出典:EPGの番組情報
SWITCHインタビュー 達人達「甲斐よしひろ×中井貴一」[字]
日本ロック界のパイオニア・甲斐バンドを率いる、甲斐よしひろ。実は大の映画・ドラマ好きだ。対談を願ったのは、いつの間にか彼の心にいるという、国民的俳優・中井貴一。
番組内容
中井が甲斐を招いたのは老舗映画館のロビー。昔から客席よりロビーに心躍るという。対談では、幼い頃の母の教えやナレーションの仕事に向き合う心得、「正統派俳優」と呼ばれることへの本音などを語り甲斐と共鳴する。後半は、甲斐がかつてDJを務めたNHKラジオ番組の思い出のスタジオへ。バンドが長続きする秘けつから、ロックを選んだ理由、大ヒット曲の裏話まで明かす。高さより長さが大事という二人が今後目指すものとは?
出演者
【出演】ミュージシャン…甲斐よしひろ,俳優…中井貴一,【語り】六角精児,平岩紙ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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キーワード出現数ベスト20
- 自分
- 本当
- 中井
- 甲斐
- 映画
- 一番
- 最初
- 全部
- バンド
- 結構
- 時代劇
- トーン
- 甲斐バンド
- 絶対
- 俳優
- NHK
- セリフ
- 瞬間
- 役者
- テレビ
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
記憶にねえんだよ!
だから うるせえな もう!
はい。
災難だったな。
2019年 ヒットしたコメディー映画
「記憶にございません!」では
記憶喪失の総理大臣役を主演。
軽妙な演技が絶賛された。
火付盗賊改の長官は2人。
一方 時代劇では
シリアスな役柄を重厚に演じ
圧倒的な存在感を放つ。
積み上げた金は
やがて どこかへ崩れ落ちる。
演技力と風格を兼ね備え
日本を代表する正統派俳優との
呼び声も高い。
そんな中井に会いたいと願ったのは
この達人だった。
♬「HERO ヒーローになる時 Ah Ha
それは今」
♬「離しはしない」
みずから率いる甲斐バンドは
歌謡曲全盛の時代に
「HERO」「安奈」などの
ロックナンバーを大ヒットさせた。
また 当時 まだ珍しかった
都市型の野外ライブを行い
日本の音楽シーンに
定着させた。
♬「俺の導火線に火がついて」
♬「ちくしょう 火花をたてやがる
バチバチ 火花をたてやがる」
まさに日本ロック界の
パイオニア。
そんな甲斐には
意外な一面がある。
無類の 映画 ドラマ好きで
エッセー集を出すほどなのだ。
日本人の俳優では
中井が一番のお気に入りだという。
非常に 興味 尽きない方なんで
ぜひ お会いしたいなと。
それは やっぱり…
そういう話になったら
面白いよなと思いますね。
中井が待つのは
東京 銀座にある老舗の映画館。
どうも お久しぶりです。
こんにちは。
ご無沙汰申し上げております。
「東劇」って聞いて ちょっと…。
いや さもありなんって感じもするけど
何で ここの場所に…?
僕は…
個人的に 映画を見るのも もちろん
子どものころから好きだったんですけど。
映画館の そのロビーに入った瞬間が
一番わくわくして
僕が好きな瞬間なんですよね。
なので
ロビーでお話をしたいっていうのが…。
ハハハハ…!
基本的には ここを選んだ理由なんです。
分かる。
「表現することは生きること」。
そう語る達人2人の舞台が開幕。
♬~
僕 実はですね
中井作品マニア
っていうわけでもなくて
どっちかっていうと 僕
一般的なレベルだと思うんですよ。
ただ もちろん…
それで…
今回 こういう話になったときに
何か 急に 中井さんが よぎってですね。
なかなかいないと思うんですけど。
はい。
…っていうような人が
中井貴一なんだっていう。
今回 改めて 何か
そういうのを思ったんですよ。
えっ?
この年齢で このベテランなのに…
…と思ったんですよ。
フフフ…!
もう あれ キャリアトップ…
すごいなと思って 僕。
ここで最高の演技がくるんだと思って。
あれが 一番 僕 びっくりしたんですよ。
「そんな 僕は 中井さんの
マニアでもなく 本当に 一般的」って
結構マニアですよ。
そうですか…!
結構 見ていただいてるなと思って。
あっ… そうなのか…。
非常にうれしく思っております。
いやいや…。
自分が出た作品って
どういうふうに向き合って
どんな思いでっていうのって 何か…
当然 おありになりますよね?
