【恐怖】三菱自動車組織ぐるみ企業犯罪“リコール隠し”の真実|益子修氏の社長就任は2005年1月である(2014年6月から会長兼CEO)

この“リコール隠し”発覚から4年。あの時三菱自動車は18件 62万台のリコールを届け出た。だがそれは氷山の一角にすぎなかった。
三菱自動車はこの4年前の“リコール隠し”発覚後も欠陥を隠し続けた。それは後に死亡事故を引き起こした重大な欠陥だった。その結果、河添元社長ら幹部が逮捕された。度重なる不祥事と販売不振で 三菱自動車ではこの4年間に7000人の従業員が解雇された。そして、200以上の販売店が看板を降ろした。
三菱自動車と三菱ふそうは死亡事故のケース以外にも欠陥を隠し続けた。その結果起きた人身事故は31件。リコール対象車は74万台。4年前のリコール隠しをはるかに上回るものだった。
クルマを作る会社がクルマの安全を蔑ろにした。その罪は重い。

死亡事故に繋がる欠陥を把握しながら放置した三菱自動車。
重大な欠陥はなぜ長期間隠されたのか。
2000年に発覚した“バジェロ事件”の全容を取材の結果、当局の立ち入り検査を妨害するため行われた社員の予行演習の模様や、検査直前の10分間で欠陥資料を隠す手口。
そしてそれが、どのように見破られたかに至るまでが明らかになった。
番組ではリコール隠しを巡る捜査当局と三菱自動車の攻防を再現。
前代未聞の企業犯罪に、なぜ社員たちが手を染めたのか。
なぜ組織ぐるみのリコール隠しが続いたのかを解明する。

内部告発の通り、ロッカーから三菱自動車が長年隠し続けてきた資料が見つかりました。この「H資料」と言われものは社内で二重管理されていたのです。
三菱自動車ではペーパーだけでなくコンピュータ内のデータについても10段階の管理レベルに分け、会社として表に出したくない重要な不具合を「H」、運輸省に出せる資料は「P」としていました。これらを区分けして管理し「H資料」を運輸省に対し隠し続けていたのです。

powered by Auto Youtube Summarize

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事