時々お散歩日記

鈴木 耕

野田首相の「恥知らず国連演説案」

(日付不明)

http://www.magazine9.jp/osanpo/110921/

より

【引用開始】

一連の原発報道に関しては、東京新聞が抜きん出ている。小さな記事にも血が通っている。その東京新聞(9月19日)が、野田首相の22日の国連演説の予定稿を以下のように報じている。

(引用開始)

野田佳彦首相が二十二日にニューヨークの国連本部で開かれる「原発の安全性と核の安全保障に関するハイレベル会合」で行う演説案全容が十八日、判明した。東京電力福島第一原発事故を受け「原発の安全性を最高水準に高める」と表明、同時に「安全でより信頼性の高い原子力エネルギーの確保は引き続き必要だ」と直ちに「脱原発依存」へ移行しない立場を明確にする。事故原因を徹底検証し、結果は国際社会への全面開示を約束する。(略)

(引用終了)

「バカも休み休み言え」とか、「恥知らず」とか、「どのツラ下げての安全性か」とか、「蛙ならぬドジョウのツラにションベン」とか、「舌の根も乾かぬうちに」とか、「二枚舌おとこ」とか、ついでに「おまえの母ちゃんデベソ」などまでくっつけて、温和な(?)僕としても、異例の口汚さで罵倒したくなる中身だ。
「安全性を最高水準に高める」だと? どうやって?
人為的ミスをどう防ぐのかの手だてさえ提示できずに、「最高水準の安全性」などと口走ってはならない。「最高水準の安全」は、人間の操作がいっさい必要ないのなら、達成できるかもしれない。だが、人間が操作を行う限り、何らかのミスは必ず起きる。
東電が恥ずかしげもなく国会へ提出した真っ黒の「墨塗り作業手順書」が、それを物語っているではないか。あのデタラメ東電でさえ、「シビア・アクシデント(過酷事故)用作業手順書」を作っていたのだ。だが、それが事故防止に役立ったか。そんなものは毛1本ほどの役割も果たせなかったではないか。
どんなに綿密で精緻な「安全確保策」を作ろうと、それを裏切る事象は人間が関わる限り必ず起こる。その事故が、回復可能なものや場所で起きるのなら、かろうじて容認もできよう。だが、原発事故は他の機械技術とは根本的に違う。1度事故を起こせば、取り返しのつかない放射能汚染を招いてしまうのだ。回復不能だ。
「死の町」(!)と化した福島原発周辺の状況を理解しているのか、野田首相よ!
野田首相は「事故原因の徹底的検証」などを付け足して、なんとか国際的な面目を保とうとしているようだ。だが、その「徹底的検証」が終わらないうちに「安全でより信頼性の高い原子力エネルギーの確保」などと言い出せる、その神経が僕には理解できない。
百歩譲って、「事故原因の徹底検証」が済み、原因の完全解明がなされた上で、その原因を取り除く方法を提示してからなら、その言い方を受け入れる人もいよう(僕は受け入れないけれど)。だが、それが済みもしないうちに「原子力エネルギーの確保」だと? 言葉の使い方を、根本的に、徹底的に、完璧に、アホらしいほど、間違えている。
この首相の目にも耳にも、6万人以上(!)の人々の叫びや悲しみは届いていない。ドジョウは泥の中。泥の中はぬくぬくと、原発の余熱で暖かいか。
それにしても、あの凄まじい事故のフクシマの国からやってきた首相が「原発を、これからもやります」と語るのを、世界中の人々はいったいどう思うだろうか。

・・・

妙なレトリックに騙されてはいけない。「やがて自然に原発はなくなる。対立ではなく、妥協点を見つけよう」。
ウソをつけ! 彼ら(隠れ推進派)がいう妥協点とは、結局、原発論議を30年以上も先延ばしにするための、巧妙な罠でしかない。
僕は、一刻も早い原発からの撤退を主張する。それでも「原発が必要だ」と主張するのなら、

  1. あと30年間は絶対に今回のような大地震は起こらないという証明
  2. 増え続ける放射性廃棄物の処理方法の確立
  3. 「死の町」と化した福島原発周辺地域の完全な除染
  4. 4. 被曝した子どもたちの十分な治療方針及びその方法
  5. 原発事故被災者への完全な被害補償

少なくとも、この5項目にきちんとした答えを提示せよ。できないのなら、僕は「原発必要論」を絶対に認めない。
もう2度と「フクシマ」を繰り返してはならない。

【引用終了】

 

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