そうですね。
僕 役者をやって40年たつんですけど
まだ…
それで それは 何が 一番…
寝れないってことの緊張に
起因してるのかっていうと
その次の日の…
ですから そのセリフの
最初に話す声のトーンだったり
話し方だったりを
やっぱり…
ぎりぎりまで迷うんですね。 だから…
役者さんにも いろんなパターンがいて。
自分の出たものに自信が持てる人と
自信が持てない人。
で 僕は…
それは なぜかっていうと
逆に正解がないので
例えば 自分で
その映画を見たときに
ああ ここは
こっちじゃなかったなって…。
僕の中には…
そのチョイスの
1パターンの映画でやって
監督は OKを
出してくださってるんですけど
あっちのパターンでやってたら
こっち 違ったかもしれない
っていうふうに
見てしまうんです 映画を。
ですから 僕は
絶対に…
…っていうことを貫いてるんですね。
それは なぜかっていうと
僕たちって 映画って
キャンペーンっていう時間がありまして
宣伝期間があって
皆さんに 見てくださいっていう
期間があるんですけど。
そんなつもりで 僕は 映画を
頭の中のパターンで見ちゃってるので…
ハハハハ…!
結果…。
はいはい…。
いや あっちのほうがよかったのに
何か 見てくださいって
ごめんなさいみたいになっちゃうんで。
見ないと無責任でいられるんですよね。
だから…
公開初日までは見ない
っていうふうにしてるんですけど。
こたびは 武田の軍勢 いかなるものか
天下に示す。
中井は 26歳で大河ドラマの主演を務め
その後も 数々の映画やドラマに出演。
俳優として王道を歩んできた。
今のお前は
平氏に飼われている 犬だ!
真面目なイメージで
時に 正統派俳優とも呼ばれる中井。
本人は どう思っているのだろうか。
強くなれ!
「正統派」って… どうですか? その辺。
いや 僕は 全く違うと思います。
いや… っていうか 昔から…
はい そうですね。
すごく 僕も疑問があるんです。
僕は でも 一つだけ 大事にしてて
それは正統派ですよっていうふうに
思われても
しょうがないなと思うところがあって。
要するに 人間って 楽なほうに
行きたいわけじゃないですか。
そうすると
例えば ファッションにしても…。
僕は 洋服が好きなので
あれなんですけど 要するに…
はい はい。
きちっと着ることを知らなかったら
ただ だらしなくなるだけだ
っていうのが自分の中にあって。
それは 一番基本ですからね。
はい。
みんな 世の中の流れに
乗ってる人たちっていうのに
安心感を覚えるんですけど
僕は それが昔から好きじゃなくて。
それが「サラメシ」のナレーションとか
そういうところにも…。
結構 ずらしてくっていうことを…。
僕は 最初にもらった原稿よりも
ずらしてく ずらしてく ずらしてく
ってことを考えるんですけど。
やっぱり このベースにあるものの
残さなきゃいけないもの。
ここを へずったら
だらしなくなってしまうみたいなことは
避けようっていうふうには
自分では しているところはあると…。
だから どっちかというと 俺は…
本人は…
正統派ではないっていうふうに
僕は どこか思っていて。
♬~
働くオトナの昼ごはん それが…
こちらが
中井がナレーションを務める番組。
声の仕事は 本人にとって
大きな意味があるという。
もともとね 「サラメシ」っていうのは
サラリーマンの方たちが
家に帰ってきて
パチッとテレビをつけたときに
次の日の昼っていうことを
やることによって
何か こう ああ 明日もっていうふうに
思ってもらえればいいと思って
今から11年ぐらい前なんですけど…
まあ 夜中なので夜バージョン。
それよりも ちょっと明るいバージョン
とかって考えてって。
でも 待てよ。 夜中に一回 皆さんを
昼に戻すっていうぐらいのトーンで
やってみたらどうかな? と思って
ブースに入って 一番最初に
自分の中で選んだ5パターンのうちの…
そうしたら
「それでお願いします」って言われて
ず~っと 11年 それになって。
朝… 午前中 撮影してるんですけど
つらい つらい。
はあ~…! そうなんだ。
朝から あのトーンって 例えば
それこそ
舞台をやってるときもありますし
わりと重い撮影を
してるときもあるんで
あのトーンに 一回するのが
とっても大変…。
歌を歌ってらっしゃるので…。
高音の… 最初から キーで
出なきゃいけないので。
そんな午前中から張れないですよね。
張れないので。
僕 3日前に原稿もらうんですよ。
まず 下読みして
そこから 映像を見させていただいて
映像に 最初に合わせて
何か 変えるところは全部変えて。
それで 次の日 声録りするんですよ。
僕らは ライブじゃないですか。
一発勝負じゃないですか。
だから 全体のトーンとして
こういうトーンでいく
っていう感じだけ決めるんですよ。
でも その 声…
どの声でいくんだっていう感じは
やっぱり ものすごく 僕…
恐怖感ありますよね。
あります すごくあります…。
話 聞いて…
僕にしたら すごい それ
緻密な話にしか聞こえないんで
すごいなあと思って。
僕は…
それで セリフが棒読みであっても
感情が通じるっていうことを
僕は 終着点に 自分で目指していて。
でも 人間って
「やれない」っていうの…
「やらない」っていうことと
「できない」っていうことは
たぶん 違うことであって。
…と思っていて。
そのためには まず
いろんな声の音色を
使えるようになっておくところから
それを すべて使わなくする
というところに
行き着きたいというふうに思ったので。
ちょうど その
ナレーションっていうものに対して
トライしてみようっていうふうに
思った時期だったんだと思うんですけど。
何か この
「SWITCHインタビュー」って
ある程度…
今は甲斐さんが僕に聞く番で…
たぶん 僕が 今度 甲斐さんに
聞く番が出てくるんですけど。
ちょっと 設定が 今 映画館なんで
今 ここで聞いちゃいますけど。
甲斐さんが
本当に その… 映画とかが
お好きじゃないですか
伺ったところによっても。
そうすると 映画から
インスパイアされるっていうか
今度… 音楽に
フィードバックするっていうか
それが やっぱり強いってこと…?
