がんで亡くなった母親との約束を守り、みそ汁を作る5歳の女の子は、『はなちゃんのみそ汁』の主人公・安武はなさんです。母親がこの世を去って14年、互いに支えあい成長してきた父・信吾さんとの二人三脚の歩みはいま、最終章を迎えています。
長崎県佐世保市で地元の市民グループが開いた『かつお節削り』のワークショップに、15組の親子が参加しました。
講師を務めたのは安武信吾さん(59)と、ひとり娘のはなさん(19)です。安武さんは映画や絵本にもなった『はなちゃんのみそ汁』の原作者、はなさんはその主人公です。
■安武はなさん(19)
「かつお節は頭を取って、三枚おろしにします。」
安武さん親子が伝えるのは、妻、そして母である千恵さんから教わったみそ汁の基本となるダシ作りです。
2008年にがんで亡くなった千恵さんは、残された命が短いことを自覚し、『一人で生きていく力』をと、亡くなる1年ほど前からはなさんにみそ汁作りを教えました。
千恵さんが亡くなった当時、はなさんは5歳でした。母の遺志を受け継いでみそ汁づくりを続ける姿を『はなちゃんのみそ汁』として、多くのメディアが紹介しました。
あれから14年、“はなちゃん”は大学生に成長しました。
■安武はなさん
「(食育は)自分の興味のある勉強なので、意欲もすごくあるし、学びたいと思うし、挑戦したいと思うことが、増えてきました。」
千恵さんがよく口にしたのは、「台所から社会を変える」という言葉です。はなさんはその思いを受け継ぎ、大学で食品開発などを学んでいます。
■父・信吾さん(59)
「心はずいぶん成長したなという気がする。しっかりと僕の話し相手にもなってくれるし、パートナーみたいなもの。相棒みたいなもの。」
ワークショップ参加者との座談会では、これまでの親子の歩みを振りかえりました。
■父・信吾さん
「(妻の)四十九日が終わった後、娘がみそ汁を作ってくれて、その1年前から妻が台所に立たせて、みそ汁作りを教えていた。みそ汁作ると、僕が笑った。元気になって、笑った僕の姿を見て、みそ汁を作ればパパが笑ってくれると思った。」
これは、当時7歳のはなちゃんに最初にした質問です。
■安武はなさん(当時7歳)
「(Q.みそ汁作りをしていて、一番うれしいことは?)パパが笑ってくれるから。」
■安武はなさん
「私の中では小さい頃からずっとやっている当たり前のことという感覚。小さいときから(父と)食関係の仕事をしている人に、結構会っていて、食に携わる仕事ってすごくかっこいいと思った。」
■安武はなさん
「小学校6年生の時に大学を先に決めた。高校より大学を決めて。」
母の姿は見えなくても、食卓はこれまで親子3人をつないできました。
■安武はなさん
「はなの心の中にはママがいる。だから、はなはいつでもママと感じ合うことができる。ありがとう、ママ。」
会場の参加者から、こんな質問も飛び出しました。
■参加者
「お味噌汁をずっと作ってきて、もう作りたくないと思ったことは?」
■安武はなさん
「めちゃめちゃありました。中学生・高校生の時は反抗期もあって、キッチンに立つのが嫌でまったくしないときがあった。」
中学から高校にかけ2年続いた反抗期は、いま振り返っても、何に反発していたのか、本人にも分からないといいます。
■安武はなさん
「うーん、それを話すのも嫌なくらい嫌な自分だった。(あの時は)顔も見たくないし、話しかけてほしくないし、しゃべりたくないってずっと思っていました。」
信吾さんはいま、はなさんのために毎日、続けていることがあります。
■父・信吾さん
「まだまだ(妻・千恵のことを)伝え切れていないなという気がしていたものですから。」
信吾さんは、千恵さんが残したブログの言葉をはなさんに伝えたいという思いで『はなちゃんのみそ汁・番外編』を開設しました。
■父・信吾さん
「妻が書いたブログを、はなは読めないでいた。あと1年で就職活動始めるし、一緒に過ごす時間ってそんなに長くは残されていないなと思って。いろいろと妻が考えていたこととか、僕たちの価値観をしっかりと伝えていきたいなと。」
10年前に家族3人の名前で出版した『はなちゃんのみそ汁』にあったブログの一文、「本当に命がけで産んでよかったとあらためて感じております。ムスメの卒園式までムスメの卒業式までムスメの成人式までムスメの結婚式までムスメのこどもが産まれてくるまで」という一文に、当時9歳のはなさんは、心を締め付けられました。
■安武はなさん
「読めなかったです。それを読んだときに、何もできていないと思って。そこから読むのが苦しくなって、読めなかった記憶があります。」
その頃から、はなさんは、ある思いを抱いてきました。
■安武はなさん
「わたしは小さい頃に一回、お父さんに『どうしてお母さんははなを産んだのだろう』と聞いたことがあって。自分が死んじゃうかも知れないのにどうして、はなを産んでくれたんだろうって疑問に思っていて。」
そうした疑問の答えになったのも、母・千恵さんが遺したブログの言葉でした。ブログには「ムスメがいなかったら、正直ここまでも、これからも、頑張っていけたかどうか、わからない。ムスメに出会えたことは、わたしがこの世にいたという証だ。自分より、大事な存在に出逢えたことは、私の人生の宝。サポーターの力は最強。私の人生の目的は、これだったのかな。」と綴られていました。
親子はいまも、そしてこれからも、食卓でつながります。
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