出典:EPGの番組情報
NHK地域局発 くまもとの風「いまも一緒に生きている」[字]
熊本地震から5年。復興は着実に進む一方で、大切な人を失った人々の心の傷はいまだ癒えぬまま。かけがえのない我が子を失った2組の家族。地震後の歩みを見つめた。
番組内容
甚大な被害をもたらした熊本地震から5年。熊本城天守閣の再建や新阿蘇大橋の開通など、復興は着実に進み、街は傷だらけだったかつての姿から一変した。しかし一方で、かけがえのないわが子を失った人々はいまだに悲しみと苦しみの中にいる。わが子が生きていたことを、忘れられない、忘れてもらいたくない。社会の風化と自分自身の風化に抗(あらが)おうとする家族の記録。ジャンル :
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(悲鳴)
倒れる倒れる。
震度7が2度にわたり襲った熊本地震。
ちょうど今崩れました 石垣崩れました
崩れました。
276人もの尊い命が 犠牲となりました。
あの日から 5年。
シンボル 熊本城の天守閣が復活。
どうぞ!
豊肥本線全線開通です。
鉄道や道路など復興は急ピッチで進み
元の暮らしを取り戻そうとしています。
未来への歩みの中
あの日に とどまる人がいます。
最愛の我が子を失った 親たちです。
一緒に生きるはずだった
未来がありました。
退院したら一緒に遊ぼうね。
決して帰ってこない 我が子との日々。
それでも 共に生き続けたいと願う
家族の姿を
見つめます。
いまだ通行規制された道路。
その先には かつて阿蘇大橋がありました。
大和卓也さん。
この場所を毎週 必ず訪ねています。
5年前
ここで大学生だった息子を亡くしました。
供えるのは
いつも黄色い花と決めています。
…を求めていたっていうところで。
大和 晃さん。
被害に遭ったのは
熊本市内で被災した友人に
食料と水を届けた帰りのことでした。
2度の強い揺れに襲われた南阿蘇村では
大規模な土砂崩れが発生。
阿蘇の
玄関口だった阿蘇大橋が崩落しました。
晃さんは まさにその瞬間
橋の近くを車で走っていたのです。
橋を直撃した土砂崩れに巻き込まれ
車ごと行方が分からなくなりました。
目を そむけたくなる景色。
それでも 通い続ける理由があります。
自宅には 被害のすさまじさを物語る物が
残されています。
捜索のビラですか?
うん。
唯一の手がかりは 当時
晃さんが乗っていた黄色い車でした。
捜索は
当初から困難を極めました。
現場は 大量の土砂が流れ込んだ
およそ70mの谷底。
二次災害の危険性から 県の判断で
捜索は 2週間ほどで
打ち切られました。
…いうのが自分の気持ち。
頼りをなくした大和さん夫婦。
自分たちで息子を捜し出すと決めました。
手作りの地図に印をつけ
しらみつぶしに歩いて回りました。
来る日も来る日も 足を運び続けました。
このままね これに身を投げれば
自分は本当 気持ちが楽になるな。
立ち入るのが難しい場所は
崖の上から双眼鏡でのぞき
目を凝らし捜しました。
そして 捜索打ち切りから85日後。
ついに 黄色い車体が見つかりました。
晃~!
やっと これで。
5年が近づいた今も 忍さんには
日課にしていることがあります。
千羽鶴を作ることです。
息子が帰ってくることを祈って
折り始めた鶴。
見つかったあとも毎日折り続け
その数は 1万6, 000羽を超えました。
この日2人は 晃さんが見つかった
古い阿蘇大橋の近くを掃除していました。
崖の下には 引き上げ切れなかった
車の一部が まだ残されたままです。
息子が最期の時を迎えた場所。
その近くに出来た新阿蘇大橋の上を
もうすぐ多くの人や車が行き交います。
目の前に見えるものは
着々と進んでいって
自分が進めてないっていうところでの
もどかしい思いだったり。
まず…
阿蘇地域復活再生に大きな効果を
もたらすものと確信しています。
どうぞ!
たくさんの人が待ち望んだ 橋の開通です。
その日の夕方
2人は ある場所を訪ねました。
あ~ ゆうくんも。
あ~ もう何か…。
いや~ 元気しよった? よかった。
もういっぱい話したいです
いっぱい話したい。
熊本地震のあと
手作りで復興イベントを開催してきた
地元の大学生や卒業生です。
大和さん夫婦も
4年前から手伝っています。
あ~ 本当 監督になったん。
息子と同じ年頃の 若者たち。
地域のため活動を続ける彼らを
見守り続けています。
今 家探してる途中…。
教員ば 目指しよるけんですね。
あ~ そう。
今も息子から
たくさんのものを受け取りながら
2人は 生きています。
お帰りなさ~い。
お帰り~。
お帰りなさ~い。
合志市に住む
宮崎さくらさん一家。
家族で過ごす時間には
いつも決まって人形が参加します。
残念~。
人形の持ち主は 次女の花梨ちゃん。
熊本地震の直後 4歳で亡くなりました。
生まれつき心臓の病気を患い
熊本市民病院で
入退院を繰り返していました。
退院したら一緒に遊ぼうね。
おもちゃでいっぱい遊ぼうね。
バイバイ。
3度目の手術を無事に終え
退院すれば待ちに待った幼稚園に
通うはずでした。
しかし それは かなわぬ夢となりました。
治療が継続できず
およそ100キロ離れた福岡の病院へ
転院を余儀なくされたのです。
自分は元気だって言って。
起き上がるのも
きついような状態だったんですよ。
お母さんも近くにいるから
すぐだからねって声かけたのが
最後ですね 話したのは。
混乱の中 転院によって状態が悪化。
5日後 息を引き取りました。
熊本市民病院は
耐震基準を満たしていませんでしたが
財政的な理由で
建て替えが延期されていました。
更に 水の確保や災害マニュアルも
十分ではありませんでした。
最も安全なはずの病院で
失われた娘の命。
現実を受け入れられない
受け入れたくない。
周りの人々が復興へ進む中
さくらさんは あえて それを拒み
苦しみ続けました。
その時 頭に浮かぶのは
病気に負けず
強く生きようとしていた娘の姿でした。
花梨の方が絶対 頑張ってたから。
それよりも楽なことは
絶対に私はしたくない。
花梨ちゃんがいなくなってからも
さくらさんは
ずっと続けていることがあります。
家族全員分のごはんを 作ることです。
4歳で亡くなった花梨ちゃん。
5年の歳月が流れる今
さくらさんは
ある不安を感じています。
本当…
頂きます。
頂きます。
慌ただしい日々の中 娘がいない日常に
慣れていく自分がいました。
気付いたら今日 全然
話しかけてないんじゃないのかなとか…。
生きていくのと
亡くなった人のことを思うのは
難しい 本当に。
1年半前から さくらさんは
庭で花を育て始めました。
春に花を咲かせます。
大きくなった苗は
ある場所に植えると決めています。
熊本市民病院。
耐震性を高め建て直されました。
その片隅に さくらさんの花壇は
あります。
娘の死を決して無駄にせず
教訓としてほしい。
病院にお願いして 作った花壇です。
やっぱり…
花に託した 静かな訴え。
そして さくらさんにとって
何より大切な時間になっています。
花梨ちゃんと2人で
花を育てる気持ちでいるからです。
花を育てる時間は
娘との新たな思い出として
さくらさんの中に増えていきます。
それは これからも
ずっと増え続けていきます。
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