もう ほとんど!
ほとんど?
ほとんど そうですね。
いろいろ いるんですけど…
音楽っていうのは
聴いた瞬間に あっという間に
そのときの過去のことをファ~ッて
フィードバックしてくるんですけど
映像とかドラマって そんなに
バッと こないじゃないですか。
でも 音楽って聴いた瞬間に
そのときの その場面を
思い出せるんですよ。
そうそう。 そうですね。
だけど 忘れるのも早い 音楽は。
映像って ファ~ッて
そんな 一挙に こないんですけど
ああ~ あった あった
あった あった! って こう見ながら
すごい残るんですよね。
ああ~…。
趣味とかっていうの
何か あるんですか?
あんま ないんですよね。
僕も 全然ないんですよ。
だから 基本的には… いや…
僕 サラリーマンだったら ちゃんとね。
はい。
ちゃんと 皆さん…
しっかりした趣味を
持とうと思うと思うんですけど。
そうなんですよ! いや もう…
ありがとうございます!
そのとおりです。
僕 だから
自分が生活してる…
いろんなものに興味持って
いろんなふうに生活してるものが
すべて はね返ってくる。
それが 全部
吸収になると思ってるんで。
だから 飯食うにしても 何にしても
何か それが…
何か こう 自分のものになってって
それが趣味みたいな感じなんですよ。
…とも思っていますし 基本的に…
でも それ なかなか
みんな 気付かないんですよ。
それが たまたま生業になっていて
何か お金を頂けるようになって。
だって お金を頂くんだったら
自分たちが そこに
プロフェッショナルとして 何を
やらなきゃいけないかということが
付随してくるっていう
考え方なのかもしれないなと…。
中井は 1961年
俳優 佐田啓二の長男として生まれた。
二枚目大スターだった父は
中井が2歳のとき この世を去る。
ドラマの撮影に向かう途中の交通事故。
37歳の若さだった。
だって 僕 当時 お父さんの事故って
小学生だったと思うけど
僕でも知ってますもんね。
う~ん…。
そうですね…
その おやじが死んだ年って…
これ 大なり小なり
たぶん 皆さんもね
自分が その年になったときに
あっ 今年一年 越えられるかな
っていう恐怖感って
常に 持ってると思うんですけど。
僕の場合は 本当に 2歳半だったので。
常に 仏壇の中にいる
おやじっていうのが
38歳のおやじのままで。
だから…
だから 何か こう…
生きられるのか 生きられないのか
とかっていうことよりも
それ以上の人生を考えてこなかった。
想像できないってことですよね。
うん。 …ですね。
その 父が亡くなったときに
母は33歳だったので
そこから 本当に 姉と…
姉が6歳で 僕が2歳で
2人の子どもを持って
シングルマザーとして
生きなきゃいけないって思ったときに
その…
母は 手も上げましたし。
うん。
ねっ? 「表に誰かいるかもしれない」。
うわ~…! おお~!
「えっ…?」ってなるじゃないですか。
はい。
一番ちっちゃいんですから。
うん。
僕 靴べら持って… 幼稚園ですよ?
表 出て
靴べらで かなうわけがないんです
誰かいたって。
でも そういうふうな家だったんですね。
だから 逆に でも…
うちは 例えば 飯食ってるときに
こぼすじゃないですか。 何か こう
しょうゆ 取ろうとしたときに
パッと倒すじゃないですか。
そうすると
「はい もう…」っつって
全部 下げられるんですよ 飯を。
おお~…。
それで 「ええっ…」っつって。
「食べる気がないから こぼすんだ」って。
集中力がないというね…。
集中しないから…。
もう 昔の人 言いますよね
そういうことを。
それで そこから
本当 食わしてくれないんです。
それで あるとき おふくろが
茶か何か いれてて
バチャンと こぼしたんですよ。
そしたら「あららららら…」っつって。
「あらららら」って何だよ? と思って。
ツッコミます?
