出典:EPGの番組情報
100分de名著 アレクシエーヴィチ[終](4)「“感情の歴史”を描く」[解][字]
「感情の歴史」を描きたいと語るアレクシェーヴィチ。彼女によって戦争は生身の身体、鮮烈な五感、豊かな感情の震えの記録として描き直される。戦争を記録する意味とは?
番組内容
アレクシエーヴィチはしばしば「感情の歴史」を描きたいと語る。憎悪と慈愛の共存、平時では考えられないような感情のうねり、戦争終結後も人々を苛(さいな)むトラウマ…。英雄談や大文字の歴史としてしか語られてこなった戦争は、彼女の透徹した「耳」と「手」によって、生身の身体、鮮烈な五感、豊かな感情の震えの記録として描き直される。それは、これまで決して描かれたことのない、人間の顔をしたリアルな歴史だった。
出演者
【講師】東京外国語大学大学院教授…沼野恭子,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】杏,【語り】加藤有生子ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
第二次世界大戦から ソ連崩壊まで。
歴史を見つめ
証言をとり続けてきた…
彼女は今も 圧政に苦しむ
祖国の人々の声を 世界に届けています。
「戦争は女の顔をしていない」
第4回。
感情の歴史を描いた
アレクシエーヴィチから
私たちが学ぶべきことを探ります。
♬~
(テーマ音楽)
♬~
「100分de名著」 司会の安部みちこです。
伊集院 光です。
「戦争は女の顔をしていない」を
読んでいます。
有名な英雄が
出てくるわけじゃないんですけれど
証言一つ一つ どんな人なんだろうと
想像させるような本ですよね。
たくさん話を聞いて
とにかく 聞いたことを
全部 書いていこうという。
すごく勉強になりますね。 はい。
さあ 指南役 ご紹介しましょう。
ロシア文学研究者の沼野恭子さんです。
今回も よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
お願いいたします。
沼野さん 第4回は
どんな視点で読み解いていきますか?
最後の第4回は 歴史学と文学ですね。
その違い そういったことに
焦点を当てたいと思います。
「セカンドハンドの時代」という
アレクシエーヴィチの著書が
あるんですけれども
その中で こう書いています。
歴史学というのは あったことですね
事実 あるいは真実
それを確定していくために 証言をとる
ということだと思うんですけれども
アレクシエーヴィチのやっていることは
証言一つ一つが 全て主人公だ
ということなんだと思うんですね。
そこが まあ
大きな違いかなというふうに思います。
彼女自身は ご自分の作品を
「声によるロマン」と。
声たちによる小説だというふうな
言い方をしています。
さあ では
その「声のロマン」を書く
アレクシエーヴィチの思いを
読んでいきましょう。
朗読は 俳優の杏さんです。
感情の中でも アレクシエーヴィチが
特に重視しているのが
「苦しみ」と「悲しみ」です。
アレクシエーヴィチは言います。
「戦争は女の顔をしていない」には
気高い苦しみの声が集められています。
先ほど 映像でご紹介した
アレクシエーヴィチが語った
言葉なんですけれども
そのあとに 「だから私は
自分の言葉を付け加えないのです」と
おっしゃったんですよね。
そうですね はい。
自分たち作家は 時代に縛られていると。
だけれども 苦しみに…
…ということを言ってらっしゃいました。
そして
そうした言葉を 自分は探していると。
そこが 非常に彼女が
自分自身の作品の文学性と
考えているところなのだろうな
というふうに思いました。
すごいですね。 何か 文学性って
ともすれば その哲学の部分を
上手な文章で書くことが
文学性なんじゃないかなって
単純に思っちゃうんだけど。
思っちゃいますね。
僕も駄文を書きますけど
つい 書きたがるんですよ 何か。
作家が前に 前面に出てくるというのは
当然のことですけれども
証言と作家の言葉の比重というのが
むしろ 逆転していて
それは 苦しみから生まれた言葉という
それを伝えるというのが
使命だというふうに
思ってらっしゃるからなんだと
思うんですね。
そして この 文学として誕生した
原作なんですけれども
舞台にもなっていますし
それから テレビドラマにもなっている。
そして 日本では
2019年に漫画になっているんですね。
あ そうですか!
