英雄たちの選択 スペシャル「ツタンカーメン 秘宝に隠された真実」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

英雄たちの選択 スペシャル「ツタンカーメン 秘宝に隠された真実」[字]

黄金に輝く秘宝の数々から古代エジプトの王・ツタンカーメンの真実に迫る特別編!莫大な富と権力。謎多き死の真相。黄金のマスクの秘密。ツタンカーメンの神秘とロマン!

詳細情報
番組内容
今年は古代エジプト・ツタンカーメン王の墓が発見されてちょうど100年。番組では8K超高精細カメラで撮影した秘宝の数々からツタンカーメンの実像を徹底解剖!そのばく大な富と権力、意外な日常生活とは?父の改革で国が混乱する中で即位した王は、いかにして国を立て直したのか?そして多くの謎に包まれた死の真相とは?ハイテクを駆使した黄金のマスクの秘密。黄金に輝く数々の宝が物語る、ツタンカーメンの神秘とロマン!
出演者
【司会】磯田道史,杉浦友紀,【ゲスト】荒俣宏,ヤマザキマリ,河合望,酒井美紀,【語り】松重豊

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

テキストマイニング結果

ワードクラウド

キーワード出現数ベスト20

  1. ツタンカーメン
  2. エジプト
  3. ファラオ
  4. 黄金
  5. 古代エジプト
  6. アクエンアテン
  7. アンケセナーメン
  8. ミイラ
  9. 即位
  10. 当時
  11. カーター
  12. 選択
  13. 意味
  14. 歴史
  15. アイ
  16. 本当
  17. 名前
  18. 時代
  19. 心臓
  20. 発掘

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

今回の「英雄たちの選択」は
日本を飛び出し世界へ。

舞台は 古代文明を生んだ地 エジプト。

実は 今年2022年は

エジプトにとって 記念すべき年だ。

古代エジプトの王
あのツタンカーメンの墓が

1922年に発見されてから
ちょうど100年になる。

黄金のマスクをはじめとする
数々の宝の発掘は 世界中を驚かせた。

今なお 20世紀最大の考古学的発見と
いわれている。

NHKでは 4年前から
エジプト政府の特別な許可を得て

えりすぐりのツタンカーメンの宝を

8K超高精細カメラで撮影してきた。

黄金に輝くベッド。

きらびやかなジュエリーの数々。

これらの品々から見えてきたのは

王 ファラオが手にしていた
莫大な富と権力。

そして 華やかな暮らし。

更に 妻への愛情にあふれた
ツタンカーメンの素顔も。

今日は これら数々の宝を手がかりに…

今から およそ3, 000年前。

古代エジプト 第18王朝のファラオとして
即位したツタンカーメン。

当時のエジプトは
各地に巨大な神殿が建造され

繁栄を極めていた。

ところが…。

これは ツタンカーメンの父親である
アクエンアテン王の棺。

名前は削られ 顔は無残にも割れている。

実は ツタンカーメンが即位した時

王国は
父が断行した宗教改革で混乱を極め

ファラオへの反感が渦巻いていた。

こんなこと言うと
怒られちゃうかもしれないけど…

僅か10歳ごろに即位し

王国の立て直しを迫られた
ツタンカーメン。

愛用の玉座には
ツタンカーメンという名に加え

父親が名付けた
ツタンカーテンという
名が刻まれている。

この2つの名前から浮かび上がる
ツタンカーメン 苦渋の選択とは?

やっぱり…

そして訪れた突然の死。

いまだ多くの謎に包まれている
ツタンカーメン 死の真相とは?

果たして
その復活再生を阻む何者かがいたのか?