「あらら? あららって何?」っつって
「何?」なんて言われて。
「いや 別に 何でもないけど」
みたいになるんですけど。
でも 何か それが 俺らが
大人になったら許されるじゃんっていう。
子どもでいたいんじゃなくて
大人になりたい
同じです! 僕も。
っていう気持ちを
植えつけてくれたことは事実。
それは 母は
意識的に やってたとは
思えないんですけど
それは とっても感じて。
何か 子どもをすごく大切にしてくれた。
何があっても私が守ると
思ってくれてたけど
一番に大事っていうことよりも
どこかで
すごい突き放してくれてたんだな
というふうには…。
東京の私立学校へ進学した中井は
テニスに熱中。
演技とは無縁の世界で生きてきた。
しかし 大学在学中に
映画「連合艦隊」の監督から
スカウトされ
俳優デビュー。
日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し
以後 父と同じ道を歩むこととなる。
僕も
すごい 人見知りなんですよ 実は。
で 赤面症で それで
だから うちの家族は みんな
俺は俳優にならないと
思ってたんですよ。
日舞とかで 人前で 何かをやるのが
好きだったんですけど
俺は 今でも人見知りで
だから 何をやるんでも よっこいしょ
っていうのが とっても必要な…。
そうですね。 いわゆる
原動力的なものが必要で
バネにするためのものみたいな…。
…が必要になっちゃうんですけど。
僕もね 実は すごいシャイなとこが
むちゃむちゃあって。
だけども いざとなった瞬間ね
はい 本番です! ってなったら
そうは言ってられないんで。
やっぱり 演じてるときっていうのは
架空の世界を演じるわけで。
だから いつのころからか… 僕たち
テレビドラマを見る側だったときに
「このドラマはフィクションであり…」
っていうのが
最後にポッと出るようになって。
「えっ? これ どういう意味?
どういう意味?」っていうふうに
子どものころ 聞いて。
あれがクレジットされたとき
何か 冷めるなあみたいなの
ありましたよね? はい。
だけど あれが普通になっちゃって…。
なっちゃった。
それなのに まだ コンプライアンスと
いわれなきゃいけないっていう…。
そうですね ダブル トリプルですもんね。
はい。 だから それが
とっても 不思議だなって。
だから 本当に
あるドラマをやってるときに…
自分の弟分が殺されるんですよ。
それで
その仇を討ちに行くんですよ。
それで
その親分のうちに乗り込むときに…
…ってやったら「ちょっと ごめんなさい
ちょっと ごめんなさい」。
なるほど。
「えっ どういうこと?」っつったら
「ポイ捨ては ちょっと 今
時代的に できないんですよ」と。
「あっ ポイ捨て…
ポイ捨て駄目なの?
で 何? ここから
灰皿 出したりするの?」っつったら
「いや それは ちょっとおかしいんで」。
「じゃあ どうすんのよ?」っつったら
「じゃあ もう ここから もう
なくしちゃいますから ここから」って。
「ちょっと待てよ!
お前ら ちょっと待て。 ねえ…」。
マジックね マジック。
「これは… これ…」
「こっちのほうが
コンプライアンスにならなくて
こっちは… こっちは駄目なの?」
っつったら「そうなんですよ」って。
だから このコンプライアンスの
アンバランス感っていうのは
もう 見手の方に
理解していただかないと。
だから こういうことに対して
クレームをつけないでもらいたいって。
大河ドラマ?
大河ドラマ?
中井が取り組む最新作…
江戸時代 初めて日本地図を作った
伊能忠敬をめぐる物語だ。
北海道 ちょっと ずれてません?
今… 今 何つった?
北海道。
右に ちょっと ずれて…。
ちょっと待って ちょっと待って。
今 これを見てさ
それを言うのおかしいだろ?
中井が演じるのは市役所の職員。
郷土の英雄を大河ドラマにしようと
悪戦苦闘する。
あれで土地の傾きを測り… うん。
あの傾きに応じ…。
一方で 日本地図完成の裏に隠された
知られざる物語を
時代劇で描いていく。
原作は 立川志の輔の創作落語。
「日本の文化や伝統が凝縮されている
時代劇を残したい」。
そう願う中井が
みずから映画化を企画した。
やめて! 触らないで!
触らねば治らん!
普通の ただの時代劇を作っても
なかなか見てはいただけないだろうけど
うまく 現代と時代を組み合わせて
ちょっと面白く それで
ちょっと泣けるっていう話に
これは作れるんじゃないかって思って
志の輔さんのところに行って
これを映像化させてもらえないでしょうか
っていうふうに話をして。
それで 僕は…
ちょっと しばらく前から
時代劇が全部
なくなったじゃないですか。
それで その時代劇を
残さなきゃいけないと。
僕が何より大事だと思っているのは…
ああ そうですね。 本当だ。
それで 時代劇に付随するものって
もう 今 ぎりぎりのところにきていて。
で 俺らがデビューしたころは
もう 絶対 この人…
ちょんまげの時代から生きてるって思う
俳優さんとかスタッフが
「何してんねん! お前」
って怒られて。
スタッフに 「歩き方が
おかしい!」って言われたり
「刀の持ち方 おかしいやろ
自分」って言われたり
そういうふうに
スタッフに教わったんですよ。
それが だんだん
そういうことを知らないスタッフが
増えていくことによって
俳優も育たなくなるし
付随するものを残すためにも…
僕たちが どういう… 今の この…
僕は だから ずっと
時代劇を残すって言ってるのも
そこの…
…っていうことが
一番大きいかもしれないですね。
ぜひ マニアとしては…。
そうですね。
だんだんマニア化してきて嫌だなあ。
分析していただかないと…。
責任が重い…。
お願いします。
後半は 舞台をスイッチ。
東京 渋谷にあるNHK。
中井が向かった先は…。
604?
