伊波 洋一 (いは よういち) @ihayoichi 伊波 洋一 (いは よういち)

海兵隊が世界一危険な普天間飛行場に、米国で危険性が指摘されてきた垂直離発着輸送機MV22オスプレイを2012年後半から配備すると通告した。
来週6月13日(月曜日)午前10時から午後5時まで宜野湾市役所玄関前で、オスプレイ配備反対の座り込みが始まる。
大きな闘いになっていくだろう。
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【山崎ジャーナル:“基地フリー沖縄”キャンペーンを支持します!】
ご存知の通り、私は1970年代から米国東海岸に留学→居住し、うち20年間をニューヨーク
で暮らし、仕事していました。
阪神大震災の直前、米大手監査法人を辞めて実家のある大阪へ帰国した公認会計士の夫を追って、神戸市東灘区岡本7丁目へ愛犬2匹を連れて転居しました。
ところが1995年1月17日の朝、阪神淡路大震災で被災し、財産の多くを失い、軽傷を負って3ヶ月後の4月20日、ニューヨークへ戻ってUS Frontline社の経済記者の職に就きます。
96年には自宅をミッドタウンから、アッパーイーストサイド70丁目に引っ越しますが、この新しい自宅の向かい側にアジア・ソサエティー、パーク街を渡った斜め向かい側にCFR【アメリカ外交関係評議会=または外交問題評議会と邦訳することもあるようです】本部があり、この2つの機関の視点と世界観、スピリットを骨の髄まで吸収しながら、ニューヨークの実業界でそこそこの成功を愉しんできました。
いうまでもない、両機関ともDavid Rockefellerさんが総裁であり、主たる集まりには65丁目のご自宅から顔を出されて最前列端に陣取り、参加者とご挨拶を交わしておられました。
アジア・ソサエティーとは名ばかりで、ここは事実上、中国の在NY大使館&民間親善交流サロンの役割を果たし、90年代中盤の大規模改増築後は賑やかな外交の場として、ジャパンソサエティーを尻目に、中国文化発信の最前線基地の役割を果たしてきました。
米中の政財界、芸術文化の重要人物が講演会やレセプションに招かれ、その末席に参加する私は「90年代からは米中の時代」と、その勢いに圧倒され目を見張るパーティー三昧の日々でした。
その通りの向かい、パーク街の71丁目角にあるビル(ロックフェラーさん所有)に、日本国・国連全権大使の公邸があります。
当時は小和田恒&優美子夫妻がお住まいで、うちの前で、朝のお散歩中のショコラ君と優美子ママにパッタリ出くわしたりしたものでした。
そんな閑静なパーク街の高級住宅地に、CFR本部ビルとサロンがあります。
メンバーは近くのレストラン、ダニエルやセッテ・メッゾに集い、アジアの視点で外交・安全保障を語る日本人実業家の私の世界観を、おもしろがって会食に招待してくれたものです。
私はこのCFR主催の講演会や勉強会に頻繁に出席して、「アメリカ・サイドの視点から論じる世界外交・安全保障・経済戦略」とはいかなる価値観なのか、どのような未来戦略が描かれているのかを交流・講演・論文を通して、2001年9月のテロ被災までの5年余り、たっぷり消化吸収してきました。
そのため、私が“米国の外交・安全保障戦略”を論評するとき、その哲学・思想・知識のベースには、CFRの精神が基本にあります。
もし、どなたかが「山崎ジャーナルには、一部陰謀論が語られている」との印象を受けられるとしたら、それは私、山崎淑子が陰謀論者なのではなく、それが「米国支配層が抱く対日支配戦略と、世界支配を目指す彼らの発想と視点を、代弁しているもの」であると、ご理解いただければ有難いです。
もし、あなたがこれを“陰謀論”だとお感じになるのでしたら、それは私が陰謀論者なのではなく、そこで展開される作戦や戦略スキーム自体が、恐らくは“陰謀”そのものなのかもしれませんね。
上記の前提を念頭に、山崎ジャーナルや私のつぶやきをお楽しみいただけましたら、本望でございます。
(山崎淑子 本人でした)。
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【山崎ジャーナル:冤罪被災者のきもち-9】
「日本に、オスプレイ配備を拒否する権利はない」と、本件に関し、うそぶいた米側の担当者。
これに当然、反発するのは地元、沖縄だけではない。
日本国民が、冗談じゃない、なんと無礼な、属国扱いしないでくれと、怒っている。
国務省元日本部長ケヴィン・メア氏の沖縄蔑視発言もまた、日本人を愚弄する、とんでも発言だった。
沖縄はもとより、日本人全体を貶める発言に、
「もはや戦後ではない、米軍よ、日本から出て行ってくれ!」
