインの場合は映像化それ自体が困難である。それらの障害を乗り越え、原作読者をもうならせる映画にするにはどうするか。

北川景子と深田恭子の初共演作「ルームメイト」は、その命題にきわめて斬新なやり方で一つの回答をたたきだした、大胆きわまり無い一本である。

交通事故で入院した春海(北川景子)は、非正規社員という不安定な立場で退院後の不安を感じてる。そんな折、親切にされた看護師の麗子(深田恭子)と仲良くなり、彼女とルームシェアをすることになる。不自由な生活を支えてくれる麗子に心から感謝していた春海だが、時折別人のような態度をとる彼女に、やがてぬぐい難い違和感を感じ始める。

完成された傑作ミステリのストーリーや設定をいじくるのは勇気がいることである。ヒッチコックのような大御所監督ならともかく、現実には作家の方が大物、なんて場合も少なくないから余計にそうなる。

そんな中、古澤健監督は勇気ある決断をした。映画版「ルームメイト」は今邑彩の原作とはあらゆる点で大きく異なるが、それはすべて作品の完成度を高めるための必然であることが見ればわかる。

思えば、観客として違和感を感じた点は多々あった。たとえば原作では、ルームメイトはのっけから失踪しているが映画版では失踪設定そのものが消え去っているので、二人とも出ずっぱりである。これなど、物語の大前提をひっくり返す設定変更といえる。

なぜなら、おそらく小説版は「相手が失踪したからこそ、気になって行方を追う」ストーリーだからこそ、主人公も読者も、失踪者の人生にのめりこめると計算して仕組んであるからだ。

誰だってルームメイトが突然いなくなったら探す。その課程で予想もしなかった異常性を思わせる事柄を見つけたら、よりその調査にのめりこむ。そうしてルームメイトの抱える闇、深みへと吸い込まれる。これなら「素人が探偵を始める」展開にも納得がいくだろう。

だが映画版のように、当のご本人が同じ屋根の下にいながら徐々に異常性を見せていく展開では、主人公が彼女にこだわる必然性がなにもない。普通の人間ならば、好奇心より恐怖心が先行し、さっさとルームシェアを解消して自分が失踪したくなるはずである。

なのにこの映画の北川景子はそれをしない。これは明らかに不自然。観客としてもしらけてくる。意地悪な人なら、フカキョンとのダブル主演にこだわるあまりの、ご都合主義だねとニヒルに笑みを浮かべるかもしれない。

彼女がシェア相手のことを調べてくれないと話が先に進まないのだから仕方ないわけだが、こういう不自然を避けるためにわざわざ原作は「失踪設定」を取り入れたのである。そこを変更するとは何事か。

──と私も思っていた。ほかにも映像派を気取っているのか、病院やアリアドネのセットなど、ずいぶん凝りまくってスカしてやがるなとイラついてさえいた。ホラー風味の演出も単なる過剰な味付けだろうと決めつけていた。

なにしろこれまで日本映画は幾多の傑作ミステリを台無しにしてきた駄作製造業という意識がこちらにはある。私のように感じるのは、無理もないとここで自己弁護する。

ところがその結果、本映画のメイントリックを完全に見過ごすという結果に終わった。正確には、その手は何度も考慮したのだが、今邑彩の原作の鮮烈な印象が邪魔してそちらへの考察を無視してしまった。

先述したように、過去の駄作ミステリ映画の存在すらも、あえてそれらに似せることで目くらましとして利用されていた気がする。もしそうならば、なんてしたたかな監督であろう。終わってみれば、実にフェアで、きっちりと伏線も張り巡らせた、正真正銘のミステリ映画の佳作であった。

ネタバレになるとよろしくないので、不十分とは思いつつも本記事はこのあたりで終わりとする。

二人の人気女優を全面にだしたプロモーションからお手軽なお気軽2時間サスペンスだと思っているミステリファンがいたら、ぜひそのなめた態度のままご鑑賞いただきたい。きっと、満足していただけるはずである。



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