繊と維
(最後に凄そうなタイトルがついちゃったけどどうすんだこれ。)
情報、価値、差異、変化、エンコード、デコード、意図、情報空間、生物、生きる事
例えば星の並びという配列から自分で勝手に作った星座という情報を読み取る場合、実はエンコーダー俺とデコーダー俺が存在するわけで、意識的にはデコーダー俺しか見当たらないとしても、無意識下にエンコーダー俺がいるのである。
同じように(?)エンコーダーAさんの書いた文章を読むデコーダーBさんが、「なるほどAさんはこういう事が言いたいのか。」と読み取る場合はどうか?
デコーダーBさんはただ文章を「読み取った」だけであるように思えるが、実は「エンコーダーAさん」をデコーダーBさんの中に作り出し、一度「仮想A」さんとしてエンコード処理をすることで、この文章を書くにあたってどういう意図(目的)があるのだろう?という事を読み取っているのではないだろうか。
この「仮想A」さんを創り出すにあたって、自分にとって不都合な処理が発生すると、「仮想Aさんの想定と、文章の意味を読み取る精度に問題が出るのかもしれない。
例えば、権威主義的な父親に「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ!いう事を聞け!」というような怒られ方などをして育った人が、上から目線のアドバイスに耳を傾けられない等があるかもしれない。(この場合父親がロールモデルとなり、権威主義的を憎みながら、権威主義的な生き方をしてしまうという悲劇が起こりうるのではないだろうか?)
要するに、太宰治「人間失格」の「世間というのは、君じゃないか」という話になるのかな?
エンコーダーAの中にある「仮想エンコーダー世間」は「許さない」と言っているから、お前の行いは許されないぞ。(エンコーダーAとしては世間さえ許せばヤりたい。ので個人としては咎めない)
ということなのではないだろうか?この部分しか知らないからよくわからんけども。
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