2016年8月アーカイブ

伊方原発3号機の再稼働に強く抗議する声明

伊方原発3号機の再稼働に強く抗議する(声明)

原水爆禁止日本国民会議 議長 川野浩一

   本日(8月12日)、四国電力は、多くの県民が事故への不安を抱く中で、伊方原発3号機(愛媛県)の再稼働を強行した。原水禁は、危険な再稼働に強く抗議し、一刻も早く運転を中止し廃炉に向けた決断を強く求める。
   再稼働に「安全」のお墨付きを与えた原子力規制委員会、民意を問うこともなく安易に再稼働を許容した地元愛媛県知事、再稼働を政権運営の柱とする安倍政権に対しても強く抗議する。
   伊方原発の再稼働については、先の参議院選挙中に行われた地元紙の県民世論調査において、「再稼働すべきでない」と「どちらかというと反対」という否定的な回答が54.2%と半数を超えている。再稼働に関しての県民の不安や不満はいまだ強く、県民合意にはほど遠い結果となった。  現在唯一稼働している九州電力・川内原発が存在する鹿児島県の知事選において、脱原発を標榜する三反園訓候補が現職をやぶり当選した。熊本地震の発生などによって再び原発への不安が高まっている。
   高浜原発の稼働を差し止めた大津地裁の判断は、福島原発事故の甚大な被害を考えるなら住民らの人格権が侵害される恐れが高く、発電の効率や経済的利益を優先することはできないとし、「新規制基準」についても「福島第一原発事故で得られた教訓の多くが取り入れられておらず、過酷事故対策が不十分である」としている。
   伊方原発が存在する佐多岬沖の伊予灘には、国内最大規模の活断層「中央構造線断層帯」が走っている。また近い将来予想される南海トラフの地震の想定震源域にも近く、多くの専門家から重大事故の可能性が指摘されている。中央構造線上にあるとされる日奈久・布田川断層帯で起こった4月14日の熊本地震では、震度7で地震動の最大加速度は1,580ガルを記録した。伊方原発の基準地震動は650ガルでしかなく、「中央構造線断層帯」が引き起こす地震動は、それらを上回る可能性があり、福島原発事故に続く原発震災の惹起が強く懸念される。
   伊方原発のある佐多岬半島の地形の特殊性は、土砂崩れや路肩崩壊、橋梁破損等による道路の寸断などによって、地域住民が孤立する危険性を高めている。津波の可能性も危惧される中で、県が策定した船舶を利用する避難計画は、実効性に乏しい。避難計画の課題さえ解決できずに強行される再稼働は、県民の命の軽視するものであり、決して許されない。
   さらに防災拠点となる免震重要棟についても、耐震性不足が指摘され対策が求められた。新たに敷地内に建設した緊急時対策所は、平屋建て約50坪程度と狭く、重大事故の発生に対して中長期にわたって対応できるのかとの指摘もある。福島原発事故の教訓さえまともに活かされていない。  伊方原発3号機は、すでにプルサーマル発電で使用するMOX(プルトニウム・ウラン混合酸化物)燃料16体を原子炉に装填している。プルサーマル発電は、燃料棒が破損しやすくなるなど事故のリスクが高まること、毒性の高いプルトニウムを利用することで事故の影響もより大きくなることが指摘されている。  無責任極まりない原発の再稼働を許すことはできない。四国電力は、今年5月に伊方原発1号機を廃炉にした。引き続き2号機、3号機の廃炉を、原水禁は強く求める。その実現に向けて現地の人びとと連帯して、再稼働阻止に向けた運動をさらに強化していく。