古代エジプト史上 最も知られたファラオ
ツタンカーメン。

黄金に輝く秘宝から
その隠された真実を解き明かす。

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

その時 彼らは何を考え 何に悩んで
一つの選択をしたんでしょうか。

今年は あの古代エジプトの王
ツタンカーメンの墓が発掘されて

ちょうど100年。
今 改めて ツタンカーメンに

世界が注目しているんです。

そこで今日の「英雄たちの選択」は
そのツタンカーメンを主人公に

久しぶりの世界史編で
お送りしようと思います。

ツタンカーメンといえば 磯田さん
誰もが思い浮かべる こちら。 はい。

黄金のマスクですよね。

まさか これ本物じゃないですよね。

…と言いたいところですけれど
さすがに持ってこれませんでした。

こちらはですね
スーパークローンといって

現代のエジプトの芸術家が
精巧に作ったものでございます。

はあ~ そうなんですか。

私 これ 工芸品の幕の内弁当と言うと
失礼だけど…。

幕の内弁当ですか?
なぜかっていうと

1個ずつ部品になるものが
あるんですけど

それが ものすごい 広い
遠い所から運ばれてきて

それが 全部 部品として
はめ込まれてるんで

古代のエジプトがですね
いかに広い支配力

広い範囲への支配力
持ってたかってことが分かる。

確かに よ~く見ると 本当に
石も それぞれ違いますし 精巧ですよね。

この黄金のマスクの顔
生前のツタンカーメンの顔を

写したものだといわれています。

縄文は巨木の文化で
これはこれで好きなんです。

でも最大の建造物っていうのは
まあ あれも感動的ですけど

三内丸山遺跡ね。
でも 木の文化なんで

石の文化でつくられた
エジプトと比べると

スケールは やっぱ
エジプトの方が大きくなっちゃう。

ねえ 森の時代の縄文に

都市や国家が どうやって
生まれてくるのかっていうこと。

日本と 多分 対照的なエジプト。

そこでの秘密っていうのが
今日 見えてくるから

なかなか異色な「英雄たちの選択」ですけど
楽しみですね。

では まずは
20世紀最大の考古学的発見ともいわれる

ツタンカーメン王の墓の発掘が

どのようなものだったのかを
見ていきます。

ツタンカーメンが生きたのは
今から およそ3, 000年前。

当時のエジプトは
現在のルクソールに都が置かれ

多くの神殿が築かれた。

ナイル川を挟んだ対岸
太陽が沈む西の方角は死者の町とされ

いくつもの墓が造られた。

歴代のファラオが眠っているのが
王家の谷である。

しかし 墓は造られた直後から
盗掘の的となった。

こちらは ツタンカーメンより
200年ほどあとのファラオ

ラメセス6世の墓。

全長は100メートルを超える。

その壁を彩るのは 色鮮やかなレリーフ。

墓の最も奥にあるのが
ファラオのミイラが眠る玄室。

盗掘の魔の手は ここにも及び

副葬品は全て運び去られたという。

そんな中 ツタンカーメン王の墓だけが
ほぼ未盗掘の状態で見つかった。

発見したのは
イギリス人考古学者 ハワード・カーター。

1922年11月4日。

カーターは 大量の砂と がれきで埋まった
墓の入り口を発見する。

その先には
分厚い壁が立ちはだかっていた。

その壁に刻まれた ある印に
カーターは目を留めた。

だ円形のスタンプのようなもの。

これは カルトゥーシュと呼ばれ

ファラオの名前が刻まれたサインだ。

このカルトゥーシュは

ネブ・ケペルウ・ラー。

進む先が ツタンカーメンの

墓であることを示していた。

カーターを待っていたのは…。

15畳ほどの部屋。

前室と呼ばれ
墓の中で最も大きな空間だった。

カーターが まず 目を奪われたのが
こちらの台のようなもの。

メヒト・ウェレトと呼ばれる
女神を牛の姿で表したベッドだった。

高さ およそ1.8メートル
全長 およそ2.2メートル。

ツタンカーメンの死後
儀式に使われたものだという。

前室から見つかった宝の中で
最もカーターの心を打ったのが

黄金の玉座だった。

ツタンカーメンが即位した頃に作られ

その後
ずっと愛用していたものだとされる。

描かれているのは
玉座に座るツタンカーメンと

妻のアンケセナーメン。

銀の板で 布の柔らかさと体のラインを
巧みに浮かび上がらせていた。

前室の壁の奥には 更に部屋が続いていた。

ファラオのミイラが眠る玄室である。

その中には 巨大な厨子が納められていた。

厨子を開けると
中から 一回り小さな厨子が現れた。

更に その中からも厨子が…。

まるで マトリョーシカのように
4重になっていた。

最後の厨子の中には
石棺が納められていた。

石棺の中には 人の形をした棺
人形棺が輝いていた。

こちらも 3重の構造になっていた。

一番中にあった棺が こちら 第3人形棺。

極めて純度の高い金で作られている。

厚みは3ミリほど 重さは110キロ。

精緻な彫刻が
全身に くまなく施されていた。

その顔は ツタンカーメンの生前の顔を
模しているという。

カーターが
王家の谷で発掘を開始してから10年以上。

墓を見つけてからも3年。

ついに あの宝と対面することに。

ツタンカーメンのミイラは
このマスクをかぶり

3, 000年の眠りについていた。

重さは およそ10キロ。

金をふんだんに用いている。

なぜ マスクを貴重な金で作ったのか。

実は 金という素材そのものに
重要な意味が込められていたという。

近年行われた金の化学分析から

黄金のマスクには 極めて高度な技術が
用いられていたことが判明している。

顔と頭巾で
金の成分を巧みに変えていたのだ。

地金は同じものが使われているが

顔の表面に塗られたのは
銀を12%ほど混ぜた18金

いわゆる ホワイトゴールド。

一方の頭巾は 銅が混じった23金で
薄くコーティングされていた。

顔と頭巾の金に差をつけることで

顔だけを より一層 輝かせ

浮かび上がらせる効果を
生んでいたのである。

復活再生への切なる願い。

それは こんなところからも うかがえる。

背後に刻まれた象形文字 ヒエログリフ。

これは 復活の呪文だ。

黄金のマスクは
ツタンカーメンの似姿であるとともに

ツタンカーメンが
来世で復活再生するために

欠かせないものだったのである。

うん 黄金のマスク
細部にわたって こだわり抜かれた

圧倒的な美しさでしたね。

今日も さまざまな分野の方に
お越しいただいています。

皆さん よろしくお願いいたします。
(一同)よろしくお願いいたします。

まずは 女優の酒井美紀さんです。
あの 初めてですよね。

初めてです。 よろしくお願いします。
楽しみにしてました 私たち。

あの 無類の古代エジプト好き
と聞いているんですけれど。

いや… そんなことないですけど
でも好きですね。

そうですか。 何で好きになったんですか?

仕事で初めて
エジプトに行かせてもらってから

ちょっと はまり始めたんですけど。

その時に初めて
私 この黄金のマスクを目にしまして

もう あまりの輝きに 言葉を失うって
こういうことかなっていうぐらいに

もう輝き放っていたのが
ものすごく印象に残ってるんですね。

あの 聞きましたら 5回ほど
プライベートでも…。

5回も行ったか… すごいな。
ウフフフフフ。

行き過ぎですか。
磯田さんは 行ったこと…。

行ったことないのよ 僕は。 是非。
国内だけなんだよ。 本当 羨ましいな。

(笑い声)

今日は たっぷり
その魅力も語ってください。

はい よろしくお願いします。
そして漫画家のヤマザキマリさん。

特に この黄金のマスクは
何で これほど黄金に こだわって

使っていると予想しますか?

やっぱり 当時の彼らの死に対しての

ある種の 何て言うか
恐怖心だったりとか

そういったものを乗り越えるための
技術だったのかなという。

工夫だったのかなという気がしますね。
恐怖心。

こういった すごく豪華なものによって

現世の価値観を
要するに押しつけるという
言い方おかしいんですけども

そのままの価値観を
あの世でも通じるんだって。

これがあれば
もう 怖い目には遭わないっていう。

やっぱり こういうのっていうのは
エジプトだけじゃなくて

ヒッタイトだったりとか
あと エトルリア。

エトルリアって
ローマ文明の前なんですけど

そういった人たちのお墓からも
やっぱり見える傾向なので。

エジプトの こうした やっぱり…

…っていうことを
深く考えさせられますね。

そして作家の 荒俣 宏さんです。
よろしくお願いいたします。

あの 黄金は復活再生のために
使われていたという説がありましたけど

荒俣さん自身は
どういうふうに考えますか?

