出典:EPGの番組情報
NHK地域局発 ラウンドちゅうごく▽やっぱり一緒に食べたいねコロナ禍こども食堂[字]
この1年、誰かとご飯を食べる機会が減っていますよね。でも「こども食堂」は増え続けています。コロナ禍で浮かび上がった「こども食堂」のもう一つの価値をお伝えします。
番組内容
コロナ禍でも「こども食堂」が増えているって、ご存知でしたか?「こども食堂」とは、地域の子どもたちに無料または低額で食事を提供する場のこと。この1年、誰かと一緒に食事をすることが難しくなっていますが、そんな中、どうして増えているんでしょうか?コロナ過で浮かび上がった、「こども食堂」のもう一つの価値。この放送を見ていただければ、「こども食堂」のイメージがちょっと変わるかもしれませんよ。
出演者
【ゲスト】京都大学准教授…藤原辰史,【司会】出山知樹,【語り】水野貴絵ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – グルメ・料理
福祉 – 社会福祉
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- 高齢者
- 時間
- 女性
- 食事
- 地域食堂
- 大切
- 表情
- 弁当
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
その食堂は 公園の一角に建つ
集会所にあります。
3月上旬。
おいしそうな お弁当を作っていました。
これ 梅しそ。
こんなものが。 フフフ。
旬の食材で作る お弁当。
週に1度 ここに来る
こどもや その家族に
持ち帰ってもらうためのものです。
かつて ここは 毎週たくさんの親子が
集まる 「こども食堂」でした。
去年の12月以降
集まって食事ができない状態が
続いていました。
お弁当を配るだけになっても
食堂を続けたのは
ここを訪れる人たちとの
つながりを維持するため。
≪レイコさ~ん。
は~い やっほ~。
≪レイコさん やっほ~。
やっほ~ しょうたろうくん。
お~ うまそうな お菓子。
≪バイバーイ!
バイバーイ またあとで!
はい いらっしゃ~い こんにちは!
一緒に食べられなくなっても なお
全国で こども食堂は増え続けています。
失って 改めて気付いた
誰かと一緒に食べることの尊さ。
こども食堂の現場から お伝えします。
ありがとうございます。
どういたしまして。
こちらは 先ほどVTRに出てきた
こども食堂です。
全国に およそ 5, 000か所ありまして
コロナ禍でも増えています。
中国地方の こども食堂の数は
およそ 300か所。
そのうち コロナ禍でも
新たに開設されたのは
39か所に上ります。
こども食堂といいますと
「貧困対策」としてのイメージが
先行していましたが
今 このコロナ禍で それだけではない
大きな可能性がある場として
注目されています。
再開を迎えた 夕焼けぽっぽ食堂を通して
その可能性を見つめます。
金曜日。
3か月ぶりに
みんなで食べる日が やってきました。
長く お弁当を配ることしか
できませんでしたが
この日から ここに集まって
食べます。
感染対策のため 入念に消毒をします。
4年前から夕焼けぽっぽ食堂を
運営している…
はなあふのニンジン。 かわいいでしょ。
この日のニンジンは 有機栽培に取り組む
農家が寄付してくれました。
手作りの みそと
たっぷりの野菜を使った
夕焼けぽっぽ食堂名物の豚汁が
復活しました。
他にも キャベツとベーコンの炒め物
はっさくゼリーなど
体に優しいメニューです。
夕焼けぽっぽ食堂が再開されるのを
人一倍 待っていた人がいます。
広島市内で 夫と2人のこどもと
暮らしています。
夫婦は県外の出身。
近くに頼れる人もいません。
心細い中で 夕焼けぽっぽ食堂が
安らげる場所になっていました。
なんか すごく…
(一同)いただきます。
夫は仕事で帰りが遅く
コロナ禍で こども食堂がない間
平日は いつも3人で
夕食をとってきました。
食べたくないやつ!
こどもと向き合い続ける日々でした。
「ああ…」みたいな
なんかこう ちょっと…
そういうのは ありました。
3月12日 午後4時。
夕焼けぽっぽ食堂
再開の時間が やってきました。
あっ 来た~。
あっ こんにちは。
真っ先に やって来たのは
幸田さん親子でした。
よっちゃん こんにちは。
こんにちは。
家族以外との食事は 久々です。
≪入っとる 入っとる。
イエーイ!
レイコさんが 妹のよっちゃんを
だっこしてくれました。
ありがとうございます。
あっ ほんま?
お兄ちゃんの たっちゃんも
お母さんに思い切り甘えられて満足そう。
ここ おいで。
たっちゃんと同じ あだ名で呼ばれる
小学生のお兄さんが やって来ました。
たっちゃんお兄ちゃんだって。
たつやくん?
≪たつやくん。
≪イエーイ!
今も…
うん。
こども食堂が開いている3時間。
やって来た人たちは
その理由も境遇も さまざまでした。
≪ありがとう!
