日本の活動家はアホばかりだから誰が死んでもこんな風には扱われない 公民権運動の象徴ジョンルイスの遺体が黒人の投票権を求めて行進した歴史的なポイントであるエドモンドペタス橋を渡る2020年7月26日

1960年代にアフリカ系アメリカ人の人権確立のために闘った公民権運動の闘士、ジョン・ルイス下院議員が17日、膵臓(すいぞう)がんのために亡くなった。80歳だった。
ルイス議員は、マーティン・ルーサー・キング牧師たちと共に、米公民権運動で指導的な役割を果たした。雇用と自由を求めた1963年の歴史的なワシントン大行進でも、取りまとめに尽力した。
1986年に民主党から南部ジョージア州選出の連邦下院議員に初当選して以来、17期連続で州都アトランタを含む地域を代表した。
昨年12月には、ステージ4の膵臓がんの診断を受けたと公表。「自分は生まれてこの方ほとんど常に、何かしら闘っていた。自由のため、平等のため、基本的人権のため。そして今、これほどのものは初めてだという闘いに直面している」と当時、コメントしていた。
公民権運動では、学生非暴力調整委員会(SNCC)の創設に関わり、1963年から1966年まで委員長を務めた。
キング牧師が歴史的な「私には夢がある」演説をしたワシントン大行進の主催にも関わり、「アメリカよ、目を覚ませ」と演説した。ルイス議員の死去に伴い、ワシントン大行進で演説した公民権運動指導者は全員が故人となった。
ルイス議員と同じ日には、同じく公民権運動指導者だったC・T・ヴィヴィアン牧師も95歳で亡くなった。ヴィヴィアン氏はルイス議員やキング牧師と親しく、人種隔離バスの運行に抗議する「フリーダム・ライド」運動の組織に関わり、後に南部キリスト教指導者会議(SCLC)の代表になった。
John Lewis speaking at the March on Washington
画像提供, GETTY IMAGES
画像説明,
1963年のワシントン大行進で演説するルイス議員
民主党幹部のナンシー・ペロシ下院議長は、ウェブサイトとソーシャルメディアで、ルイス議員の死去について声明を出した。
ペロシ議長はルイス議員について、「公民権運動の巨人で、その善良な人柄、信念と勇気がこの国を様変わりさせた」と称えた。さらに下院議員としては、「連邦議会の与野党を問わず、上下両院で敬愛されていた」としのんだ。
「ジョン・ルイスは人生の一日一日をかけて、すべての人に自由と正義をもたらそうと取り組んだ」、「57年前のワシントン大行進で、リンカーン記念堂の前に立って宣言したように、『私たちの頭も魂も心も、全ての人に自由と正義が実現するまで、安穏とするわけにはいかない』のです」と、議長は書いた。
「がんと闘った最後の日々でさえ、ジョンは力を振り絞り、若いアメリカ人が街にあふれ出て繰り広げた平和的抗議を訪れていた。あらゆる人種に正義をもたらすための、未完の闘いを継承する若者たちを訪問していた。なんて彼らしいことだろう」
ルイス下院議員の訃報を受けて、人権団体の全米黒人地位向上協会(NAACP)は「非常に悲しい」とツイートした。
「正義と平等と自由を求めた終生の取り組みは、この国と世界に消えない影響をもたらした」と、NAACPはルイス議員をたたえ、遺族に哀悼の意を示した。
バラク・オバマ前大統領は声明で、ルイス議員とはオンラインのバーチャル・タウンホールで話をしたばかりだったと振り返った。黒人男性ジョージ・フロイド氏が白人警官に暴行され死亡した事件を機に開かれた集会で、ルイス議員は若い活動家たちの取り組みを称えていたという。
「新世代が自由と平等のために立ち上がっている」ことをルイス議員は喜んでいたと、オバマ氏は書いた。
「自分の残した業績がこれほど有意義な素晴らしい形で、次世代に受け継がれるのを、生きている間に目にできる人はそうはいない。ジョン・ルイスはそれができた」とオバマ氏は述べ、「そして彼のおかげで、私たちはこれからどうすれば良いのか、みんな承知している。指示をもらっているからだ。自分たちが愛するこの国が、その可能性を十分に実現できるようになるまで、自分たちはこの国を作り変えることができる。そう信じ続けるのだ」と呼びかけた。

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