こんにちは… こんにちはじゃない。
失礼しました。
ようこそいらっしゃいました。
ここって…。
自分のスタジオみたいなこと
言ってますけど…。
これはラジオなんですか?
ここのスタジオって。
これね ここでミックスやるんですよ。
はあ~…。
音を作る。
かつて NHKのラジオ番組で
DJを担当していた甲斐。
ここは その制作作業を行った
思い出の場所だという。
甲斐さんが「NHK」って
おっしゃったっていうんで
僕 NHKホールだとばっかり
思ってたんですよ。 違うんです。
僕 二十歳で
最初の連続テレビドラマをやったのが
NHKだったので
結構 NHKの中 詳しいんですよ。
この迷路みたいなのとか…。
でも ここは 僕 初めてです 伺ったの。
なかなか みんな
使わないんじゃないですかね。
2019年に デビュー45周年を迎えた
甲斐バンド。
♬「恨んでも恨んでも」
♬「ふり払えないものがある」
1986年に いったん 解散したものの
その後 再結成。
近年は 若い世代からも
熱い支持を受けている。
甲斐バンドって
45周年だったんですよね。 はい。
今も まあ 時間は…
いろんなことがありながらも続けてる
そのモチベーションって
何なんですか?
あのね…
それって やっぱ
演技と たぶん 一緒なんですよね。
へえ~…!
うん。
僕 作詞 作曲して
アレンジも 全部 自分でやって。
で メインボーカル
ってことなんですけど。
でも やっぱり…
…っていうのが
すごい やっぱ バンドなんですよね。
でも 例えば 映画だとね
役者って どっか 我が強い人間が
なったりもするし…
まあ そうじゃない人たちも
たくさんいるんだけど。
監督っていう存在がいて
監督がコンダクターとして
「ちょっと あなた抑えて」とか
「ここ もうちょっと出して」
とかっていう
それこそ おっしゃる
アンサンブルみたいなものを
一本の映画っていう中で
やるじゃないですか。
でも グループっていう 甲斐バンド…
バンドってふうになると…。
監督は客観的にってことですもんね。
そう。
客観的なのは いないんですよ。
結局 僕がリーダーだし
僕がメインボーカルなんで。
だから
コンサート 一本やるときは
どういう方向で どういうトーンで
その一本を 始めて 終わらせるか
っていうことしかないんで
完全に もう…
ふ~ん…!
そのかわり 間奏になった瞬間に
バ~ンってリードギターが出ていって
僕は こうやって
うまく引っ込みながら
こう 動き回るみたいな。
でも そのリーダーに優しさがないと。
ず~っと 自分が前に出てる人も
いるわけでしょ?
それはないの?
いや… いるでしょ。
でしょ?
いますよね。
今 名前が2~3人浮かびましたけど…。
言わなくていいですけど
「お前 いけよ~」とかって
「いいよ お前 いけよ」っていう
優しさがあると
長もちするじゃないですか
きっと バンドって。
その 出された人も愛情が分かるし。
だから そういう意味では 甲斐さんは
すごく ある意味
客観性を持って作ってきたっていう。
うん。
あと もう一個
すごい 心がけてたのは…
…っていうのは
すごい 心がけてましたね。
要するに その… バンドとして?
バンドとして。
僕が バンドのメンバーにも見せる。
オーディエンス 観客にも
分かりやすく出すっていうのは
心がけてたっていうか もう 絶対
そう持っていこうと思ってたんで。
客も覚えるんですよ。
この人… 意外と とんがってるなとか
せっかちだなとか
ここで怒るんだとか 何か…
みんな押しても駄目なら引いてみな
みたいなことなんですよね 実は。
客とバンドの関係って。
で 僕 最初の3曲
ガ~ッて押すんですけど
例えば NHKホールでやってて
3階の上の所が揺れてきたら
もう そこから 僕 引くんですよ よく。
そうすると 客は こうなるんですよ。
そういうのが
年間に150本とかやってると
だんだん 押し引きが分かるようになって
っていうのもあるんで…。
特に バンドのメンバーには
すごい 喜怒哀楽を
はっきり 分かりやすく
出すようにしてましたね。
そのバンドのメンバーが
喜怒哀楽出されると むかついたでしょ?
甲斐さんに対して。
そう そう そう! もちろん。
もちろん?
