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世界帝国の支配の手法1:分断統治
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分断統治,分割統治:
「分断して統治(支配)せよ」Divide and Rule / Conquer 「Divide et impera」
古代ローマ帝国は、支配下に治めた都市相互の連帯を禁じ、都市毎に応じて処遇に格差をつける分割統治によって、征服した都市からの反乱を抑えることに成功した。
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/分割統治
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「Divide et impera」
ある国を2つに分断すること、もしくは2つの勢力を支援することで、国内に不安定な状況を意図的に生み出し、その国の国力を削ぐことで、【帝国】の絶対的な優位を保つ戦略。
また、複数の国家が連携して【帝国】に逆らわないように、国家間を分断する戦略。
【川崎泰彦 記】
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真の分割統治、ラテン語の「Divide et impera」は、国(問題)を扱いやすい単位に分割するのが目的ではない。元々結束していた一国を2つに分断することで、国内に不安定な状況を意図的に生み出し、その国の国力を削ぐことが目的だ。支配下にある国を分断して国力を削ぐことで、自分たち支配国(ローマや西欧列強)【帝国】の絶対的な優位を保つ戦略が「Divide et impera」なのだ。
2007/11/3 Ouobpo 佐藤 匡剛氏 より
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元老院は、敗れた民族から土地の一部を取り上げ、同盟国に与えた。
こうすることには、二つの意図があった。
ほとんど恐れるに及ばず、むしろ大いに期待できる王たち【国家】をローマ【アメリカ】に結びつけること。
そして、期待できるものが何もなく、あらゆる点で警戒すべき他の王たち【国家】を弱めること。
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大君主たち【国家】を常に弱体にしておくため、ローマ人は、自分たちがすでに同盟関係を結んでいる者と、これらの君主が同盟関係に入ることを認めなかった。【日本が近隣諸国(露・中・韓、アジア)と同盟、友好関係を持つことを阻止してきた】その一方、彼らはある強大な君主の近隣諸国のいずれにも同盟関係を拒まなかったので、講和条約の中に含められたこの条件によって、その君主【国家】には同盟関係が全然残されないことになった。
モンテスキュー, 大岩 誠, 『ローマ人盛衰原因論』 より
【 】内、引用者注記
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◆分割統治(Divide and Conquer)について
Ouobpo 実行可能な思考のために
佐藤 匡剛 ( SATO, Tadayoshi )
2007-11-03
http://ameblo.jp/ouobpo/entry-10052917344.html
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・・・略・・・
古代ローマにおける分割統治とは、広大なローマ帝国を築き上げるために支配下の都市に対して行った政策のことだ。分割統治はまた、大航海時代の15世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパ列強が植民地を支配するための基本的な戦略としても用いられた。
この本来の国家統治の戦略としての分割統治がどんなものか、皆さんは知っているだろうか? 最初に書いたプログラミングにおける意味から素直に考えると、大きな国をそのままで統治することはできないので、国を細かい行政単位に分割して、その中をしっかりと統治していく。そして、統治の行き届いた小さい行政単位をまとめ上げることで、最終的に大きな国も安定的に統治していくことができる・・・というような至極平和なものを想像してしまう。
しかし、本来の意味はそんなものとは似ても似つかない、非常にドロドロとしたものなのだ。理路整然としたプログラミングにおける分割統治とは、根本的に思想が異なっている。
真の分割統治とはどんなものなのか
真の分割統治、ラテン語の「Divide et impera」は、国(問題)を扱いやすい単位に分割するのが目的ではない。元々結束していた一国を2つに分断することで、国内に不安定な状況を意図的に生み出し、その国の国力を削ぐことが目的だ。支配下にある国を分断して国力を削ぐことで、自分たち支配国(ローマや西欧列強)の絶対的な優位を保つ戦略が「Divide et impera」なのだ。
ローマの分割統治に関する正統な文献としてどれを引くべきかよく分からないので、とりあえず手元にあったモンテスキューの『ローマ人盛衰原因論』から引いてみる。
v:shapes=”_x0000_i1025″> モンテスキュー, 大岩 誠, 『ローマ人盛衰原因論』
元老院は、敗れた民族から土地の一部を取り上げ、同盟国に与えた。こうすることには、二つの意図があった。ほとんど恐れるに及ばず、むしろ大いに期待できる王たちをローマに結びつけること、そして、期待できるものが何もなく、あらゆる点で警戒すべき他の王たちを弱めることである。
ローマ人は、数多の敵を抱え込んだ時には、もっとも弱い敵と休戦条約を結んだ。
ローマ人は、いくつかの都市に自由を認めた時、そこにまず二つの党派を生じさせた。一方はその国の法律と自由を守った。他方は、ローマ人の意志以外に法律はないという立場をとった。
大君主たちを常に弱体にしておくため、ローマ人は、自分たちがすでに同盟関係を結んでいる者と、これらの君主が同盟関係に入ることを認めなかった。その一方、彼らはある強大な君主の近隣諸国のいずれにも同盟関係を拒まなかったので、講和条約の中に含められたこの条件によって、その君主には同盟関係が全然残されないことになった。
ローマ人は、二つの民族が戦争状態にあるのを見ると、同盟関係がまったくなくても、また両者のいずれとも争うべき事柄がなくても、その局面に介入せずにはいられなかった。そして、われわれの遍歴戦士の如く、彼らは弱い側の味方となった。
彼らは、かつてラテンの小都市の同盟を切り離したのと同じように、マケドニアの四つの地区の間の政治的社会的結合を突き崩した。
ある国家になんらかのもめ事が生じた時、ローマ人が直ちに問題を裁定した。 [...] 王位を争っているのが同じ血統の王子たちであるとすると、時には彼らは、二人とも王であると宣言した
・・・略・・・
【引用終了】
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Tags: Divide and Conquer, Divide and Rule, Divide et impera, モンテスキュー, ローマ帝国, 分割統治, 分断統治
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