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【ETV特集「シリーズ原発事故への道程-置き去りにされた慎重論 」】原発事故への道程 (後編

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20110925 原発事故への道程(後)1 投稿者 PMG5

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20110925 原発事故への道程(後)2 投稿者 PMG5

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山崎ツイートまとめ
国と電気事業連合と御用学者とその官製報道機関が神話を創造、流布されて国民までをも思考停止に陥らせ、事故が起きる日まで、考える事をやめた日本。ごく一部の心ある学者や市民運動家を除いて,国民は目覚めようとはしなかった。

Sarah Yamasaki 山崎淑子 prisonopera
2011年09月25日(日)

http://twilog.org/prisonopera/date-110925/asc

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伊方原発訴訟は日本で初めての「科学裁判」、この裁判を通して、今回の311フクイチ原発震災事故で噴出するありとあらゆる問題とリスクが網羅され争点となった。弁護団長 藤田一良さん「最悪の想定」を尋ねる。水を炉心に注入すれば炉心溶融に至る事はないとの国側の学者説明。森滝市郎「全て(続く
posted at 22:30:36
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ETVなう2)の核に反対すると原水爆禁止運動リーダーも法廷闘争に参加。こうして1973年、伊方原発訴訟始まった。原告側は原発事故の確立を尋ねるが、「1/100万しかない事故リスクの潜在性。ありそうもない事故なので、ありえない確率(100万年に1回)の裏付け」→米国リスク確率(続
posted at 22:35:29
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3)「隕石1/50億に匹敵してありえない」=安全神話=76年には最初の原子炉が設置。2号炉設置許可が起きるが住民反対に対して、「四国電力は社会通念から絶対ありえない」と返答。住民の訴え却下、2号炉建設強行。電気事業連合会は原発設置PRを開始。全国紙への広告出稿「原子力の安全性(続
posted at 22:38:12
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4)と可能性」を専門家が説いた。伊方訴訟の原告は焦燥感に駆られる(世論が変わっていった)。空気が賛成論に変化、提訴から3年目で大地震の可能性も争点。1972年、国の「安全審査会」には活断層や中央構造線についての記載が全くないことを原告が指摘。伊方原発のすぐ下には活断層が横断し(続
posted at 22:41:36
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5)ている事実を裁判で指摘。国側証人は活断層の存在を知らなかった。地震を起こす証拠がないから報告書に地震・活断層リスクを記載しなかったと裁判記録。判決前に判事が交代。78年4月25日、判決の日。提訴から4年、原発の安全性をめぐる判決では原告訴え退かれた。「原子炉の設置は国の
posted at 22:46:58
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6)l高度な裁量行為に属するもの=住民の合意に関係なく専門的裁量のみで決定できる」と。国側証人学者は「原発安全性は裁判に適さない」。1審棄却時点ですでに原発稼動開始され、住民を2分する対立だけが残った。反対住民、「カネで賛成を受け入れなかったのは、命を買うことができないから」と。
posted at 22:49:49
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7)日本で最初に原発建設稼動した東海村村長、「原発利権は強大だから、国策=行政=裁量権を認めた司法に守られて絶対権力者だった」。ところが74年9月1日、太平洋上で出力テスト中に放射能漏れを起こした原子力船「むつ」の責任なすりつけ合い。原子力委員会「規制と推進・開発」が1つの組織で
posted at 22:54:10
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8)運営されている矛盾が指摘。原子力行政の在り方を規制する論議=米国では強力な権限を持つ独立組織=NRC原子力規制委員会の設置が検討されるが反対意見が根強かった。日本の原子力開発の最終意見、76年7月提出。規模がNRCの1/10程度で意見を述べるにとどまり、直接指示・意見する
posted at 22:57:45
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9)権限はない「原子力安全委員会」の設置を政府に提案するだけ。「安全性なんて口にするな。安全性を銘打った研究なんてすべきでない」→それに反して安全性を追求したら「原子力ムラから村八分にされてしまう」と元委員。暗黙の了解が定着し、安全性問題はタブー視。ところがスリーマイル島事故が
posted at 23:04:38
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10)79年3月28日早朝に発生。炉心溶融が実際起きた現実を尻目に、国側は「審理は尽くされた」として結審を要求、裁判所は追随。84年12月、控訴棄却されたものの80年代には稼動率の低さが問題になった。各地の原発では故障やトラブル続出。長期間、稼動停止。稼動率低下。コストが安いはず
posted at 23:09:47
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11)のメリットいかせず、経団連会長の土光さんから「おい、なんとかしろ」と叱咤激励。修理・改善・改良費がかさんだため投資額が激増して「高くつく原発はペイしない」。米側からフクイチが採用してるマーク1型原発の欠陥が指摘され議論となった。GE元技術者のデール・ブラインデンボー氏は
posted at 23:14:14
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12)「欠陥原子炉マーク1は即、廃炉にすべきだった」と振り返る。核燃料サイクル、再処理をしてプルトニウム抽出し、高速増殖炉で再び燃料として再利用する国策の新たな始まり。国が急いだのは、インドの核実験成功(74年5月)で核拡散を懸念した。1978年に米個・国内用「核・非拡散法」
posted at 23:19:51
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13)を可決して他国に押し付ける危機感を感じた。米国議会がうるさく日本の内政干渉してくる前に、ウラン燃料管理から逃れる(使用済み核燃料の処理方法プルトニウム抽出を独自に→サイクルへの予算増額した)。チェルノブイリ原発事故。最高裁で伊方原発裁判、92年10月29日結審。
posted at 23:25:55
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13)敗訴理由は「国が決めるべきもので憲法違反とはいえない」。弁護団、「最低最悪の判決。大事故が起きたら、最高裁も共同責任を取らねばならない」と団長の弁護士、藤田。以降、「安全神話」が確率。原発立地を巡る住人訴訟では、原告が勝ったことがなかった。あの日、311原発震災が起こるまで
posted at 23:27:22
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14)は…。原子力ムjラ住民は未だに現実を受け入れられずに「原子力は必要。なんとか飼いならそう」と幻想から抜け出せず。思考停止状態→現実は、「1審で想定不適当とされた事態が、実際に起きた」。スリーマイル島では安全装置ECCSが停止してメルトダウンを起こし、大量の放射能放出した
posted at 23:34:55
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15)が、2審が始まったら国側は「スリーマイルは運転員の人為ミスだったので日本では起きない事故。設計的問題ないため圧力容器破損はありえない」と。以降、事故は起きないものと神話をつくり、信じ込ませて遂に311に至った。■山崎ツイートまとめ→国と電気事業連合と御用学者とその官製報道機
posted at 23:39:28
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16)関が神話を創造、流布されて国民までをも思考停止に陥らせ、事故が起きる日まで、考える事をやめた日本。ごく一部の心ある学者や市民運動家を除いて…国民は目覚めようとはしなかった。かくして美しい国ニッポンは放射能に犯され、国土と領民は被ばく汚染された(了)。長文読んで下さり感謝
posted at 23:42:12
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