割と加工しやすいんですよ
金属の中では。

そうですか。
いろんなものと混ぜられて

錬金術の
成分の一部になって

自分の体を金に直そう
とかいう発展に

ずっと つながりますから。

永遠の命をもらうぞっていうような
意気込みは確かにあった。

もう一つは 俗っぽい話ですが…。
俗っぽい はい。

ケンカせずに 相手をやっつける。
ほう~。

まあ 現在だったら マネーを見せる
とかっていうのと同じで

金をいかに持ってるかっていうのが
自分たちの力の象徴であるのと同時に

来世を約束してもらうために
いろいろなパフォーマンス力もあるし

それから願いもあるというのは
いろいろ混じってるんで。

ぜいたくなもんで
遺体を包むと 死んでも不滅だと。

再生できるっていうのは各文化にあって
黄金で包むエジプトとか

中国なんか 玉衣っていって
玉でやりますよね。

切ないんだけど 何かね
ぜいたくすれば死なないんじゃないかと

権力者が考えるっていう。
やっぱ そこに 何か

僕らが過去の人たちの心や技術を読み解く
きっかけにもなるわけですけどね。

え~ 河合 望さんです。
よろしくお願いいたします。

河合先生はですね
エジプト考古学者として

長年 発掘調査に携わっていらっしゃる
ということなんですが

このカーターの発掘については
どのように考えていらっしゃいますか。

まあ エジプト考古学っていうのは
残念ながら 始まりは

トレジャーハンティングから
始まってて。

それが
科学的な考古学に変わった頃が

ちょうど カーターがですね

エジプトに若い時に行った頃なんです。

彼は もともと
絵描きだったんですけど

だんだん
エジプトにいるうちに
考古学に興味を持って

それで 現場で
考古学の発掘のノウハウを学んで

このツタンカーメン王墓の
発掘にもですね

非常に細かい日誌だとか
実測図とかですね

たくさん残してるんですね。

そういった彼の記録によって

現在も我々は いろいろ
調べることができるんですが

まさに そういった…

過渡期に彼はいたというか。

宝探しと考古学って
どこが違うかっていうと

一番違うのは
やっぱ目的のところが違って。

宝探しって ものを狙って こう
キツネやタヌキのように

穴掘っていくわけですよね。
だけど 考古学っていうのは

あれは ものも もちろん大事なんだけど
ものとものとの関係が語ってる

その情報が欲しいわけですよね。

だから あの
埋まり方の情報も重要なわけですよね。

僕 シュリーマンって人が
昔 いたけど

シュリーマンの段階はね まだね

お宝探し 盗掘に
やや近いような気がするんですよ。

僕 高校時代 その点をね
シュリーマンの本 読んだあと

読書感想文で
徹底して悪口書いた。

そしたら高校の先生がね 怒るんですよ。
もっと深みのあること書けと。

俺 一番 深みのあること
書いたつもりなのにっていうんで。

シュリーマン段階から
カーター段階っていうのは

もう やっぱ 大きく僕は違うと思う。
全然違いますよ。

さあ ここからは
ツタンカーメンその人に迫っていきます。

まずは 古代エジプトの歴史の中で

ツタンカーメンが生きたのは
どんな時代だったのか ご覧いただきます。

古代エジプト文明。

その象徴は 巨大なピラミッド。

ギザの三大ピラミッドは

紀元前2500年ごろ
古王国時代に建造されたことで知られる。

王 ファラオが 驚くべき富と権力を
握っていたことを物語っている。

しかし
その後 徐々にファラオの権勢は衰え

紀元前1650年ごろ

西アジアからやって来た異民族に

ナイル川下流域を支配されてしまう。

エジプトを苦しめたのは 機動力に優れた
チャリオット 2頭立ての馬車だった。

当時のエジプトには
まだチャリオットがなく

軍事的に劣勢に立たされたのだ。

エジプトが再び統一されたのは
紀元前1570年ごろ。

新王国時代の
第18王朝になってからである。

拠点となったのは
テーベ 現在のルクソール。

かつて苦しめられた チャリオットなどの
武器を用いて異民族を放逐。

シリア パレスチナ地方を
従えるまでになった。

最大の版図を築いたのは

ツタンカーメンの祖父
アメンへテプ3世の時代。

政略結婚を重ねることで

近隣諸国と同盟関係を結び
勢力を拡大した。

当時の壁画に エジプトの繁栄を
支えたものが描かれている。

属領からの使者が持つ丸いもの。

これは 金。

エジプトは大量の金を武器に

周辺国との
交易ネットワークの拡大に努めた。

こちらは ルクソールに残る
アメンへテプ3世の遺跡。

今残るのは 2体の巨大な石像だけだが

かつては この奥にも
ずらりと像が並んでいたという。

近年 残された石像を調査したところ

当時の交易ネットワークの一端を
うかがわせる発見があった。

新王国時代 エジプトは

西アジアや地中海と密接につながることで
ナイル川流域を越えて

オリエント世界の覇者へと
上り詰めていったのである。

その結果
各地の珍しい宝石や貴重な素材が

エジプトに集まるようになった。

こちらは 太陽の誕生ネックレス。

中央 ふんころがしの姿をしたスカラベが
太陽を支えている。

左右に控えるヒヒの体は
シナイ半島で採れたトルコ石。

頭上には 黄金で出来た満月が輝き

その下にあしらわれた銀は
西アジア産と考えられている。

更に エジプトから
4, 000キロメートルも離れた

アフガニスタンから届けられた素材も。

深い瑠璃色をたたえるラピスラズリ。

当時 その美しさと希少性から

金に匹敵する価値があるとされた素材だ。

最盛期を受け継いだのが
息子であるアメンへテプ4世。

ツタンカーメンの父であり

古代エジプト史上
異端の王として名高いファラオである。

アメンヘテプ4世は
即位して間もなく

エジプトの伝統を覆す
宗教改革を断行する。

伝統的な神々の崇拝を禁じ

太陽神 アテンを
唯一の神として信仰すると宣言したのだ。

アテンとは 太陽円盤と
そこから延びる無数の光で表される。

そもそも古代エジプトは
多様な神々を信じる多神教国家だった。

動物や植物に始まり

ナイル川や風 空なども神となり
人々に信仰されていた。

神々を祀るために各地に神殿が建てられ

日々 祈りがささげられた。

中でも エジプト最大を誇るのが
ルクソールにそびえるカルナク神殿だ。

祀られているのは
アメン神。

アメンとは
見えないものを意味する。

ルクソール地方の
神だったが

新王国時代の
発展とともに

国家神へと躍進した。

しかし
アメン神への信仰が高まるにつれ

その神託を司る
神官たちの力が増大した。

そして
アメンへテプ4世の時代

ファラオと神官団の対立が
決定的となる。

アメンへテプ4世は 神官団と決別。

自らの名を アクエンアテン

アテン神にとって有益なるものと改め

アテン神の教えを知るのは
王である自分だけだと宣言した。

そして
各地に建つ神殿を閉鎖するとともに

神々の像の破壊を命じた。

多様な神を信じてきた
古代エジプトの人々から

それぞれの大切な神を奪ったのである。

更に アクエンアテンは

神官団の影響を徹底的に排除すべく

都を うつした。

新都は
ルクソールから北へ およそ280キロ。

ナイル川に面し 周囲を断崖に囲まれた
アマルナに築いた。

都の名は アケトアテン。

アテンの地平線という意味だ。

当時の碑文には
こんな言葉が刻まれている。

新しい都は
あらゆるしがらみを断ち切るため

どの神や人にも属さない
荒れ地が選ばれたのだった。

しかし
宗教改革が実を結ぶのを待たずに

アクエンアテンはこの世を去る。

改革のあとに残ったのは
神々を奪われた人々の恨みだった。

こちらは アクエンアテンのミイラを
納めていたとされる 人形棺。

名前の部分が くりぬかれている。

顔は 無残に割れている。

父の改革でエジプト中が混乱を極める中

幼いツタンカーメンが
ファラオとして即位するのである。

ツタンカーメンが即位するまでの
古代エジプト文明の歴史を

駆け足で振り返りました。

ヤマザキさん
そもそも なぜ このエジプトに

文明が生まれたと考えますか?

まあ 俗に四大文明というのは 全部
河川の周辺に発達した

肥沃な土壌 そういった所から
豊かさが発達していくっていう

ことだったと思いますし
そもそも 古代ローマ人たちが

みんな 道路っていうものを
発達させる前までは

海や 要するに河川っていうのが
重要な交易の手段として

そこが 一番最大の 何て言うのか
文明が発達する

きっかけとしては
もう 決定的なものですよね。

…っていうことが
大きなキーワードで。

300人や400人じゃ
文明つくれないわけですよ。

そうすると どうなるかっつったら
食い物ですよね 食べ物。

で しかも あそこ ほっとけば
毎回 ナイルのたまものになって

肥沃な土壌が流れてきますからね。

来年も再来年もいけるっていう
この安心感というか

都市の訴えかけっていうのが

大変 大きかったんじゃないかと
思うんですね。

最盛期でどのぐらいですかね? 先生。
集まったのは。

そうですね 200万とか300万とかっていう。
すごいですよ これ。 ええ。

それだけの キャパを持った 食糧を

作れなきゃいけない。
確かに。 ええ。

現代でも やっぱり
食べていけるっていう安心感って

すごく感じるじゃないですか。
だから やっぱり

そういうものっていうのが
人間にとって すごく大切で。

恐らく 考える時間とか
余裕ができることで

技術をもっと学んだりとか

空見て いろいろね 感じたりとか

できる余裕も 生まれるのかなって
いうふうに思いますね。

面白いですね。
磯田さん どう考えます?