はい。
これは ちょっと
話題になっているようですね。
それも やっぱり彼女が
文章で真空パックしたおかげで
素材自体に
彼女が 強い味付けをしてると
他の料理には向かないんだと
思うんですけども
何か そういう可能性を
ちょっと感じますね。 ねえ。
さあ この本が伝えるのは
戦場の苦しみだけではありません。
戦後も長く続いた トラウマについての
語りを聞いていきましょう。
戦争の勝利を祝う記念日に
アレクシエーヴィチは 軍服姿の
寡黙な女性 オリガに出会いました。
後に 彼女の家を訪ねると
戦争から戻ってきて
重い病気に かかったことを
語ってくれました。
原因が分からず いくつかの病院を回り
ついに出会った 年老いた医師から
こう言われたそうです。
まだ少女と呼べる年齢で戦場に行き
刻まれたトラウマ。
他にも こんな証言が続きます。
特に凄惨な体験を語ったのが
地下活動家だった リュドミーラです。
彼女は ナチスから拷問を受けていました。
壮絶な話だし 作り話でできない
リアリティーを すごくもって
しゃべられているというのが
分かりますね。 ほんとですね。
一人一人 こういった
トラウマを抱えた人の話を
アレクシエーヴィチは聞くんですけれど
そのアレクシエーヴィチにあったものは
同情ではなくて 共感だったと
沼野さん お考えなんですよね。
同情というのは 上の立場にいる人が
下の立場の人に対する感情ですよね。
それに対して 共感というのは
同等の立場にいる人が 相手の気持ちを
理解するという まあ感情移入と。
共感というのも
あまり
1人の人に共感しすぎてしまうと
その人の立場しか 分からなくなって
しまうわけですけれども
アレクシエーヴィチの場合は
ご存じのとおり
たくさんの人に心を寄せて
証言をとっているわけですから
その一人一人に共感を示していると
思うんですね。
前半のVTRにあった その
それは 人間に対する愛をもって
聞くしかないんだっていうのが
すごく僕は この 今の共感の話と
すごく響き合うんですね。
人として その立場にいたら
私も同じように つらいだろう
っていうことを思うことが
僕は多分 愛なんだろうって
思うんですね。
多分 共感という意味を込めて
愛という
今 伊集院さんが おっしゃったとおり
なんじゃないかなと思います。
…という言葉を使っているんですね。
なので さまざまな それこそ…
そういうことを考えている
ということだと思います。
さあ 作者である
アレクシエーヴィチだけでなく
証言者の中にも
他者への苦しみへの共感力がありました。
軍医のエフロシーニヤが語るのは
乗っていた輸送列車が止まって
休んでいた時のこと。
ドイツ人捕虜が近寄ってきて
「食べ物をくれ」と言います。
エフロシーニヤは
持っていたパンを分けてやります。
すると そばで粥を炊いていた
味方のソ連兵たちが非難してきました。
しかし しばらくたってから
その兵士たちもドイツの捕虜たちに近づき
こう言ったのです。
衛生指導員のタマーラは
終戦間近の戦場で 2人の負傷兵を
助けた日のことを振り返ります。
1人を引きずっては また戻って
2人目を引きずる…。
交互に繰り返し ようやく
たどりついたところで よく見ると
片方は なんと
敵軍 ドイツの兵士でした。
敵味方というのが
普通のね 図式ですけれども
それだけには収まらない
人間の複雑な心理 感情ですよね。
そうしたものが
本当に素直に 率直に語られている。
それを アレクシエーヴィチは
とても大切だというふうに
考えたわけですよね。
男性の兵士が パンをあげて
それから お粥をあげて
更に そこに サーロって呼ばれる
脂肉をつけてあげるって
これ ものすごく
当時の弱っている兵士たちにとっては
エネルギーになりますよね。
もしかしたら そういうのを
ソ連兵だって 食べたいと思っていて
なかなか
口にできないものかもしれないのに。
ある意味では その…
戦争によって 憎しみによって
消えちゃうものもあれば
それでも消えないものがあったりが
出てるのは すごく すてきです。
そして 人間以外にもですね
アレクシエーヴィチは
共感を寄せているんですよね。
そうですね ええ。 自然に対する共感
というものを 非常に大切にしています。
「戦争は女の顔をしていない」
という作品の中にも
「馬や小鳥たちの思い出」
という章があるくらいなんですね。
そうなんです。
人間の都合で始めた戦争に
動物たちを巻き込むわけですよね。
そして 五部作の中で
「チェルノブイリの祈り」というのが
ありますけれども
そこで特に強く感じるのが この
自然に対するエンパシーなんですね。
それ以後に アレクシエーヴィチが
日本に来て 福島を訪れたことがあります。
そこで
非常に強く 主張していらしたのが…
福島に来て下さったことがある
というのも ちょっと驚きますね。
それもね
存じ上げませんでしたね。 ありがたい。
なので ちょっと ご一緒して
被災地を回りましたけれども
本当に 目線を同じくして
上からではなくて 同等の人として
それこそ 感情を引き出すような質問を
たくさん なさっていたのが印象的です。
「戦争は女の顔をしていない」
この本が出た数年後に
ソ連が崩壊していますけれど
そこから 今に至る道程を
アレクシエーヴィチは
どう捉えているんですか?
