『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』50点(100点満点中)
2010年10月2日(土)より全国ロードショー 2010/アメリカンビスタ/ドルビーSR/127分 配給:クロックワークス
監督・脚本:石井隆 撮影:柳田裕男、寺田緑郎 美術:山崎輝 出演:竹中直人 佐藤寛子 井上晴美 大竹しのぶ
≪佐藤寛子の脱ぎ度は文句なし満点≫
女性の過去を知ることで、愛が深まるパターンは多い。その過去が意外で凄惨なほど、愛も深まる。相手の抱える闇が深いほどに、そこから引っ張り出してやりたい、救いたいと思うのが男の常。そんな自分の英雄性に酔っているのか、相手への優越感なのかはわからないが、そういうものを「純愛」と呼ぶことが、言い知れぬ心地よさを生み出すことは確かである。
そして男と女の悲しいすれ違いはこの時点から始まる。「純愛」に酔いしれ、すべてを捨てて女に尽くそうと思った頃、女はそんな男をウザいと感じ始める。これを喜劇とするか、悲劇にするかは描く映画監督次第である。
いったい何が言いたいのかというと、「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」の主演、佐藤寛子のオッパイは最高だよということだ。
さびれたバーを営む母と二人の姉妹。彼女たちには誰にも言えない恐るべき秘密があった。妹れん(佐藤寛子)は、そんな秘密を胸に、代行屋の紅次郎こと村木(竹中直人)を訪ねる。父親の散骨時に誤ってなくしたロレックスを探してほしいとの依頼に、なんともいえぬ不信感を感じた村木だったが、悪くない報酬もあって引き受ける。だが彼は、この時すでにれんの純真な魅力に絡め捕られていたのかもしれない……。
男は女の意外性に惚れる。茶髪でギャルっぽい外見の女の子が実は苦労人で、中身は一途なタイプだった──そんなギャップにしてやられる。この映画の主人公が、何かおかしいと思いながらも、あるいはとんでもない女の正体を知ってからも、うち捨てることができないその心情は痛いほどにわかる。たとえ演じる佐藤寛子のおっぱいがFカップでなかったとしても、それは同じだろう。
同じ石井隆監督作品「ヌードの夜」(93年)の続編となる本作で、同じ役柄を演じる竹中直人が、この村木というキャラクターを再演することを熱望したというのなんとなくわかる。道を外れた者ならではの優しさ、魅力が村木にはある。竹中直人の持つ魅力にもそれは通じる。そしてこのセンチメンタリズムこそが、ハードボイルドの肝という気が私はするのである。
石井監督らしい映像美は健在で、ネオン管だらけの紅次郎の事務所など、非現実的なのだがどこか引き込まれる。そこで繰り広げられる竹中&佐藤の濡れ場も美しい。
濡れ場といえば、この映画における佐藤寛子の脱ぎっぷりは年間ベストクラスといっても過言ではない。かつて私が某所で実際に彼女とすれ違った際、背は低いし痩せているのにずいぶんと凹凸のある女の子だなあと思ったものだ。要するに、服を着ていても明らかに一般の女の子とは違う何かがあったわけだが、今回その中身を見てさらに驚かされた。
あばらが浮くほどに無駄のない体幹部、その上に鎮座する巨大かつ整った乳房、バランスのいいサイズの乳輪、よく整えられたアンダーヘアに長い脚と、思わず日刊ゲンダイ風に詳細を書き連ねたくなるほどの整ったプロポーションなのだ。これならCG補正などまったくいらない。完璧である。柔軟性が高いので、腰を大きくそらした濡れ場が実に美しく見える。
まだ25歳の彼女は外見もまったく衰えておらず、グラビア時代と何も違わない。唯一違うのは水着を着ていないだけという、全男感涙の状況となっている。
映画自体は、前半の緊迫感が中盤以降失われてしまい、短所であるご都合主義ばかりが目立つようになるものの、それを埋め合わせるように彼女のパーフェクトおっぱいが乱発される。性器の中以外は全部見られるサービスぶり。そのインパクトに、さすがの石井隆カラーも飲み込まれてしまうほどになっている。