   みなさまの真摯な議論と多くの方々のご協力に感謝を申し上げながら、若干の時間をいただいて、大会のまとめを行いたいと思います。

   長らく緑の党の代表を務め、ドイツの脱原発運動を牽引してきた、クラウディア・ロートドイツ連邦議会副議長は、第2分科会で、「原発という使いこなせない技術を使うことに、人間の傲慢さを感じ、怒りを覚える」と話し、福島原発事故をめぐって「日本の技術を持ってしても事故を防げなかったことで、ドイツでは原発の安全神話が崩れ、完全な脱原発を実現した」として、「原発は時代遅れである 再生可能エネルギーで、真の成長を求めるべきである」と報告されました。ドイツでは再生可能エネルギーによって約36万人の雇用が創出され、市民150万人が太陽光発電を中心に電力を生産する側に回っています。
   振り返って日本はどうでしょうか。安倍政権下で決定された、新エネルギー基本計画では、2030年の原発比率の目標は20-22%とされています。これは、40年超の老朽原発さえ動かさないと達成できない数字です。
   過日の朝日新聞は、新規制基準に適合するために、電力各社は3兆3180億円もの巨費を投じている、関西電力は、40年を超えた老朽原発を動かすために、前年比2.5倍の7300億円を投じていると伝えています。
   原水禁の専門委員の藤井石根明治大学名誉教授は、「世界の再生可能エネルギーの進捗は、すさまじい勢いで、その発電設備容量は、171.2万MW、全ての発電設備容量の28%に達している。発電量でも、既に約22.8%になった。しかし、日本では、総発電量の12.6%と、世界の規模の半分でしかない」と報告されました。
   ローテさんは、「日本は、再生可能エネルギーの世界チャンピオンになれる。豊かな日照量と3000kmもの海岸線、7割を占める森林 火山国日本。太陽光、風力、バイオマス、地熱、そして潮力発電まで、素晴らしいポテンシャルがある。ドイツから見ればうらやましい」と述べています。

   日本の再生可能エネルギーの伸びが停滞していることに関して、藤井さんは「原発事故の責任の所在を明らかにし、市民社会に対して現状をきちんと説明し、どうするかを問わなくてはならない。誰も責任を負わない政治姿勢が、将来を見据えたしっかりとした方針を決められずにいる」と指摘しています。
   福島の報告を行った、澤井和宏福島市議会議員は、発言の冒頭に、脱原発がすすまない現状に対して「福島原発事故にあたって、被災した福島県自体が、原発政策に明確なNOを、きちんと示さなかったのが大きいのではないか」と述べています。現在、福島県では、「原発を肯定しないが否定もしない、風評被害を生むから原発には触れるな、また、触れないようにするという暗黙の了解と意図が感じられる」とも述べています。このことは、フクシマをなかったことのように再稼働をすすめる日本政府の政策を、後押しすることにつながります。

   藤井さんは、レポートの最後に「脱原発を打ち出せない政治姿勢は、大きな課題を生み出し、新しいエネルギー産業の芽を摘み、主権者たる国民の命や人格、権利をないがしろにする」と書いています。
   原水禁運動は、2011年3月11日の福島原発事故以降、市民の一人一人とつながって「さようなら原発1000万人アクション」を展開してきました。そこで語られてきたの、「一人ひとりの命に寄り添う政治と社会」との言葉でした。しかし、日本政府の姿勢はそこから本当に遠いところにあります。

   作家の雨宮処凛さんが7月31日に、相模原市の障害者施設の殺傷事件に関して、朝日新聞に寄稿し、「『かけがえのない命』『命は何よりも大切』という言葉にうなづきながらも、ふとした違和感を覚える。この社会は、果たして本当に『命』を大切にしてきたのだろうかと」と述べて、石原慎太郎元東京都知事が障害者施設で口にした「ああいう人って人格があるのかね」という言葉、麻生副総理が高齢者問題で「いつまで生きるつもりだよ」「たらたら飲んで食べて、何もしない人の医療費をなぜ私が払うんだ」と語った事実を批判しながら、「軽く扱われているのは障害者の命だけではない。『健常者』だって過労死するまで働かされ、心を病むまでこき使われ、いらなくなったら使い捨てられる。その果てに路上まで追いやられた人を見る視線は、優しいとは言えない」と指摘しています。

   今集会では、「原発震災」「憲法と沖縄」「再処理」「ヒバクシャ」など、8つの分科会で様々な議論がなされました。そこに共通するのは「命」の問題です。

   東北・太平洋沖地震、そして熊本地震を経ても、市民が大きな不安をいだいても、説明責任を果たすことなく原発を動かし続ける政府

   アジア・太平洋戦争で国内310万、国外で2000万人もの命が失われ、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としたにもかかわらず、その憲法に反して自衛隊を戦場に送ろうとする政府

   悲惨な地上戦で多くの仲間の命を犠牲にし、戦後も米軍政下に置かれ、今も米軍の暴行事件の悲劇が繰り返される中にあって、沖縄県民が、「基地はもういらない」との大きな声を上げ続けているにもかかわらず、機動隊まで導入して基地建設を強行をする政府