と、日本の怒りはおさまらず、「米軍基地は県外、いや国外へ出て行ってくれ!」
との沖縄擁護の声は、国民的コンセンサスへと高まりつつあった。
事態を憂慮し、深刻に受け止めたキャンベル国務次官補は急きょ、日本訪問の折に、「あれはメア氏の個人的発言で、米国政府の見解ではない」と陳謝。
事態の早期収拾にやっきとなった。
3月10日には、
ルース駐日大使もまた、慌てて沖縄を訪問し、県庁で仲井真知事に陳謝したが、知事は取り合わず、会談後に「そんなおいそれとは、簡単に片付く問題ではない。沖縄の感情というものがある」と、険しい表情のまま、収拾が容易につくはずのない厳しい現実を、囲みインタビューのTVカメラの前で、憮然と語った。
3月10日の出来事だった。
翌日の11日午前に「コンピュータ監視法案」が菅内閣で閣議決定され、午後の2時46分に大震災が東北沿岸部を襲った。
311原発震災が発生した瞬間、懸案の「沖縄基地支配をめぐるメア失言、日米外交防衛問題」は吹き飛んだ。
以降、メディアは「震災被害」と「原発大事故、放射線漏れ」報道一色となり、沖縄をめぐるメア失言事件は、まるで忘れられたかのようにマスコミからパッタリ消えたのである。
米軍が、待っていたかのように展開した「トモダチ作戦」がメディアを賑わし、大地震発生1週間を待たずして、世論は米軍歓迎ムードへまんまと誘導され、マスコミはまたしても乗せられ、利用された。
空気はすぐに、逆の方向へ変化した。
まるで終戦直後の米軍上陸を彷彿とさせる歓迎ムードと感動シーンがTVニュースで繰り返し流され、プレゼントに感涙した被災民の笑顔が、メア発言を発端とする「ヤンキー、ゴーホーム!」世論の声を、わずか1週間あまりで駆逐していく様は、見ていて背筋が寒くなる思いだった。
戦後、飢えた子どもたちが、「ギヴ・ミー、チョコレート!」と米兵に媚び、懇願しながらジープを追いかける姿と重なって、苦々しく感じた世代が少なからずいたことを、若い世代に知ってほしいと思う。
またしても、米政府の巧妙な心理戦略に、日本のマスコミと世論が見事に完敗した、「PR宣伝作戦」の大成果であったといえる。
それにしても、地震発生からわずか数日で石巻に上陸した米軍人の帽子と制服に、「トモダチ作戦」のワッペンが燦然と輝いていたのは、準備がよすぎる気がして違和感を覚える。
何カ月も前からデザインして発注、製作、納入しないと、スケジュール的に間に合うはずがないのである。
米国に30年も住んで、ニューヨークのアパレル・ビジネスの最前線で商品開発の仕事をしていた経験がある私は、軍関係のユニフォーム業界にも詳しい。
日本ユニフォーム協会の米国視察ツアーをアレンジ、コーディネイトして随行通訳の任務にあたった際は、米軍やNY警察、NY消防や首都ワシントン・メトロなど米国の官製ユニフォーム業界をくまなく視察、研修を行った。
常識と経験から納入期間を考慮すれば、311震災発生より少なくとも1か月前に発注しておかなくては、上陸スケジュールには間に合わないはず(これが、作業が遅い米国でのオ-ダーとなれば、納入まで最低でも2~3カ月かかるだろう)。
このように、「胸に輝く“トモダチ作戦”ワッペン」から見た米軍即応→上陸スケジュールから判断すれば、「オペレーション・トモダチ」は311震災前から準備されていた、との結論を下すのは合理的ではないかと思う。
今回の311「トモダチ作戦」を、米軍は3月11日以前から知っていた。
これは何を意味するのか?
答えは、末尾のリンクと新聞記事をご参照ください。
ご自身で証拠検証され、自分の目と知性で事実確認なさることによって、あなたの目と心が開けて既成概念から解放されることでしょう。
読者の皆さんのご意見、ご感想を、どうかお寄せ下さい。
真理は、あなたを自由にします。
(といっても、米国の真実を語った私は、ものの見事に、当時のブッシュとポチ小泉政権に捕囚され、米政府へ引き渡され投獄!ニューヨークへ強制送還、拷問と人権蹂躙に遭って、社会的抹殺の結果、歩行と生活が不自由になってしまいました!笑えちゃいますねー。自由になるどころか、不自由極まりない身分におとしめられてしまいましたね~笑って、泣けてきます…)。
それでもマケズに復活をめざしていますが、正しい知識を得て、アメリカからの独立を果たしましょう!
2011/06/08 6:03 【山崎淑子 記】
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【以下、参考資料です】 

 

 

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