僕が 全部 作ってるから 何か言わないと
全部 成立していく…。
だから こっちから出してほしいわけ?
そうです そうです そうです。
喜怒哀楽を。
そう。 それで もう 僕が
喜怒哀楽 分かりやすい形で出すと…。
向こうも出してくると。
絶対 向こうも ちょっとね
いろんな思いがあるじゃないですか。
だから 出してくるんで。
それで カツンとなって
もう解散だみたいなことは…。
いやいや…! もう 絶対 ならない。
それは もちろん 椅子は飛ぶわね。
椅子 飛ぶ?
もっと ひどかったと思うんですけども。
そのかわり そこで 出すだけ出して
みんな もめるだけもめたら
そのまんま 絶対 一緒に
食事に行くんですよ。
そのときは一切ない。 仕事の話 しない。
そう! それを すごい言われましたもん。
甲斐は 福岡市で 理髪店を営む親のもとに
生まれた。
当時 地元には米軍基地があり
ラジオからは
最新のアメリカンポップスや
ロックナンバーが流れていた。
そうした音楽を 3人の兄とともに
甲斐は 浴びるように聴いて育った。
基本的に もう
小学校の3年の途中ぐらいに
ビートルズが出てきて。
ビートルズ ストーンズ
アニマルズ キンクスとか そういう…。
それが 小学校3年の2学期ぐらいに
その洗礼を 全部 浴びちゃったんで。
あと 福岡は 基地が4つ…
3つか4つぐらいあったんで
FENが
がんがん かかってるんですよ。
それで 向こうの 本当に最新の
ホット100を聴けるんですよね。
それも
すごい良かったと思うんですけどね。
もちろん 英語でしゃべってますけど
がんがん。
うお~! っていう感じでしたもんね。
っていうことは
結構 それだけ 幼少期に
そういう英語とか入ってるってことは
耳で覚えるってことですよね。
そうです そうです そうです。
例えば 日本人って
ハーモニーやるじゃないですか。
ハーモニーやるときって
みんな こう 集まって
「ウ~」って 一斉に3人が 声出して…
三声で出したとしたとき
まとめる感じで「ウ~」って
合わせにいくんですよ。
でも アメリカ人なんて
特に そうなんですけど
もう一斉に全員が強く出すんですよ。
うわ~って出しといて
ここで まとまるっていう…。
ふ~ん… ここでまとめないってこと?
ここでまとめない。
何かね やっぱ
考え方が違うんですよね 何かね。
フィジカル…
フィジカル的だっていうかね。
そういうのが 何か もう
人に教えられる前から
自分で 何か 分かってたし。
あと 僕 「紅白歌合戦」を
もう 大体 3~4歳ぐらいから
絶好調のときは
全部 歌える感じだったんですよ。
「紅白歌合戦」の曲を?
…の曲を もう ほとんど 出るような。
で それを 一緒に歌ってるみたいな。
それを おやじが面白がって。
そこに連れていくんですよ 僕を。
…って言って歌わせるんですよ。
当時 博多は 朝鮮動乱景気と
あと 炭鉱景気がすごくて。
みんな もう 筑豊から
みんな 飲みに来たりとか
どんどん してたんですよね。
だから…
いくつですか? そのころ…。
4歳か5歳。
4歳か5歳で投げ銭が飛ぶ?
そうなんです。
それでカウンターで歌わされて
それが 1年ぐらい…
まあ 大体 1年のうち
14~15回ぐらいやったと
思うんですけど
本当 嫌になってきて もう。
で 泣き入れて… 「やめてくれ」って
おやじに言ったんですよ。
大道芸人みたいじゃないですか。
いや 本当ですよ もう。
それで 中2ぐらいのときに…
中2の終わりぐらいに
ちょっと グループ作るんですけど
まあ 細い音のね
フォークグループだったんですけど。
そこぐらいから ちょっと
やり始めていいかなみたいな。
ロックにいったきっかけは
何なんですか?
たぶん それ…
僕の声って こうやって
ハスキーじゃないですか。
だけど 僕…
よく ハスキーになるために
お酒 飲んで 声 潰しました
みたいな人って何人かいるんですけど
僕 もともと この声なんですよ。
ああ~…。
で 僕… 例えば 世良君とか
もんたよしのり君とかっていう人たちと
違うのが
僕 声は すごいハスキーなくせに
わりと乾いてるんですよ。
だから ちょっと ウエットじゃない。
声がハスキーで乾いてる声って
あんまり日本にいないんですよ。
だから たぶん…
一番最初は やっぱ
この声ですかね やっぱり。
でも それは武器になると
実際 やっぱ 思いましたね。
ロック側にいくことで。
そこは ちょっと…
計算って言ったら
いやらしいですけど
それは もう 10代のときから
あったような気がします。
しゃがれ声であろうと 何であろうと
その声の質というよりも
やっぱり その…
いい声が すべて いいわけではない。
まあ 歌もそうだと思うんです。
うまいことが すべてじゃない。
でも やっぱり 役者は声ですよね。
本当 思いますよね。
それが すごく大事だっていうことを
おっしゃる方は
すごく たくさんいらっしゃいます。
僕 もともと 生まれつき
左利きなんですけど
打ったり投げたり 右なんですよ 僕。
一番 プロ野球選手とかになっちゃ
いけないタイプじゃないですか。
左利きで生まれてるのに
何で 右で投げる? 右で捕る?