   黒い放射性廃棄物の入ったフレコンバックの山、年間20mSvの放射線量、しかし、根拠も示さず安全だとして帰還を迫る、一人ひとりの事情に一顧だにせず補償も打ち切る政府

   被爆者であるにもかかわらず、科学的根拠もなく旧行政区の長崎市内に居住していなかっただけで、被爆者から排除された長崎の被爆体験者を放置する政府

   朝日新聞7月23日付の「核といのちを考える」第4回は、作家の柳(ゆう)美里(みり)さんが書いています。 「福島は高度成長時代、効率よく安価で発電できると原発銀座になった。それが、お金で買えないものを根こそぎ奪った。事故から5年。切迫した人たちの苦しみをもう一度、視界の中心にもってくるべきです」
   .........「かつて一緒に暮らした人は、長崎原爆で多くの児童が犠牲になった城山小の出身。初めて浪江町で浪江小を見た時に頭に浮かんだのは、その城山小のことです。城山小は、爆風や熱線で児童が一人もいない光景。浪江小では、習字の『牛』や『火』という文字が並んでいた。流れる時間が突然、止まってしまう。ふたつがひとつに重なりました。......... 昨年8月、長崎の爆心地をめぐりました。原爆も効率よく人を殺すもの。効率と命、生活は秤にかけられない。原子力は誰かを危険にさらすもの。すべてを破壊し誰も責任がとれない。それは『義』に反するのだ。そう問い続けないといけないと思うのです」

   長崎原爆遺跡となる城山小学校は、今日まで、午後7時から9時までライトアップされています。その姿とともに、そこで何があったのかを忘れてはなりません。

   「核と人類は共存できない」核に良い核も悪い核もありません。「核絶対否定」の考え方を基本に、たゆみない核兵器廃絶・脱原発へのとりくみを、みなさんと共に確認し合い、長崎大会でのまとめといたします。

被爆71周年原水爆禁止世界大会/大会宣言

   1945年8月6日、9日の広島・長崎への原爆投下から71年。原爆は、多くの人の命や暮らし、家族や友人、夢や希望を奪いました。生き残った被爆者も辛苦の中で戦後を生き抜きました。被爆者は「核戦争を起こすな、核兵器をなくせ」「ふたたび被爆者をつくるな」と訴え続けてきました。しかし、その願いもむなしく「ビキニ核実験での被爆-JCO臨界事故-福島原発事故」と、核による被害は続きました。もうこれ以上「核」の惨事を繰り返してはならないと、私たちは強く訴えます。
   原水禁運動は、被爆体験をもとに、核廃絶とともに「命の尊厳」を訴えてきました。
   その「命の尊厳」を脅かす核兵器は、いまも1万5千発以上も存在しています。核軍縮は停滞し、核兵器廃絶への道筋が見えていません。米国が今後30年間で1兆ドルを予算化するなど、核保有国は核の近代化をはかり、NPT体制の枠外にある国々にも核拡散が進んでいます。
   ヒロシマ・ナガサキを経験した被爆国・日本の役割は明らかです。核の脅威に対抗し、核兵器廃絶にむけて積極的なリーダーシップを発揮することが求められています。しかし日本政府は、核の先制使用を認め、国際的に進む「核兵器禁止条約」の動きに消極的です。私たちは、このような日本政府の姿勢を転換させ、被爆者の願う核兵器廃絶への道筋を早急につくりあげなくてはなりません。
   ヒロシマ・ナガサキの被爆者が、戦後71年を経てもなお、被爆者認定訴訟を起こさざるを得ないところに、被害の補償に対する日本政府の消極的姿勢が象徴されます。被爆体験者や在外被爆者、被爆二世・三世の課題の解決も重要であり、全力でとりくんでいかなくてはなりません。
   また「命の尊厳」を脅かす動きは、安倍政権の中にも存在します。
   侵略戦争と植民地支配によって、アジア・太平洋諸国民に多くの被害を与えた日本は、沖縄戦、東京大空襲、そして広島・長崎への原爆投下と、様々な惨劇を体験しました。その反省から、平和と民主主義、人権尊重の「日本国憲法」を圧倒的賛意でもって受け入れました。しかし、民意に耳を傾けない安倍政権によって、立憲主義、民主主義が否定され、平和主義が戦後最大の危機を迎えています。
   安倍政権の命をないがしろにする姿勢は、原発の再稼働や福島原発事故の被災者切り捨て、沖縄・辺野古、高江での基地建設工事強行など様々な分野に現れています。
   安倍政権は、いまだ放射線量が高い被災地へ、賠償や補償などを打ち切ることで住民の帰還を強行しています。フクシマの切り捨てを許さず、国や東電の責任を明らかにし、福島第二原発の廃炉や国家補償による被災者への援護と生活再建、健康保障の充実を求めていきましょう。
   大会直後の今月12日には、伊方原発(愛媛県)の再稼働が強行されようとしています。伊方原発のすぐ近くには国内最大規模の活断層「中央構造線断層帯」が走り、原発震災が懸念されます。原発再稼働を許さず、脱原発社会へ国の政策転換を早期に実現するようとりくみを強化していかなくてはなりません。
   安倍政権は、改憲への民意を問うことなく、論点隠しの中で、先の参議院選挙で、3分の2の改憲勢力を確保し、憲法改悪にむけて動き出しています。
   私たちは、原水禁結成以来「核と人類は共存できない」「核絶対否定」を訴えてきました。「核も戦争もない21世紀」、憲法の平和主義を実現するために、安倍政権が進める「命の尊厳」をないがしろにし、戦争への道にひた走る動きに、断固として反対していきましょう。
   ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、ノーモアフクシマ ノーモアヒバクシャ ノーモアウォー
            2016年8月9日
                                                                             被爆71周年原水爆禁止世界大会

