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横浜博覧会は今の横浜にどんな影響を残してる?

ココがキニナル!

横浜博覧会の特集をお願いします。コスモクロックと動く歩道以外で今も残っているものはある?ブルアちゃんに会いたい!(マルタンさん)/横浜博覧会は今の横浜にどのように影響したのでしょう?(ひろりん。さん)

はまれぽ調査結果!

横浜博覧会は横浜の発展の起爆剤になったと言えるだろうし、多くの人の記憶に大切な思い出として残っていた。そして今もいくつかの名残を発見できる!

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ライター:橘 アリー

横浜開港130年の節目のイベント



1989(平成元)年に開催された横浜博覧会。この年は、横浜開港から130年、横浜市制100年の節目の年。
そして、横浜博覧会が行われた頃は、今とは違って、とても景気の良い時代だった。
そのためか、3年前の横浜開港150周年記念のイベントとは比べものにならないほど、活気のあるイベントだった。
 


動く歩道と会場の様子(横浜市史資料室より)


横浜博覧会が終わった後から、みなとみらい地区は整備が進められ、見栄えの良い街へと様変わりしていった。しかしそれでも、みなとみらい地区を歩いていると時々、横浜博覧会当時の様子を思い返すことがある。

そこで、懐かしい当時の様子を辿りながら、「横浜博覧会が現在の横浜にどのように影響したのか」「今のみなとみらい21地区でその名残があるのか」などを調べていきたい。
 


横浜博覧会会場夜景(横浜市史資料室より)



横浜博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」



まずは、「横浜博覧会の基本計画書」で横浜博覧会の概要を見てみることに。
 


横浜博覧会の基本計画書(右)と公式記録(左)


横浜博覧会の推進団体は、財団法人横浜博覧会協会で、博覧会のテーマは「宇宙と子供たち」である。このテーマには、きたるべき21世紀の望ましい姿を希求する、という想いが込められていたようだ。

開催場所は、みなとみらい21地区(西区及び中区)で、会場の規模は63ヘクタール(東京ドーム約13個分)。開催期間は、1989(平成元)年3月25日(土)~10月1日(日)の191日間である。動員目標は1250万人で、当時の横浜の人口は300万人くらいだったので、横浜の人口の約4倍強の動員が見込まれていたことになる。発表されている動員数は1333万7150人だったので、動員目標は達成されている。

会場は7つのスペースに区分されていた。
 

区分 主な構成要素
テーマゾーン テーマパビリオン(宇宙館・地球館・人間館)
テーマパーク(ロケットパーク・コスモキャンプ・子供共和国)
ヨコハマゾーン ①横浜館 ②国際交流館 ③開港記念村 ④シーサイドパーク
海と船のゾーン ①横浜マリタイムミュージアム ②日本丸 ③日本丸メモリアルパーク ④スペース・ホイール
アートミュージアムゾーン ①横浜美術館 ②グランモール公園
フェスティバルストリート ①仮設移動型ステージ ②歩道ミニショップ他
イベントゾーン ①大ホール
パビリオン出展ゾーン ①民間企業出典パビリオン ②公共団体出展パビリオン

 


横浜博覧会、会場計画基本設計図(横浜博覧会の基本計画書より)
 

横浜博覧会会場の全体図(横浜市史資料室より)


交通手段も整っていて、桜木町駅から会場の間は「動く歩道」、横浜駅東口の横浜そごうからは「ゴンドラリフト」、そして、会場と山下公園の間には、山下臨港線を利用して横浜開港当時を思わせるようなディーゼルカーの鉄道が運行していた。

当時、山下公園には、公園横の道路と並行して、使われていない山下臨港線の高架橋が残されたまま、そして現在の汽車道と山下臨港線プロムナードも、整備されていない山下臨港線跡のままであった。ディーゼルカーの鉄道は、それらの山下臨港線跡を利用したものであった。
筆者もこのディーゼルカーの鉄道に何度も乗ったが、のんびりとしてロマンのある鉄道だったと思う。
 


ディーゼルカーの様子(横浜市史資料室より)


その他にも、ヨコハマゾーンの横(現在の臨港パークの横)にはヘリポートもあった。このヘリポートから、羽田空港との間の定期便が就航していたのだ。
現在もこのヘリポートは、「みなとみらい臨時ヘリポート」という名称で存在し、ヘリコプターでの遊覧飛行などに利用されている。
 


現在のヘリポートの様子