僕ね いろんな文明あるんですよ。

あの中低緯度にね。

あるんだけど この文明 だいぶ
異様だと思うんですよ 僕。

異様ですか?
異様… 何が異様なんだろうと思ったら

あの場所って地球上でも かなり
変わった条件の土地だと思うんですよ。

それは 何が異常かっていうと
いっつも晴れてんのに

水 来るんですよ。
ああ~。

砂漠なんですよ 周りが
で 太陽いつも見えてんですよ。

それで もう カラッカラなんですよ。

それで もう規則的に
ナイルは氾濫起こすんですよ。

これ 見せつけられてる。 んで その上

こういう環境だと
何だろうと思うんだけど

抽象的なもんとか 数学的なもの
あの形ですよね。

ピラミッド。
数学的な形ですよね。

あれが通用して
信じさせられちゃう世界。

太陽だったら いつもいるという。

多分その反対にあるのが 僕は
奄美大島辺りだとか

屋久島辺りの日本の風景で
もう どっからヘビが出てくるか

どんな動物がいるか分からない
もう 天候も時々刻々変わってく。

もう 多様性のるつぼ。 湿潤。

だからね あれ エジプトって
かなり変わってて

で 数学が通用し
数学や神や技術者たちの

威力を思い知る世界なんですよ。

だってね 私なんか思うんだけど
黄金のマスク一個 作るのは

すばらしいと思うけど
あれ一個作るんだったら

10万発の矢じりを作る
あるいは ピラミッド造るんだったら

1万両の戦車造る
そっち行く文明も たくさんあるわけ。

むしろ そっちの方が普通なんですよ。
ええ ええ。

どうしてか これはこっち行くんですよ。
ハハハハ。

神とか王とか。
例えば 三大宗教っていうのは

なぜ あの 砂漠のような
何もないような土地で

生まれなきゃいけないのかって
やっぱり人っていうのは

そういうところに
すがっていくようになるわけですよ。

だから 今おっしゃったみたいに
エジプトもそうだし

私が前住んでたシリアの
チグリス ユーフラテス川沿い

なんていうのも やっぱり砂漠の中に
そこだけ肥沃な土壌があるんですよ。

するとやっぱり みんなそこに行って
その何か奇跡的な環境に

やっぱり すがりながら生きていく。
そうすると やっぱり

文明っていうのは 発達せざるをえない。

でも そうして その繁栄を誇った
新王国時代に

突如として行われたのが
アクエンアテンの宗教改革。

これ あの 民衆にとっては

多神教の伝統を ひっくり返されて
一神教になるっていうのは

結構 かなり ギャップがあるように
感じるんですけれど。

ここまでの改革をしようって思う
強い動機は 何だったのかと。

神官団の人たちとの
摩擦みたいのもありましたけど

それも何か もっと前から やっぱり こう
引き続いてるものなんですかね? 先生。

その 神官団との関係もありますけど

エジプトが かなり こう 安定してきて

どんどん どんどん 戦争も
やらなくなってしまった

っていうのもあったんで
あつれきも あったんだけど

一方で 経済的に 王権側に

力を集中させたいっていうような
意図もあったんじゃないかな

っていうふうには考えてます。

ヤマザキさん どう考えますか?
この当時 このちょっと前後して

サントリーニ島で
大爆発が起きてるんですよ。

で それで 太陽が隠れてしまって

一夜にして消えてしまった都市が
たくさんある

この時 発達した 交易の人たちは
自分たちが それまで

関係を持っていた都市が
なくなってるのを

見たりしてるかもしれない。
そうすると 太陽の力っていうのは

ものすごいものだっていうふうに
やっぱり 思い込みやすくなる。

動機は その時既にあった。

だから アクエンアテンは やっぱり
何て言うのか ひらめきというか

ある種 まあ 頭のよさというのか
分からないけども…。

頭よさそうですよね。
あれ 結構 抽象思考する 論理派ですよ。

だってね 異民族ね
こんな 攻めてきてさ それを

かなり先祖の代に 追い払って

それで 返り討ちにして
北へ北へと領土を広げて

それ やっぱり
エジプトご当地神を祀ってるだけだと

やっぱり それ まずいですよね
新しい占領地になった 地域の人々に

エジプトのご当地神
信じろったって無理だ。

太陽はどこでも見えてますからね。

市民全員が楽しめる神様にして
富の寄進は 僕が造った神殿の

太陽神のところへ
集めりゃいいじゃないかって

こう頭ん中で考えて 断行すると。
はい。

だけども もう
神官たちは もう カンカン。

巨大な帝国になると
大体 いろんな利益とか損得の問題が

絡んできて 多くの人々は
そういう形で動き始めてくると

王様の最後の切り札は
何かっつったら

やっぱり権威なんですよね。
つまり 金額には

プライスレスなものが
ないといけないんですよ。

恐らく かなり孤独な
立場にあったんじゃないですか?

アクエンアテンは。

いよいよ ツタンカーメンが
王として即位します

混乱する国を どう立て直すのか
ツタンカーメンの選択に迫ります。

父 アクエンアテンの死から4年

ツタンカーメンが
ファラオとして即位した。

ここは ギザのそばにあるサッカラ遺跡。

ある女性の墓から

ツタンカーメンが即位した当時の面影を
伝えるものが見つかっている。

壁に描かれているのは
乳母を務めた マヤ。

その膝に座る
あどけない少年こそが

ツタンカーメン その人である。

剥がれ落ちた部分を補うと…。

ツタンカーメンの頭には

ファラオであることを示す冠が。

即位した時
わずか10歳頃だったと言われる。

壁画には側近たちの姿も描かれていた。

少年王に かしずく 側近たち。

この構図から
ある意味が読み取れるという。

…ということを示す
証拠だというふうに考えられます。

中でも
大きな影響力を持っていた重臣が

「神の父」の称号を持ち

ツタンカーメンの
後見人を務めたとされる アイ。

そして 軍を率いる大将軍
ホルエムヘブ。

国王代理として 実質的な政治を
司っていたとされる人物だ。

重臣たちと共に国政にあたった
ツタンカーメンに 突きつけられた課題。

それは 父 アクエンアテンの
宗教改革が生んだ混乱の収拾だった。

父の遺志を継ぎ
一神教を推し進めるべきなのか?

それとも 改革に異を唱える神官や
民をなだめるため

多神教へと戻すべきか?

果たして 少年王 ツタンカーメンの

選択とは…?

愛用の玉座から

父と神官たちの間で
板挟みにあったツタンカーメンの

苦しい心境を読み取ることができる。

これは
ファラオの名を記した カルトゥーシュ。

トゥト・アンク・アテン

「ツタンカーテン」と記されている。

実は ツタンカーメンが誕生した時

父 アクエンアテンから授けられた名前は

唯一神 アテンにあやかった

「ツタンカーテン」だった。

その意味は…

一方 こちらに刻まれているのは
なじみ深い名前

トゥト・アンク・アメン。

「ツタンカーメン」
と記されている。

…を意味する。

愛用の玉座に なぜ
2つの名前が刻まれているのか?

