「許されざる者」40点(100点満点中)
Unforgiven 2013年9月13日(金) 全国ロードショー 2013年/日本/カラー/135分/配給:ワーナー・ブラザース映画
監督・アダプテーション脚本:李相日 キャスト:渡辺 謙 柄本明 柳楽優弥 忽那汐里 小池栄子 佐藤浩市
リメイクする必然性はどうか
リメイクはオリジナルをリスペクトしすぎると失敗しやすいというのが私の持論だが、日本版「許されざる者」にもそんな傾向が感じられる。李相日監督長年のオリジナルへの慕情は、硫黄島シリーズでクリント・イーストウッドの信頼を勝ち得た渡辺謙の協力を得たことでこうして形になったものの、その出来はどこか中途半端である。
1880年の北海道。幕末の戦いで大活躍をして「人斬り十兵衛」と恐れられた釜田十兵衛(渡辺謙)も、一敗地にまみれた今は二人の幼い子供とつつましく暮らしていた。ある日、そこに現れたかつての仲間、金吾(柄本明)は、一攫千金の賞金首の話を持ちかけてくる。
わざわざ別の国の優良コンテンツをリメイクしたいというからには、本来「俺ならもっとうまくやる」とか、「こんないいネタを日本でやればさらによくなる」「やる価値がある」との野心があってしかるべきである。
それはむしろ原版ラブではなく下克上という感覚に近いが、そのくらいの気概がなくてはオリジナルを越えることなどできやしない。だからこそ、冒頭に書いたように私は考えている。
この「許されざる者」は、一見イーストウッド版とうりふたつ。舞台が日本に移っただけで時代もおなじ。ストーリーも細部もそっくり仕上げと言ってよい。
この件について私がインタビューしたとき渡辺謙は、「リメイクでなく自分たちのオリジナルを作る気持ちでやった、それができる自信もあったと」語ってくれた。実際彼が演じる主人公は、イーストウッドが演じたそれとはまったく異なる印象で、それなりの迫力を感じさせた。だが一方で、監督はどう思っていたのだろうとの疑問も生まれた。
むろん、彼なりの許されざる者を描きたい気持ちはあったはずだ。たとえば二人の旅に同行する「虚勢を張る若者」は、アイヌとのハーフとの設定がなされた。そして、逆賊として不遇に甘んじる主人公と金吾。彼らに頼るよりほか自分たちの尊厳を取り戻すことのできない女郎たちとあわせ「弱き者たちのドラマ」にしたこともその一環だったろう。
だがそうしたキャラクターたちが、原版の完全コピーというべきストーリーを演じてなにが伝わるのかというと、いまいちぴんとこないのも確か。
そもそもオリジナルが評価されたのは、マカロニウェスタンで世に出たイーストウッドが、自身の手でその様式美を破壊したことに大きな要因がある。そのどちらかが欠けても、ここまで評価はされていない。西部劇ジャンルにおいて、誰もが正しいと疑いもしなかった事・人物が「許されざる者」といわれたからこその衝撃というわけだ。
この日本版にはそのどちらもないのだから、よほどの代替アイデアがないと勝負にならない。舞台を変えたら面白くなるというタイプの素材では、もともとない。
むしろ日本に置き換えると、荒唐無稽な設定ばかりが目立つ結果となっている。こっそり藤枝梅安に依頼するならともかく、客商売たる女郎たちがおおっぴらに復讐代行者を探しているというのはいかにも不自然だし、そもそも言霊の国でそんな血の汚れを丸だしにして営業できるものなのか。経営者はなぜ何もいわないのかと疑問ばかりが頭に浮かぶ。物語の根幹であるからして、ここは一工夫が必要だったのではないか。
北海道ロケは厳しい環境で、その甲斐あって映像はどれも美しい。渡辺謙が「銃よりも痛みを感じる」と胸を張った、日本版ならではのソードアクション=クライマックスの戦いなどは、新味もあるし見事なものだが、さらなる「日本らしさ」がほしいところだ。