サンワーキン川, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3350694 / CC BY SA 3.0
#カリフォルニア州の河川
#セントラル・バレー_(カリフォルニア)
#アメリカ合衆国の野生生物保護区
#アメリカ合衆国のラムサール条約登録地
サンワーキン川(サンワーキンがわ、英: San Joaquin River[ˈsæn wɑːˈkiːn]、日本語では「サンホアキン」とも表記されるが現地の発音は「サンワーキン」のほうが近い)はアメリカ合衆国カリフォルニア州を流れる、中部カリフォルニアで最も長い川である。
589㎞の長さを誇る川はシエラネバダ山脈から始まり、サンホアキン・バレー北部の豊かな農業地帯を流れ、サスーン湾、サンフランシスコ湾を通過し太平洋に注ぐ。
灌漑の水源として重要なだけでなく、緑の回廊にもなっている。
サンワーキン川はカリフォルニア州を流れる川の中では最も多くのダムがあり、また流路変更も幾度となく行われた。
サンホアキン・バレーには8,000年以上前から人々が住み着いており、先コロンブス期のカリフォルニアでは長きにわたって人口が集中していた場所の一つであった。
18世紀後半から、主にスペイン人とアメリカ人の多くの探検家、次いで開拓者がサンワーキン川流域に押し寄せ、先住民を搾取、排斥した。
新たにやってきた人々は流域の豊かな天然資源・水資源を占有し、農場や都市で利用したが、彼らは洪水や干ばつに悩まされた。
サンホアキン・バレーは平坦な地形をしているために、いったん洪水が起こると下流部は広大な内海と化す。
20世紀、多くの堤防、ダムがサンワーキン川やその支流に建設された。
これらの土木工事は川の不安定な環境を変え、トゥーレアリ湖はサンワーキン川流域から切り離された。
かつては数百から数千のサーモンが産卵し、数百万羽の渡り鳥もやって来たが、川から大量の水を水路や運河に供給したことにより、水量は20世紀から劇的に減少してしまった。
サンワーキン川は様々な名前で呼ばれてきた。
現在の名前で呼ばれるようになったのは1805年~1808年に遡る。
当時、スペイン人の探検家ガブリエル・モラガがミッション・サンノゼの東方で伝道所を作ることができる場所を探していた。
モラガは川の支流(どの支流かは不明)をアンナの夫でマリアの父である聖ヨアキムからとって名付けた。
モラガ選んだこの名前は、1810年頃には川全体の名前として使われるようになった 。
1827年、ジェデッドアイア・スミスは日記に、あるインディアンのグループはこの川を「Peticutry」と呼んだ、と記した。
これはアメリカ地質調査所や地名情報システムでは公式な異名として挙げられている。
モノ語では「typici h huu’」と呼ばれ、「重要な、または偉大な川」という意味である。
サンワーキン川下流の初期の名前はリオ・デ・サンフランシスコであった。
この名前はスペイン軍人のペドロ・ファヘスが率いた探検隊に同行していたフアン・クレスピ神父が、サクラメント・サンワーキン・デルタの南から流れてくる川に名付けた。
彼は見晴らしのよい場所から川を眺めたが、それは現在のサンフランシスコの背後にある丘の上だった。
リオ・サン・ファン・バウティスタも初期の別名であるが、その由来は分かっていない。
川の源流はアンセル・アダムス原野である。
シエラネバダ山脈中部~南部で3本の大きな支流が合流する。
中支流(Middle Fork)は標高約3,000mのサウザンドアイランド湖から流れ出る。
北支流(North Fork)はライエル山の2.9㎞南が源流である。
南支流(South Fork)はキングズ・キャニオン国立公園内のフローレンス湖、マーサ湖から流れる。
普通は中支流が本流の一部だと考えられる。
サンワーキン川が山がちな源流部から標高の低い丘陵部を流れる間に、4つの水力発電のためのダムがある。
川が丘陵部から平地に出るあたり、かつてミラートンの町があった場所には1942年にフライアントダムが完成し、ミラートン湖を形成している。
フライアントダムより下流では、サンワーキン川はセントラルバレーの南部を占めるサンホアキン・バレーを南西から西に流れ、フレズノの北を通過する。
この辺りからメンドータ市までの97㎞は川の水の大半が水路に回されるために、しばしば水無川となる。
。
メンドータ市付近ではデルタ・メンドータ運河やフレズノ沼地からの水によって川が満たされる。
サンワーキン川はメンドータ市から下流では北西に流路をとり、多くの天然、または人工の水路を通過していく。
ドスパロス市の北東でフレズノ川、チャウチ…
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