それは ツタンカーメンが

父の信じた 唯一神 アテンだけでなく

伝統的なアメン神も信仰した
ということを示していた。

アメン神を祀るカルナク神殿。

その一角に アメン神の姿をした
ファラオの像が建つ。

ツタンカーメンだ。

その名のとおり
アメン神の生ける似姿として

あがめられていた。

ツタンカーメンは即位して間もなく

父が築いた都
アケトアテンを捨てるとともに

各地の神殿を復興するよう命じていた。

しかし これまでのように

アメン神中心の多神教に戻しただけでは

父が苦しんだように
神官団との あつれきが

再び生じるおそれがあった。

そこで ツタンカーメンは

アメン神だけを
国家神として祀るのではなく

ラー・ホルアクティ神とプタハ神を加え

3つの神を国家神として
崇拝することにしたのである。

アメン神に
新たに2つの国家神を加えた

多神教へと転換を図った
ツタンカーメン。

アテン神への信仰も絶えることはなく

あまたいる神の一つとして
その後も敬われ続けることになった。

当時 刻まれた碑文には
こう記されている。

ということで ツタンカーメンは
父が推し進めた一神教を捨てて

伝統的な多神教に戻ったと
単純に考えるのとは

また ちょっと違う選択をした
っていう感じですね。 河合さん。

ツタンカーメンの選択っていうのは
第3の選択だったんですね。

一神を中心とした
多神教にするんではなくて

多神教であるんですけど
伝統的にエジプトの重要な…

新しい第3の選択を
選んだわけなんですね。

酒井さん このツタンカーメンの選択
どう ご覧になりましたか?

だから ツタンカーメンが
これを決めた時は

10歳 11歳とか ぐらいですかね?

いや とてもね 普通に考えて
その年齢の人が

決められるような選択ではないと
思うんですけど。

少年ですもんね まだ。
少年ですし まあ

その お父さん アクエンアテンが
下した決断によって

起きたことは まあ ずっと
小さい頃から目の当たりにして

こう 見て 肌でも
感じてきているじゃないですか。

で やっぱり それに対して
すごく 心を痛めてたと思うんですよ。

だから まあ 少年ながら
子供ながらも

まあ やっぱり 世の混乱を
もっと治めていきたいっていう思いも

あったのかなと
気遣いもあったのかなって思いました。

はい。
荒俣さん 当時のツタンカーメンが

置かれた立場については
どのように考えますか?

こんなこと言うと
怒られちゃうかもしれないけど

被害者ですよ お父さんの。

でもね 多分ね
アマルナで暮らして

何年かは お父さんの薫陶を得たと
思うんで

お父さんが 失意のうちに亡くなった姿を
見てるわけですよね 恐らくね。

で 何で お父さん こんな目に遭ったの?
っていうのは

やっぱり非常に大きな 自分にとっての
世の中の理不尽な 不条理のことを

考えたと思うんですね。
う~ん。

河合さんは 今 被害者かもっていう話も
ありましたけれど

ツタンカーメン どういう立場にあったと
考えますか?

