2月5日に投開票された北九州市長選。
新人の武内和久氏(51)が与野党からの推薦を受けた現職の後継候補を破り、初当選を果たしました。
激戦の舞台裏を取材しました。
5日に投開票された北九州市長選で初当選を果たした無所属・新人の武内和久氏。
主要政党からの推薦を取り付けた津森洋介氏との大接戦を約1万4000票差で制し、
支援者に喜びを爆発させた一方で、自身の過去を振り返りました。
◆武内和久氏
「私は4年前の県知事選挙で一敗地にまみれ、1度死んだ人間です。そこに私に立ちあがる勇気をくださったのが、北九州市民のみなさんでした」
武内氏が福岡の政界に現れたのは4年前。
麻生太郎氏からの支援もあり、自民党の推薦を取り付け、福岡県知事選に臨みましたが、現職に大差をつけられ敗北。
4年間のブランクを経て、再起をかける場所に選んだのは北九州市でした。
◆武内和久氏(去年8月、出馬会見)
「ビジネスの経験を活かして、北九州を稼げる街にする」
今回は政党の支援を受けず、市民一人一人に地道に語りかける、まさに「草の根選挙」のスタートでした。
当時は、有力候補と見なされていなかった武内氏。
しかし、与野党からの推薦を得た巨大組織に競り勝ったその裏には、最初から最後まで一枚岩になれなかった自民党内の確執がありました。
◆北橋市長(去年8月)
「いい方を擁立して、党派を超えて皆で応援していこうという体制が固まって、ご本人が受けるという段階になれば、自分も市政の発展のために努力をしようと思っています」
4期16年にわたって市政の舵取りを担ってきた北橋市長は去年8月、市議会の主要会派が一致して候補を擁立すれば「5選不出馬」と示唆。
しかし、自民党市議団は会派が2つに割れていることもあり、候補を決め切ることができませんでした。
そんな中、武内氏は毎朝の辻立ちをはじめとする独自の「草の根選挙」を展開。
そうした状況に焦りを感じたのか、去年9月、選挙まで半年を切るなか、会派内の異論を抑えて、幹部が国交省官僚の津森氏を後任候補に内定。
まだ出馬の意思を固め切れていなかった津森氏に対し、半ば強引なかたちで出馬を要請しました。
候補者探しに決着がついたと思われた矢先、去年10月、北九州市出身で議長経験もある県議・中尾正幸氏も出馬の意向を表明。
自民党県議の一部も支持を表明するなど、県議団と市議団の溝は深まりましたが、幾度に及ぶ交渉の末、中尾氏が立候補を断念したことで「保守分裂」は回避したかと思われていました。
しかし…
◆北九州市議会 三原朝利 議員(去年12月)
「(問題山積の)現市政を継承しようという考えに全く賛同できないから」
去年12月、北橋市政に異を唱える自民系市議2人らが新会派を結成し、武内氏を支援することを表明。
事実上の「保守分裂」選挙の構図が決定的となりました。
<大家参院議員の政経フォーラム(去年12月)>
◆司会
「麻生先生より急遽、東京に戻らなくてはならない事情があり、出席が叶わなくなった」
2019年の知事選で武内氏を支援したことなどから、津森氏擁立に内心では納得していなかったのは麻生副総裁。
大家参院議員の政経フォーラムを突如欠席し、自民党が一枚岩になっていないことが鮮明になりました。
◆武内和久氏(今年1月)
「候補者はすべてをさらけ出して、すべて本音で喋るというのが大事なことだと思います」
地道な「草の根選挙」で着々と支援者の輪を拡げていった武内氏。
陣営には若者たちも参加し、SNSを駆使して「空中戦」も強化し、若年層への浸透が着々と進んでいました。
一方、候補者選びを巡る内輪もめなどで立候補が出遅れた津森氏。
出馬を正式に表明したのは、武内氏の立候補から3カ月たった11月でした。
◆津森洋介氏(去年11月、出馬会見)
「オール北九州力で、ワクワクするような活気あふれる暮らし、満足度日本一の北九州市を目指してまいります」
武内氏が「草の根選挙」を展開するのとは対象的に、与野党の推薦を取り付けた津森氏は、組織・団体を優先して、遅れを取り戻すかのように分刻みでの遊説を展開。
その結果、学生やマスコミが主催する討論会をことごとく早退・欠席することとなり、有権者の目には、市民軽視、討論を逃げた候補者と映った可能性があります。
<武内和久氏の演説会>
◆記者リポート(2月4日)
「街頭演説というよりも、うちわやペンライトが使用されるなど、コンサート会場のようです」
<津森洋介氏の演説会>
◆記者リポート(2月4日)
「支援団体の旗が大量に並んでいます」
選挙活動が許される最後の日となった4日、両陣営とも小倉駅前で街頭演説を行い、選挙活動を終えました。
◆津森洋介氏(5日)
「こういう結果になりましたこと、私の力不足でございます。改めてお詫び申し上げます。申し訳ございません」
◆北橋市長(5日)
「凜々しい侍の気持ちに応えることができなかった。本当に津森さんには申し訳ないことをしました」
武内氏が1万4000票差の大接戦を制し、津森氏が訴える「北橋市政の継承」に有権者がNOを突きつけた形となりました。
◆武内和久氏(5日)
「北九州市が動きました。奇跡を起こす力というのは、市民の皆様のおひとりおひとりの中にあるんだと。この力をしっかりと結集すれば、もう一度北九州市が元気になっていける。これを実感しました」
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