右で打つ?
っていうことなんですけど。
僕 実は…
えっ?
みんなが弾くギターありますよね。
それを こうでしか弾けないの?
あれを こうしてしか弾けないんです。
変なの!
だから サウスポー用に弦を張り直すと
僕 弾けないんですよ。
ポール・マッカートニーは
どっちでも弾けるらしいんですけど。
ええ~? と思うんすけど
僕は
右用のギターでしか
弾けない。
だから つまり 僕に何か教える
先生とか師匠っていないんですよ。
だって コードの押さえ方とか…。
逆。
だけど 逆だけど…。
うん。
普通の人は こうなるんですって。
僕 こうなるんですよ Cって…。
じゃあ それって 何…? 最初
何で そうなっちゃったんですか?
はい 出ました。 そうですよね。
兄弟 4人います。
それ 買ってもらえないね。
ギターが1台あります。
ある日 こうやって持って
覚えちゃったんですよ。
3か月か4か月。 で…
あれ FとBフラットなんですよ。
もう 結構 こう…。
もう Fなんて 一番
押さえられないコードじゃない…。
Bフラット もっと押さえられないです
僕 なんて もう…。
そっち すごく楽でしょ?
はい。
そしたら 兄貴が…
「俺 Bフラット ちゃんと
鳴らないんだよね」と言ってたんですよ。
そしたら…
「ええっ!?」って言って
そこで初めて気が付いた…。
でも そのとき もう それなりに
弾けて歌えてたんで
どうせプロになるわけじゃないし
って思って
ずっと それでいった。
で プロになっちゃったっていう…。
そこで磨きをかけてったってこと?
そう そう そう 磨きを…。
楽しいし 歌えて。
俺っていいなって思ってました。
1974年 甲斐は 二十歳のとき
全国的なフォークコンテストで優勝する。
その後 甲斐は地元のミュージシャンたちと
甲斐バンドを結成し
レコード会社と契約。
♬「鞄を下げて」
同じ年 「バス通り」でデビューする。
♬「おじぎをして」
♬「氷のくちびるが僕を奪い」
やがて その音楽性は
ロック色を増し
ライブは熱狂的な若者で
埋め尽くされるようになった。
一方で テレビの歌番組に出演することは
ほとんどなかった。
断るじゃないですか
テレビは もう ちょっと… って。
そのときの不安 なかったんですか?
ない。
最初は… 最初 出てたんですよ。
最初は?
はい。 NHKの「レッツゴーヤング」とかも
2~3回 出たことありますし。
だけど
10時ぐらいに入って 撮りが
夕方の6時くらいだったりするんですよ。
だったら もう その間…
もう ツアーだけ
延々やるっていうふうにした。
テレビの… 出て 売れていったほうが
簡単じゃないですか。
だけど…
う~ん… やっぱり
「じゃない方」を選ぶタイプですよね。
あっ 本当だ。 そうですね。
そう そう そう そうなの…。
だから 本当に 結構…
いや そうです。
だから 本当に 損得を考えると
何か 大勢のほうに巻かれてるほうが
得が多いような気はするんですよね。
でも…。
でも 近道って怖くないですか?
怖いです。
そうなんですよ。 俺 近道も ちょっと
怖いなって思ってるのがあって。
だから 僕らが「裏切りの街角」が
2枚目のシングルだったんですけど
75万ぐらい売れて
そこで ツアー すごいできるように
なったんですよ うわ~って 日本中。
ライブ活動中心の甲斐バンドの名が
全国のお茶の間に知れ渡る
きっかけになった曲がある。
CMソングとしても使われた こちら。
♬「HERO ヒーローになる時 Ah Ha
それは今」
キャッチーなメロディーと力強い歌詞で
180万枚を売り上げる
爆発的ヒットとなった。
僕 その年に最大に売れてる人って
たぶん その年に一番
スピード感を持ってる
疾走感を持ってる人だと
思ってるんですよ。
こいつ すごいなって
みんなが思ってて…。
あのとき 僕 たぶん 一番… この国で
一番 疾走感があったはずなんですけど。
それは やっぱり 何ていうか…
その時代の日本の色を変えるぐらいの
感じで やっぱり 思ってたんで。
だって「HERO」の歌詞が そうですもんね。
そう そう そう。
だから ああいう歌詞ないんですよ
やっぱ あの 前まで。
もう 本当に 疾走感。
「俺が一番だ」って歌ってるんですもんね。
本当に…。 だから そこは すごい
意識してましたよね。
ただ そこで売れないとね。
ただ あの時計の
コマーシャルになったからといって
売れるとは そこまで
思ってないんですよね。
でも…
売れる準備は?