まあ ある意味 傀儡っていうか…

やはり 子供ですからね

お父さんが 大きな改革をやったんだけど
大失敗に終わったっていうんで

その周りにいた人も 虎視眈々と
チャンスを狙ってたかもしれないし。

まあ いずれにしても
集団指導体制っていうのが

ツタンカーメン王の治世だったと
思うんですよね。

ですから そういう中で 再び
多神教に信仰復興していくんですけど

全土の神々の神殿を復興するって
そちらに富を配分する

あるいは いろんな地域の豪族の中から
神官を選んで。

ですから ある意味 権力が集中したら
また 再分配するっていうか。

これは 言ってみれば 何か
王の権力を また弱めて

で 以前のような形で
こう 富を分けるっていう

そういうことが
その集団指導体制の下で…。

集団体制って 大体 そうなりますよね。
ええ。

意図があったんじゃないかっていうのは
ありますね。

ですから
彼 やっぱり 子供だったんですけど

その背後では
そういった権力を持ってた人たちが

国をリードしてた。

ヤマザキさん いかがですか?
もう 河合先生がおっしゃるとおりで

私 実際 「プリニウス」っていう漫画を
連載していますけど

その中に ネロという皇帝が出てきます。

やっぱり 10代で 皇帝みたいな
一国の指導者になる人間っていうのは

必ず すごい宰相が後ろにいるんですよ。

だから アイとホルエムヘブだったりとか
まあ その他の下々の人々が。

そうじゃなかったら こんな幼い人間が
統治者につかないんですよ。

彼を傀儡の立場で置くことによって
よし 彼をうまく操作することによって

国を改革していこうっていう意味での
シンボライズですよね。

それはね 本当に
彼に限らず そのあとの歴史の中でも

たくさん そういう人物はいると思うので
すごく象徴的だなと思います。

その分 やっぱり まあ
彼の父親で アクエンアテンに対しての

不平不満を抱いている宰相が
どれだけいたかとか

どれだけ いろんな鬱憤をためてて

もう この時こそ
まさに チャンスと言わんばかりに

いろんな力を発揮させていたのかも
しれないなっていうこと。

でも 磯田さん 今のことを聞くと
ツタンカーメンと重臣たちの関係って

何か 日本史にもありえそうな…。

秀吉っていう 日輪の子だって言って

もう 富 集めまくって
ぜいたくしまくるんだけど

パッて 幼い子供残して死ぬと

秀頼様の御為とかいうような重臣が
いっぱい出てきて

で やたら そういう時の宮殿の中って
豪華になるのよ 調度が。

だから 権力が強いから
調度が豊かになるっていうけど

幼君になったら 大体ね
調度を豪華にして稼ごうっていう人とか

豪華な調度を入れたことで 俺が忠義を…
自分のお金じゃないのにね

そういう家臣が現れたりするわけですよ。

ほんで これも 本当 権力の分散から
富の分散に どんどんなってますよね。

だって 名前だって
2つ並べて書くっていうんですから

あっちにも配慮 こっちにも配慮ですよね。
神様も 3つに分けて。

だから あなたにも利権
あなたにも利権っつって

パイプつけている状態が
何となく見えてきますよね。

ツタンカーメンの場合 早く死んじゃったから
いいんですよ 傀儡になってても。

ネロみたいに 長生きしちゃうと
本当に 俺って すごいかもって

俺の権利を
そこでね 誇張し始めるんです。

それで ぐちゃぐちゃなことになって
暴君とかっていうような

呼ばれ方をしちゃうので
ツタンカーメンも 長く生きてたら

どうなってたかなっていうことを
ちょっと思っちゃう。

さあ その国の混乱を治めた
ツタンカーメンの姿を見てきましたけれど

その日常生活は
じゃあ どんなものだったのか。

少年王の素顔に迫ります。

100年前にカーターが発掘した
ツタンカーメン王の墓からは

5, 000点にも及ぶ副葬品が見つかっている。

きらびやかな輝きを放つ宝の中には

生前のツタンカーメンの暮らしぶりを
今に伝えてくれるものも多い。

例えば 黄金の玉座。

ツタンカーメンと
妻 アンケセナーメンとの

仲むつまじい夫婦生活が
よく伝わってくる。

これは 祝宴を挙げている様子。

アンケセナーメンが ツタンカーメンに
飲み物を差し出しているところである。

夫婦の何気ない日常を描いたものだが

この2人の描かれ方には
深い意味が込められているという。

アンケセナーメンは

ツタンカーメンとは父親が同じ
アクエンアテン

母親が異なる義理の姉であった。

ツタンカーメンより3歳ほど年上で

即位する前から婚姻関係にあったという。

第18王朝では
ファラオの姉妹を王妃とすることが

珍しくなかった。

そのおしどり夫婦ぶりを
スナップ写真のように伝えてくれるのが

こちら。

黄金の小厨子と呼ばれる
高さ50センチほどの箱。

全ての面に ツタンカーメンと
アンケセナーメンの暮らしぶりが

浮き彫りで描かれている。

夫婦で 狩りに出かけたのだろうか。

椅子に座り 弓を射る
ツタンカーメンの姿が。

放った矢が 野鳥を貫いている。

傍らには
次の矢をツタンカーメンへと差し出す

アンケセナーメンがいる。

ツタンカーメンの足元に
寄り添っているのは

ペットのライオン。

こちらには 妻のために飲み物を注ぐ

ツタンカーメンの姿が描かれている。

一方 こちらは
夫のために香油を塗るアンケセナーメン。

国の混乱を治めるために必死だったはずの
ツタンカーメン。

その傍らには
いつも 妻 アンケセナーメンがいた。

来世に行っても
夫婦2人で仲よく暮らしたいという

深い愛情が伝わる。

墓からは ツタンカーメンが
ふだん 身につけていたものも

見つかっている。

こちらは サンダル。

現代にも通用しそうな
モダンなデザインが目を引く。

鼻緒には 花があしらわれ…

アヒルが
顔をのぞかせている。

繊細で
かわいらしい造形だ。

中敷きには
厚めのクッションが詰まっていたり…

サイドのカバーで
小石が入るのを防ぐなど

機能面も充実している。

こちらは 短剣。

細かな彫金が施された鞘を抜くと…。

現れたのは 鉄の剣。

当時のエジプトは
鉄を作る技術を持っていなかったが

近年の化学分析から 隕石の鉄 隕鉄を
加工したものと分かった。

当時 極めて希少だった鉄は
ファラオが持つにふさわしい素材だった。

身なりだけでなく
何を好んで食べていたのかも 判明した。

これは フードボックスと呼ばれるもの。

来世での生活に困らないよう

生前 食べていたものと同じものが
納められていた。

中に何が入っていたのか

発掘したカーターのメモに
詳しく記されている。

3羽のハトに…

雄牛のすね肉 それに ガチョウの肝臓。

飲み物も 多く見つかっている。

こちらは ワイン壺。

同じような壺が
なんと 30個も納められていた。

書かれている文字には こうある。

現代人さながら 毎年出来るワインを
楽しみにしていたのだろうか。

夫婦の深い愛情と豊かな暮らし…。

ツタンカーメンの素顔が見えてくる
貴重な品々である。

数々のお宝から ツタンカーメンの暮らし
文化や風習が見えてきましたけど。

新王国時代の第18王朝っていうのは

エジプトというのが まあ
オリエント世界最大の帝国になって

いろんなとこから
物や人が運ばれてきて

で 人が運ばれて 技術も来て
で いろんな材料で作ったという。

そういう
ですから 古代エジプトの中でも

この時代だからこそ
作れたと思うんですよね。

ほかのファラオ
もっと いろんな豪華なものが

入ったんじゃないかっていうことを
言う方 いらっしゃいますけど

私は
むしろ ツタンカーメンっていうのは

エジプト文明の ある意味 ピーク
技術的なもののピークを

示しているものじゃないかと
思うんですよ。

何か こう見ると
より身近に感じますよね。

本当ですね。 実際 本当にいたんだって
感じがしますよね。

夫婦で 仲良くっていうものが
多かったので。

やっぱり ファラオって
孤独だと思うんです すごく。

いろんなことを話せないけれども
アンケセナーメンには

ものすごく弱いところまで
見せていけたんじゃないかなっていう。

アンケセナーメンが包み込むみたいな。

そういうような関係性に見えます。

荒俣さん いかがですか?

ツタンカーメンの日常が
伝わってくるような品々でしたけど。

もう じんじん伝わってきますね。
じんじん伝わってくる。

だって スキンシップですよ。
特に これ

現人神ですからね ある意味では。
そうですね。

これができたっていうことは 何か

感性や文化における
自由なことっていうのが…

自由っていうのが
一つ 大きなキーワードに

もしかしたら ひょっとしたら
あったんじゃ…。

そのアクエンアテン王の時代は

要するに 国家神は
アテン神 一柱っていうことで

伝統的な神々の神殿が閉鎖されて

要するに 閉鎖されるっていうことは
お祭りが行われなかった…。

お祭り そうなんだよ。
お祭りが大事なんですよ。

要するに
伝統的な その神様っていうのは

神殿の一番奥の
内陣というか 至聖所ですね

その観音扉の中に
黄金の彫像か何かで納められていて

人々の目には さらされないんですね。

で その祝祭の時だけ
おみこしを担いで

街を練り歩く…。
日本の祭りと同じですよ。

ナイル川の上で 舟で行くのもあるし

陸上を こう
みこし担いで行くのもあるんですけど

その間に
いろんな音楽とか ダンスだとか。

庶民と神が… 現人神もいるんだけど

何か こう 交信する機会が
ここで再び復活されたっていうことは…。

それが支持されたっていうところ
ありますよね。

だから みんな これでいこうか
っていうことになったんじゃないか。

人生を おう歌できますもんね。
そうですね。

幸せなんだな 生きてるのって
って感じられる

希少な機会だったわけですよね。
あっ いいね。 そうですね。

磯田さん どうですか?
皆さんのお話…。

やっぱり この かわいい幼い男の子が

こういう 割と きらびやかな
ぜいたくな生活をしてる状態って

人々に安心感を与えるものだった
かもしれないんだと思うんですね。

お父さんの時代って 神 神とかいって
いろいろ言ってくるじゃないですか。

だけど これ やっぱり 人間としてやる
欲望生活を見せてくれるわけですよね。

結構 安心なんですよね
この状態っていうのは。

大きくなっても 小難しいこと
言わないんじゃないかってことが

みんな やっぱり
家来も 民衆も 期待してるわけですよね。

王が ちゃんと満たされた状態に
なってるっていうことを

視覚化するという。
それが やっぱりね…。

ほんで しかも 夫婦仲良くっていう
その状態見るっていうことが 何となく

ギスギスした父親の時代と違って
安心感を与えるものであったろうから

彼は ぜいたく やればやるほど

人々が安心するというような
状態だったかもしれないですね。

さあ 王として成長し
温かな家庭も築いたツタンカーメン。

しかし その最後は
突然 やって来ました。

ツタンカーメンには
エジプトを立て直した英雄として

明るい未来が待っているはずだった。

ところが 突然の死が
ツタンカーメンを襲う。

治世10年 二十歳になるかならないか
という時だった。

王家の谷の…

ここに ツタンカーメンのミイラが

今も 横たわっている。

およそ3, 000年前
永遠の眠りについたファラオ。

その死は 今も多くの謎に包まれている。

そもそも 墓自体に特色がある。

ツタンカーメンの墓は

ファラオのものとは思えないほど
小さいのだ。

ほかのファラオの墓は
ツタンカーメンの墓に比べて大きく

長さ100メートルを超えるものも
珍しくない。

それは ツタンカーメンの死が
誰も予期せぬ 突然のことだったため

既に掘られていた貴族の墓を流用して
押し込められたためともいわれている。

では 急死の原因は何だったのだろうか?