あっ そうなんですか。 そうなんじゃ。
終了間際に駆け込んできたのは
仕事が終わったばかりの
お母さんと息子。
ありがとうございました。
誰もが立ち寄れて…
コロナで その大切さを
かみしめたからこそ
レイコさんは
守っていきたいと考えています。
ゲストには 「食」 「食べること」を
歴史学の視点から研究されている
京都大学准教授の 藤原辰史さんに
お越し頂きました。
どうぞ よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
こども食堂のコロナ禍での取り組み
どのように ご覧になりました?
印象的だったのは
皆さんの表情なんですよね。
作ってらっしゃるレイコさんも
それから 家族で来られた幸田さん
それから お子さんの顔の ほころんでいく
感じっていうんでしょうかね。
コロナで なかなか
人と会えなかったって気持ちが
いろんな方の こう
表情とかですね 笑顔とか
そういうもので満たされていくというのが
私には すごく印象的でしたね。
またコロナということがあって
一気に更に それが
分断されるということに
なってきましたよね。
その中だからこその こども食堂の意味
っていうのはあるんでしょうか?
そうですね むしろコロナで分断されて
誰と こう 同じ空気を共有して
食べられなくなったからこそ
逆に みんなが分かったというか。
実は自分たちの心を
和やかにしていたり
あるいは こどもの教育に
不思議な効果を与えていたとか…
それが やっぱり
このコロナの時代だったと思います。
藤原さんは去年 「縁食論」という本を出版。
「縁食」という
新しい考え方を提唱しています。
縁食とは 「孤食」と「共食」の間。
共食とは 家族などの…
その間にある縁食とは
たまたま その場に居合わせたなど…
藤原さんは その縁食を体現しているのが
こども食堂だといいます。
ひとりぼっちほど さみしくはない。
だけど みんなで一緒に食べましょう
みんなでメンバーシップを
確認し合いましょうっていう
そういうふうな こう
強い確認のし合いみたいなものもない。
その間にある…
「じゃあ またね」って感じで こう
遠慮なく去れるし
遠慮なく来れるっていう。
今 この社会の中で なぜ縁食という概念が
重要になってくるんでしょうか?
コロナ禍で この縁食の場所が
私たちに伝えたっていうのは…
…っていうことに気付いた。
コロナっていうのは結局 「ステイホーム」
という言い方がされたと思うんです。
だけれども今まで あまりにも
「ホーム」っていう言葉を
お父さん お母さんがいて
テーブルがあって
おいしいごはんを食べてる
っていうものに求め過ぎてきた。
広告とかCMで
見られるようなですね
そういうものに求め過ぎてきたことを
逆にコロナが 私たちに伝えてくれた。
例えば お母さんの負担が
すごく増えてしまうとか。 そうです。
やっぱり特に女性ですよね。
この社会って どうしても
最終的には女性に対して
家にいるべきだというふうに
言われてしまう。
家で こども見るべきだと
言われる女性に
この社会の矛盾が集中してしまう。
弁当 作りなさい 愛情をかけなさい
こどもの勉強 見なさいっていう。
すごく今回の映像で面白かったのが
たっちゃんですね。
私も 辰史って名前なんで。
あっ そうなんですね。
たっちゃんって呼ばれてたので
僕も頑張ろうと思ったんですけど
あれ やっぱり 家族と違うお兄ちゃんと
いわば 関係性を結んでるわけですよ。
たまたま同じ名前だったから。
これで 実は 家族内で閉じ込めなきゃ
いけなかったような問題が
パッと開いていく。
それから ほんとに印象的だったのは
お膝ですよね。
幸田さんのお膝の上にいた お子さんが
預けられるわけですよね。
そうすると 我慢していたお兄ちゃんが
たっちゃんが やって来て
占拠できるわけですね お母さんを。
これは多分3人の関係では
できなかったのが…
ですから やはり そういう形でも
人との ふれあいというか… を
続けていくということが大切だと。
やっぱり 家族の形態も働き方も
もう 私たちが昭和の時代に
抱いていたような
ああいう 家族団らんのイメージは
ないんですよね。
もう仕事もバラバラ 時間帯もバラバラ。
で それを やっぱり
家族の崩壊だと嘆く人もいますが
私は逆で むしろ いろんな家族以外の人と
家族が つながる可能性が出来ていく。
コロナ禍で その重要性を増している
こども食堂ですが
中国地方でも特に こども食堂の数が
増えている鳥取県では
孤立しがちな お年寄りと
一緒になった
新しい形の こども食堂が
生まれています。
市街地と山間部の間に
位置する集落です。
コロナ禍の去年9月
新しく こども食堂が出来ました。
月に1回
地区のコミュニティーセンターで
開催されています。
集まっているのは こどもたちや
その親だけではありません。
高齢者も
多く訪れるんです。
(笑い声)
(取材者)おいくつですか?