まあ ソ連が崩壊して
日本の私たちから見ると
より自由な社会になるだろう
というふうに期待していましたよね。
結局 資本主義の道を選んで
しかも それが 非常に原始的な
資本主義だったと思うんですね。
つまり 拝金主義だったり
成金の人が出てきたりだとか
それから そこには もう駄目だ
いけないと思って 絶望する人。
そうした中で また強い指導者…
ゴルバチョフのペレストロイカの頃から
少しずつ手に入れた 「自由」。
それを売り渡してでも 豊かになりたい
という人々の欲望は 強い指導者を求め
再び ナショナリズムが
台頭し始めました。
それは アレクシエーヴィチにとって
どこかで見た光景
何もかもが使い古しの
「セカンドハンドの時代」でした。
アレクシエーヴィチの祖国
ベラルーシも
ルカシェンコ大統領による
独裁的な政権が 国民を抑圧しています。
しかし 2020年8月に行われた
大統領選の不正疑惑をめぐり
国民は立ち上がりました。
ルカシェンコ大統領の退陣を求める
抗議デモが
連日のように 続けられたのです。
民主化を求める国民の支持を
集めているのが
スヴェトラーナ・チハノフスカヤを中心に
設立された 「政権移譲調整評議会」。
アレクシエーヴィチも
幹部として 名を連ねています。
しかし現在 メンバーのほぼ全員が
逮捕や国外退去を強いられ
アレクシエーヴィチも
国外で活動せざるをえない状況です。
アレクシエーヴィチは
ベラルーシの民主化運動を
「革命」と呼びます。
彼女は インターネットに
声明を出しました。
今の映像にもありましたけど
こちらの3人ですね。
現在のベラルーシ民主化運動の
中心的な存在となっている
3人とも 女性なんですね。
女三銃士みたいに
呼んでいるんですけれども
この三銃士を アレクシエーヴィチも
非常に応援してきているわけですね。
どうしても
その 心のことを置き去りにしがちで
個人個人の気持ち みたいのを
ちょっと 置いてきすぎてるんじゃないか
というのは
やっぱり この 自分の国とかに対しても
思うことです。
まさに おっしゃるとおりだと思いますね。
それで 今 こうした女性たちが
頑張っているというのは
今の民主化運動は 女の顔をしていると。
つまり 感情を大事にしている
というふうに感じています。
沼野さん 今 改めて私たちが
「戦争は女の顔をしていない」を読む意味
意義というのは どうお考えですか?
一つは 他者の声を聞くことです。
2つ目には それを…
自分のこととして考えるということです。
そう思ってみると…
例えば…
もう 何だか ひと事ではない
というふうに思います。
なので 他者の声を聞いて
それを わが身に引き受けるということの
大事さというんでしょうか。
学ぶことができるのではないか
というふうに考えています。
いや~ 伊集院さん いかがでしたか?
まさに 先生 言うとおり
ああ 全く 今の我々の周りの
問題でもあるなというのは
すごい感じましたね。
沼野さん ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
最後に アレクシエーヴィチから
番組へのメッセージを お届けします。
(アレクシエーヴィチ)私たちが 私たちの革命で
証明しようとしたのも このことだし
私は 生涯をかけて
このことを書いてきました。
♬~
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