最初に唱えられた死因は 撲殺。

1968年に ツタンカーメンのミイラの
X線写真を撮ったところ

頭蓋骨の内部に
小さな骨のかけらが見つかったためだ。

こん棒などの鈍器で 何者かに
強く打たれたのではと推測された。

しかし 後に調査されたCT画像からは

頭部に致命傷となるような外傷は
見つからなかった。

X線写真で指摘された骨のかけらは

ミイラ作りの際に
破片が落ちただけだと見なされた。

次に浮かんだ死因は 病死。

ミイラから
マラリア原虫のDNA断片が見つかり

生前のツタンカーメンが
重度のマラリアにかかっていたと

判明したためである。

しかし 蚊の多いエジプトでは
珍しい病気ではない。

幼少時にかかっていただけでも
マラリア原虫のDNAが検出されるため

決定打とはならなかった。

そして 3番目に
死因につながるとされたのが

左足に見つかったケガの痕跡である。

膝の少し上
大たい骨の端に

亀裂が走っているのが
分かるだろうか。

これは 上下の方向に
強い衝撃が加わったことで起きる骨折。

交通事故でよく見られる外傷であるため

馬車 チャリオットから落ちた可能性が
高いという。

墓からは チャリオットに乗る
ツタンカーメンの姿が

数多く見つかっていることも
この説を裏付けている。

だが もし
チャリオットから落ちて死んだのなら

新たな謎が浮かび上がってくる。

それは 単なる事故だったのか

それとも 仕組まれた事故
つまり 他殺だったのか。

なぜ 他殺が疑われるのか。

実は 発掘当時から解かれていない
大きな謎があるからだ。

ツタンカーメンのミイラには
心臓がないのである。

もし 心臓のミイラが作れない場合には

代わりに 心臓スカラベと呼ばれる
護符を置く決まりになっていた。

古代エジプトの歴史において

心臓も心臓スカラベもない
ファラオのミイラは

ツタンカーメンただ一人だという。

これは ツタンカーメンに
来世で復活してほしくない人物が

心臓を奪ったからではないかとも
いわれている。

その人物が ツタンカーメンの死の秘密を
握っている可能性が高い。

一体 ツタンカーメンは なぜ死んだのか?

そして 誰が心臓を奪ったのだろうか?

研究は今も続いている。

ツタンカーメンの早すぎる死。

死因については
さまざまな説が出てきましたけれど

河合さん ツタンカーメンは
なぜ死んだんでしょうか?

(笑い声)
そうですね…。

私も知りたいですよね。
そうですね。

いろんな説が いまだに
いろいろな研究者から提唱されていて

実のところ 全く分かんないんですよね。

心臓がないっていうのは
ほかのファラオの埋葬の例でも

類例がないんで。

心臓と それから心臓スカラベですよね
それがないっていうのは

非常に不思議だなと思います。

酒井さん いかがですか。
他殺説もある中で。

いや 私は…

何か こう ツタンカーメンって

やっぱり
周りの大人のね 思いもくみながら

結構いろいろ決定していったと
思うんですよ。

そう思うと
あまり恨みを買ったようなことは

なかったんじゃないかなっていうふうに
思ってるんですよね。

骨折も チャリオットにね 乗ってる。

何か カツカツっと こう

体力があるファラオだっていう
感じじゃないので。

(笑い声)
勇猛な感じではない。

ない感じがするので
あまり たくさん

チャリオットに乗ったような
イメージがなくてですね。

でも何かね 骨折があるので
う~ん 転んだとか

何かあったかもしれませんけど。

酔っ払って転んだ可能性も…。
可能性もあるかもしれない。

いや 僕ね それは 何で死んでも
おかしくないと思うんですよ。

マラリアにはなってる あんだけ大ケガ
膝でね 落ちてしてるって

どれ一つとっても
全部 死因になりうる。

だけどね 心臓がないっていうのは
それで説明はつかないわけですね。

それで 心臓がないのはね
僕 ちょっと疑うんだけど

あれ ミイラ出てきて
100年たってるので…

こんだけ 全身 金でまとわれてて
宝石の塊ですよ。

そしたら
心臓は黄金製の何かに納められて

中に ミイラにあるというふうに
当然 思うはずです。 発掘後 みんな。

で 第2次大戦も経てるから
どんなに管理してもね

ミイラに手ぇ加えて
何か取り出そうとかね

そういう人があとで加わった可能性も
あんまり考えたくないけど

一応 その点 かく乱
出土後のかく乱や紛失ってことも

やっぱり ちょっと考慮した方が
いいなと思います。

なるほど。 その点 河合さん。
それは 実際 そういうことがあって。

ああ そうなんですか やっぱ。
ツタンカーメンのミイラの ろっ骨が

かなり破損してるんですね。
やっぱそうか。

この胸の辺りに
大きな襟飾りがついてたんですよ。

ビーズ製の。 それが もう切り取られて
なくなってんですね。

ですから恐らく
第2次世界大戦中から1968年に

そのX線の調査をやったんですけど
その間の どこかで

何者かが そういったことを
行ってたと思うんですよ。

荒俣さん どう考えますか?