実は ここ こども食堂を発展させ
「地域食堂」として運営されています。
世代に関係なく
誰もが訪れることができます。
高齢者の皆さんは
ただ食べに来ているわけではありません。
会場の設営や調理
こどもの遊び相手など
ひとりひとりに
「役割」があるのが特徴です。
90歳の この女性。
家での食事は家族が
作ってくれるそうですが
本当は料理が大好きなんだとか。
こちらの81歳の女性は
家で母親の介護をしながらの暮らし。
この地域食堂を立ち上げた…
高齢者に役割を
持ってもらうことにしたのには
理由がありました。
♬~(歌声)
大門さんの誘いを受けて 今年の1月から
地域食堂に通うようになった人がいます。
人に頼らず 元気に暮らしたいと
毎朝1時間の散歩を欠かしません。
10代の頃から建具職人として働き
家族を支えてきた 谷本さん。
6年前に妻が亡くなってから
ひとりで暮らしています。
妻が亡くなるまで
台所に入ることはありませんでしたが
今では毎食 自分で用意しています。
近所に住む息子夫婦に
食事に招かれても
お客さん扱いされるのが嫌で
行かないんだとか。
コロナ禍で ひとりで過ごすことが
ますます増えた谷本さん。
気丈に振る舞いながらも
ふと こんな本音を話してくれました。
月に1度の地域食堂の日。
おはようございます。
(一同)おはようございます。
谷本さんが取り出したのは
たくさんの おもちゃです。
僕 できる。
食堂を もっと楽しい場所にしてほしい
という相談を受け
おもちゃ担当として
通うようになりました。
谷本さんが何より楽しみにしているのは
みんなで 一緒に食べる時間。
この日のメインは
野菜たっぷりの かき揚げです。
≪いただきます。
(一同)いただきます。
感染対策のため 食事中は
会話を控えることになっています。
谷本さん 家と変わらず
黙々と食べていますが…。
食べながらの会話は できなくても
「ただ一緒に食べる」時間が
谷本さんを元気づけています。
いかがですか? ご覧になって。
最後のところで
黙食が出てきましたよね。
黙食なんだけど谷本さんは
「さびしくない」
おっしゃってたっていうのが
その場で いろんな顔があって
たとえ言葉が かけられていなくても
たとえ しゃべるのが苦手でも
その なんていうのかな 表情で
常に変化する表情と
常に変化する料理とですね
料理を食べてる自分の おなかの具合。
変化を共に感じられる空間が
あそこにあるっていう。
で 自分も参加してるっていうことが
あの ふれあい食堂の特徴ですよね。
みんなが集まって食事をすることで
更に いいことがありました。
先月から 高齢者と中高生などが一緒に
「買い物ツアー」をすることになりました。
食堂に みんなが集まった時
高齢者から 「足も悪く…」
…という声が出たのが きっかけでした。
言いやすい場。 自分の いろんな思いを
外に出しやすい場っていうことになる。
ふだん やっぱり不満って
なかなか言いづらいですよね。
特に今みたいに
自己責任論が強い社会だと。
食べる空間って そういうのを
解除していくんですよね。
自然と ほころんでって
「いや 実はね…」って
つい こう 弱音とかですね
あるいは つい自分の心に
沈めていたものが漏れやすい。
これは やっぱり…
なかなか遠慮して言えないっていう
ようなことも あったりもしますもんね。
こども食堂 そして
地域食堂の現場からですね
コロナ禍を生きていく私たちが
見ることができる大切な部分は
どういうところだというふうに
お考えでしょうか?
このコロナ禍って
コロナ禍以前からあった
さまざまな社会の矛盾が
より分かりやすい形で目の前に
さらされてきたと思うんですね。
あなたたち家族のせいだよね
あなたの努力が足りないから
こどもが こんな思いに
なってるんだよっていう
そういう 暗に強いメッセージを
恐らくコロナ以前から
私たちは受け続けてきたんですけど
いいじゃないか。
しかも それは別に 助ける 助け合う
っていう硬直した関係じゃなくって…
別に話さなくたっていいんだ。
逆に社会の中で そういう
人とのつながりとか
コミュニケーションが どんどん
少なくなってきたっていうことが
このコロナで逆に より分かって
ほんとに大切なものっていうのを
やっぱり取り戻そうとしてる
っていうような流れっていうことも…?
そうですね そうですね。
実は この縁食の空間は そういう場所。
あなただけのせいじゃなくって
みんなで この こども
あるいは みんなで このお年寄りたちと
生きていこうよっていうメッセージが
自然に出てくるわけですから
実はコロナ以前からあった問題を
おせっかいを集めながら かわしてきた
っていうか そういう場所だったと。
そういうふうなコロナ以前の問題を
やっぱり敏感に感じ取る
地震計のような場所だったからこそ
同じごはんを食べながら
語り合うっていうことが
求められてきたっていうんでしょうかね
このコロナを機に。
恐らく今後も多分
こういう場所っていうのが
どんどん求められてきて
増えていくんじゃないかと思ってますね。
今日は どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
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