【手作り解説】「ウクライナ侵攻」プーチン大統領の世界観とは?人物像に迫る【サンデーモーニング】

なぜプーチン大統領は侵攻という決断を下したのでしょうか。素顔に迫ると“プーチン的世界観”が見えてきました。

ウラジーミル・プーチン大統領、69歳。22年間にわたりロシアの実権を握り、「強い指導者」のイメージを演出してきました。柔道やアイスホッケーの腕前を披露したこともあります。

その人物像に迫ると、軍事侵攻を決めたいくつかのポイントが見えてきます。

■歴史観
なぜウクライナにこだわったのでしょうか。プーチン氏は2021年7月論文で、「ロシア人とウクライナ人は一つの民族」と主張。

演説でも、『ウクライナは単なる隣国ではない。歴史・文化・精神世界で切り離せないロシアの一部だ』と強調したのです。

というのも、ロシアとウクライナは同じ東スラブ民族で、8世紀、今のウクライナの首都キエフを中心に「キエフ大公国=キエフ・ルーシ」が誕生。この流れをくむ同じ民族だと強調しているわけです。

■経歴
さらにプーチン氏の経歴からは、NATO(北大西洋条約機構)の不拡大にこだわる理由も垣間見えます。

幼少期、映画を見て「一人の力で大きな成果を上げられるスパイ」にあこがれ、大学卒業後、諜報機関であるKGBソ連国家保安委員会に入ります。そして諜報員として東ドイツに駐在していた37歳の時(1989年)、「ベルリンの壁の崩壊」を目の当たりにし、市民が一夜にして世界を変えた勢いに、恐れを抱いたというのです。

その後、1991年にソ連は崩壊し、もともと東側だった国などが西側の軍事同盟NATOに加盟していきます。つまり「西側諸国が自分たちの領土に迫ってくる」その怖さをプーチン氏は肌で感じたと言われ、それが今のNATO不拡大への思いとつながっているのかもしれません。

母国に戻ってからは、タクシーの運転手を振り出しに、驚くべきスピードで出世します。

1994年サンクトペテルブルクの副市長を務めた後、エリツィン大統領の側近に呼ばれ、大統領府で働くことになり、エリツィン大統領の信頼を勝ち取ります。

首相に就任した1999年、モスクワのアパートで連続爆破テロが起き、プーチン氏は、チェチェン武装勢力の犯行と断定してチェチェンに侵攻。5か月で制圧して国民的英雄となり、翌年には大統領に登り詰めました。

しかし爆破テロに当時の諜報機関・ロシア連邦保安庁の関与が取りざたされ、疑惑を追ったジャーナリストが殺害されたり、国外追放になったりしています。

疑惑が渦巻く中、権力を強めていったのがプーチン大統領でした。

2012年の大統領選では「強いロシアを取り戻していく」というスローガンを掲げ当選。そして2014年のクリミア併合後には、80%以上という高い支持率を獲得します。

2月24日にも「ソ連崩壊で多くのものを失ったが、現代のロシアは世界で最も強力な核保有国の一つ」だと、核兵器使用の可能性も示唆し「強いロシア」を主張し続けています。

(「サンデーモーニング」2022年2月27日放送より)
(27日10:56)

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