売れる準備はできていた。
俺 昔ね…
はい。
まだ だから 高校生ぐらいでしょ?
あの ずっと…
本当に 大ヒットじゃないですか。
はい。 テレビも出ないわ…。
もう 出ない…。
どこにも出てないのにね。
みんな 歌ってたんですよ。
ああ そうなんですか。
本当に。 それで
俺も大好きで歌ってたんですけど。
…っていう感じだったんですよ 当時。
へえ~…。
ただ あれ 最初 みんな…
はい。
だから あれ…
ああ~…。
で 歌ってみたら 全然よくなくて。
「くそ~…! やっぱ 北だな!」って。
ハハハハ…!
マイクの前で 一回 仮歌で歌って
「くそ~…!」って言うから
「どうした? どうした?」みたいな。
「歌詞 変更します」みたいな。
へえ~…。
やっぱり 何か あるんですよね。
北に向かうのは 魔力が。
何か 函館だったと思うんですけど
普通に こうやって飲んでたら
1個 席 空けた ここに
中年のサラリーマンの方がいて
もう 結構 酔ってるんですけど。
そしたら
「安奈」を
ちっちゃく歌い始めたんですよ。
そのうち 泣くんですよ 「安奈」歌って。
ええ~!? と思って。
でも
むちゃむちゃ幸せでした そのとき。
やってきてよかったなって。
僕たちの仕事って
運が すごく大きいと思うんですよね。
きっと 結構 売れる準備ができてる人は
たくさんいるけど
売れる人が少ないっていうところが
あると思うので。
でも 結局 そのあと 僕は
何よりも大事なのっていうのは
僕たちの仕事は…
まあ 役者とミュージシャンは
違うかもしれないけれど
やっぱり…
だから その甲斐バンドというものを
途中 解散があって
また あれにしても
今も続いてるっていう
この長さを持って
やってるっていうことは
やっぱり 僕は すごいことだな
っていうふうに思うんですよね。
ソロ活動も行っている甲斐は
ロンドンでベストアルバムを制作。
68歳を迎えた今も
その勢いは 衰えることを知らない。
それは 中井も同じ。
年を重ねた2人が
今から目指すものとは…。
役者って よく 引退がない商売だ
っていわれるんですけど
僕は 最近 ちょっと 引退って
あるのかなって ふと思ったりするんです。
僕たちは 体が楽器で
それのメンテナンスをしながら
自分たちで
音色を紡ぎ出していくんですけれど
自分の納得する音が
出なくなったときに
僕は 身を引いたほうがいいのかな
っていうふうに思ったりするんですね。
…って僕も思ってるんですよ。
やっぱり 矢面に立ててる間は…。
だから そのために
ものすごい フィジカル作ってるし
ちゃんと 反射神経とかも 全部…。
だから もう 全部やってますよね
いろんなことを。
整体から何から やってて。
だから やっぱり
矢面に立てなくなったら
っていうことですよね 今のお話。
だって セリフをね…
僕たちは決められたことを
決められたように
言わなきゃいけないじゃないですか。
そうすると 先輩なんかでも
昔 あんなにセリフを言われてた方が
セリフが言えなくなってくる。
これは もう
しょうがないことなんですけど
性格的に… 「お~い 何だっけ?
ほら 言ってくれよ。 ああ そうかよ。
分かった 分かった。 ああ…」っていう
これが 何か できるタイプと
「ごめんなさい 何だっけ? 何だっけ?」。
それ 絶対 嫌ですね。
…って こうね
2パターン分かれるわけ。 なるほど。
だから 僕 最後…
それで「お~い 何だか言ってくれ」…。
いいね。
「そうだろう?」…。
それは 最高ですよ。 それは それでね。
その感じが出せる俳優に…
ここから目指します。 だから…。
それ? 今後 それ?
だから 何か「お~い ちょっと
セリフくれよ。 ああ そう。
大体 俺の言ってること
内容は合ってるよな?」って
丹波さん 言ってましたからね。
「内容は 大体 合ってるよな?」…!
「なあ? 合ってるよな?」って言われて
「ええ まあ 何となく合ってます」って。
僕が… 僕が言いますから もう…。
「やめたほうがいい」って?
「中井さん もう そろそろ」って言うから。
だから 僕にも 言ってください。
「甲斐さん もう いい。 もう いいかげん
後ろ つかえてますよ」って。
まあ 後ろ つかえることはないですけど。
もう だから 何か 70後半
僕がなったときに
80前半でしょ? 甲斐さん。
そうですね。
その辺で もう一回 会って
もうそろそろ やめますかっていう話を。
お互いね。
したほうがいいかもしれないですけど。
「記憶にございません!」って
そのとき 言いますから。
それを ずっと
使えたらいいなと思いますけどね。
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