想像力で言うなら
あるいは希望で言うなら

あのお祭りの時に とても楽しんで

それで そのあと
じゃあ寝るかっていうんで

上 上がった時に ふと踏み外して
階段から落ちちゃうという。

それで みんなが

「あっ ツタンカーメンさん
落ちてしまいました」っていうんで

大騒ぎになって
もろもろの事件が起きたというのが

ツタンカーメンの死に方としては
一番いいんじゃないかなと思うんだけど。

(笑い声)
この心臓ですよね。

確かに おっしゃるとおり
これがないのは ちょっと

なんとか説明しないと
いけないと思うんだよね。

想像は尽きない。
尽きない。

ツタンカーメンの死後
エジプト第18王朝は

再び波乱に見舞われることになった。

ツタンカーメンとアンケセナーメン

若い夫婦に
後継者がいなかったためである。

ツタンカーメンの墓に
大切に納められていたもの。

2体の小さなミイラ。

ツタンカーメンとアンケセナーメンの
子供たちだ。

双子で ともに死産だったという。

2人とも 2重の棺に納められていた。

古代エジプトで これほど小さな子供の
ミイラが見つかるのは極めて珍しい。

子供たちに
来世では幸せになってほしいと

強く願ったためと考えられる。

一人残されたアンケセナーメンは

当時 西アジアで勢力を増していた異民族
ヒッタイトの王に

こんな手紙を送ったという。

求めに応じたヒッタイトは
アンケセナーメンのもとに王子を送った。

しかし エジプトへの道中で
何者かに暗殺されてしまったという。

アンケセナーメンには
もはや打つ手がなかった。

では 一体 誰が ツタンカーメンの
次のファラオとなったのか。

ツタンカーメン王墓の玄室の壁に
跡を継いだ人物の姿が描かれている。

ヒョウの毛皮をまとった男 アイだ。

長く王家を支えてきた高齢の重臣が
後継者になったのである。

描かれているのは 口開けの儀式。

ツタンカーメンが
来世で食べ物に困らないよう

アイが供物をささげている。

本来 死者の息子が執り行う儀式だが

アイは自らの姿を描くことで

王位継承の正統性を示したと
考えられている。

こちらは 一つの指輪に

アイと アンケセナーメン
2人の名前が刻まれたもの。

アイは アンケセナーメンを
共同統治者とすることで

王としての権威を
確立していったという。

その次に即位したのは

かつてツタンカーメンを
アイと共に支えた将軍 ホルエムヘブ。

アイが任命した後継者を押しのけ
政権を簒奪したのである。

それだけでなく
ツタンカーメンの父

アクエンアテンから
アイにつながる

ファラオの系譜を
全て なきものとし

古代エジプトの歴史から
抹殺した。

こちらは
歴代のファラオの名前が記された王名表。

ツタンカーメンらの名前はなく

祖父 アメンへテプ3世の次には

ホルエムヘブの名前が刻まれている。

歴代のファラオたちが眠る王家の谷。

こうして ツタンカーメンは
その存在を知られることなく

ここで
3, 000年の眠りについていた。

歴史の闇に葬られたツタンカーメンを
再び表舞台へと立たせたのが

100年前のハワード・カーターによる
発見だった。

黄金に輝く宝が続々と出てくる中で
カーターが最も心引かれたもの。

後に 自ら こう語っている。

王の棺に
小さな花輪が手向けられていた。

ツタンカーメンに先立たれた若き王妃が

夫にささげた
最後のプレゼントだったのではないか…。

数々の黄金の宝の中でも

この はかない花輪ほど
美しいものはなかった。

3, 000年前の夫婦の愛情を

まるで昨日のことのように
私に語りかけてくれたのだから。

100年前のカーターの発掘は

栄華を極めた
古代エジプト文明の宝と共に

ツタンカーメンにささげられた愛の形を
今に伝えている。

一度は歴史から消えたツタンカーメンが
100年前の発掘によって よみがえった。

なんともドラマチックな話だなと
思うんですけど

ヤマザキさん
そもそも なぜ ツタンカーメンは

歴史から
消されてしまったんでしょうかね。

やっぱり ホルエムヘブとかがね
アクエンアテンの前の時代を

復興させたいとか
そういう思惑を持って

そのあとの全員を消していくっていう
ことをしたのかなとも思うんですけど

だとしたら じゃあ
何でなんだろうということですよね。

だから このアクエンアテンから
ツタンカーメンにわたる系譜の中で

新しい改革と
あとは その 何て言うのかな

豊じょうなものに対して
否定をしたがる統治者っていうのは

どの時代もいるんですよ。
昨今においても。 20世紀でも。

だから そういった意味で
やっぱり彼らのことを

不都合だと捉えていた人間がいたのは
間違いない。

磯田さん どう考えますか?
う~ん。

アイぐらいまでは いくらか
ツタンカーメンの奥さんとの関係は

共同統治をしてたり
ペアリングなんか作っちゃったりして

出土してるから 仲が良さそう…。
まあ 表面上かもしれませんけど

仲良く共同統治してたのかも
しれないけれど

これ将軍 軍隊率いてる大将軍
ホルエムヘブぐらいになると

もう これ 完全に
否定が始まってることを考えると

やっぱり そこが 僕 ヒントだと思ってて
豊臣政権の崩壊なんかでも

まずは最初に
石田三成や片桐且元といった老臣団

大体ファミリーをお世話してたグループが
幼い王が死んだあとでも

なんとか こう もり立てていこう
みたいな空間がある。

だけど 本当に軍を率いてる
家康みたいなのが 次 現れてくると

もう 豊臣 大坂城が埋められてね
パックされてね

なかったことにするという。 で 多分
ツタンカーメンの奥さんにしたって

きっと アイと一緒に
共同統治するにあたって

条件は出したはずですよ。
「あなたと一緒にやってあげるから

夫の墓は 豪華に ちゃんと中に入れて」と
「小さくてもいいから」って言って。

だからかなと思うんですよね
こんなに きれいなのもね。

ちゃんと いいもの全部入れてと。

将来 復活した時
私 一緒に暮らすんだからという。

そういう意図が何かあるのかなという
何か そういう切ない思いがね

この開けた瞬間の
すばらしさというものの中にはね

何かあるような気がしますね。 だから…

ホルエムヘブは家康説? 新しい何かが。
将軍だし。

将軍だし。
確かに。

あの 河合さんは どう考えますか?
なぜ 歴史から抹消…。

ツタンカーメンそのものっていうよりは

やっぱり お父さんの
アクエンアテンですね

特に本当に革命的なことをやったことに
対するトラウマっていうのが

そのあとの時代に残ったと思うんですよ。

結局 ホルエムヘブっていうのは
全く血縁関係ないんですよね。

18王朝の王家と。
じゃあ どうやって その

王家の血が つながってない人が
即位するかっていうと

やっぱり そういったトラウマに対して
自分は完全に復興させるんだっていう。

自分が真の改革者であるっていうことを
アピールするっていうことで

結果的に ツタンカーメン 歴史の中から
抹殺されて 消されてしまった。

さあ 今日は ツタンカーメンを
さまざまな角度から見てきましたけれど

改めて この古代エジプト
そして ツタンカーメンが

なぜ 今も私たちを魅了し続けるのか
皆さんに伺いたいんですが

酒井さん どんなこと感じましたか?
そうですね。

やっぱり この18王朝 興味深いですよね。

謎も多いですから 世界中で楽しめる
ミステリーみたいな部分もありますし

何か この これからね
いろんな技術もあって

どんどん どんどん
解明が進むと思うんで

ちょっと また
ワクワクが止まらないなと思いました。

そうですよね。

荒俣さん いかがですか?
今まで ずっと見てたけど

例えば あの胎児が
親子関係にあるみたいなことは

もう要するに DNA鑑定とか

新しい知見が出せるように
なってるんですよ。

これは もっともっと 幅広く
発見物に対して行われるようになれば

少なくとも それぞれの関係が
どうなったかっていうことぐらいは

知見で出せるんじゃない?
推理じゃなくて。

知見で出せるんじゃないかっていう感じが
ちょっとしております。

推理小説で言えば
犯人が分かるのと同じだから。

犯人が分からなかった推理小説が
犯人が出てきたっていう。

こういうことが 生きている間に
実現できれば うれしいなと。

ヤマザキさん いかがですか 今日…。

あの まあ 私は 古代ローマとかを専門に
いろいろやってますけど

古代ローマの歴史をやってると
ここに その後世の人間の歴史を

司るものがあると
思ってたんですけど

古代ローマ人にしてみれば
更に彼らにとっての古代文明である

エジプトっていうものがね
多分 この中に

我々は学ぶべきものがあるんだ
っていうことを

もしかしたら感じていたのかなって
思うぐらい やっぱり なぞらえていく。

あと やっぱ
普遍的に人間がやらかすことってのは

もう全然変わんないんだなって。
そうですね。

いつも同じだなって。
そうなんですよね。

河合さんは現在も エジプトで
発掘調査を続けていらっしゃいますけど

やはり このツタンカーメン
また ツタンカーメンの周りの

古代エジプト文明について もっと
これから分かるっていうことでしょうか?

まあ あの
ツタンカーメンの副葬品にしても

まだ3割ぐらいしか
ちゃんと研究されてなくてですね。

3割。
ええ。 それで残りの7割も

いろんな新しい技術で
明らかにするっていうのもありますし

ツタンカーメン本人だけじゃなくて
その周りにいた側近の墓なんかも

見つかってきたりしてますから
まだまだ分からないことは

解明されていくんじゃないかと
思います。

いや でも 磯田さん こうやって
調査が どんどん進んでいくと

何か その 遠い3, 000年前というのも
やはり身近に感じるといいますか。

身近に感じる。
リアルに感じますよね。

本当ね このコロナの中で聞くとね
心にしみるんだ。

何でって 人間の体って
たんぱく質で出来てるから

はかないんだよ 本当に。 だけど
あの 何千年 3, 000年とか前でもね

いや そこにかけた花束が残ってる。

発した恨みの言葉も残っておれば
もう これがね やっぱり

ほかの動物 できませんよね。
人間だけがやる行為で。

これが面白いんですよ。
で あんまり変わってなかったりね。

もう やっぱり見つけてもらうしかないね。

あの 河合先生にね。

我々 また作りますから 是非。
そうですね 作っていきましょう。

皆さん 今日は本当に
ありがとうございました。

(一同)ありがとうございました。

Source: https://dnptxt.com/feed

powered by Auto Youtube Summarize

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事