広島大会・長崎大会分科会報告

広島第1分科会「脱原子力1-福島原発事故と脱原発社会を考える」

   第1分科会は170名の参加で、このうち70名程度が初参加であった。
   冒頭、ドイツ連邦議会副議長のクラウディア・ロートさんからのスピーチを受けた。クラウディア・ロートさんからは「1986年のチェルノブィリ原発事故の時は、『社会的システムが整ってない国の出来事だから、先進国では原発を稼働してあるのは、テロなどを含む原発事故のリスクだけだ。」と述べるとともに、「『日本は経済大国だから脱原発はできない』という人がいるが、それは違う。再大丈夫』という言い訳が通用したが、先進国の日本でフクシマのような事故が起きた今、そのような論理は通用しない。今現在、新たに建設された原発はなく、生可能エネルギーについて、日本ほど恵まれている国はない。長い海岸線は風力発電を進めるポテンシャルがあることを示しているし、日照時間も長く太陽光発電もできる。その他地熱発電などもある。地域分散型でエネルギーを活用すれば、日本では様々なエネルギーを活用できる」と参加者に熱く訴えた。
   そののち、福島原発告訴団団長の武藤類子さんから、「原発事故は終わらない」と題した講演を受けた。武藤さんはパワーポイントで画像を示しながら、飯館村や富岡町の放射性廃棄物の仮置き場の状況について解説するとともに、仮設の焼却場について、環境影響評価もなされないで作られている現状を説明した。そして、「この状況で何ができるのかを考え、福島原発の刑事告訴に踏み切った。検察審査会によって、東電の元会長ら三人の強制起訴が実現した。今後、裁判の中で真実を明らかにしていきたいと思うので、皆さんもぜひ支援を」と訴えた。
   以上を受け、原子力資料情報室の西尾漠さんから、「福島原発事故と脱原発」と題した講演を受けた。西尾さんからは「福島原発事故からは、被災者の抱える困難や、放射性廃棄物の問題など、解決不能な問題ばかりが見えてくる」と説明したうえで、「高速増殖炉もんじゅを中心とした核燃サイクル政策はすでに破たんしている。このことは『核のゴミ』の処理をする方法が見つからないということであり、原子力政策はすでに破たんしている。電力会社の方も原子力はせいぜい現行維持をして、コスト回収をするところまでで、新増設など無理とわかっているはず」と述べ、脱原発社会の実現に向けて、みんなで頑張って行こうと呼びかけた。
   各地報告としては、「指定廃棄物の放射性濃度の再測定結果と環境省の今後の方針等」について報告があり、続けて行われた質疑では、放射性廃棄物の最終処分地に関してや、被爆労働者の被ばく線量の基準問題などが討議され、分科会を終了した。

広島第2分科会「脱原子力2-核燃料サイクルと再稼働問題」

参加者 84人 初参加者 40人程度

   安倍政権が進めるエネルギー基本計画の中心は、原発再稼働と核燃料サイクルの推進である。原発再稼働は、川内原発、高浜原発と再稼働を強引に推し進めたが、高浜原発は福井地裁、大津地裁で運転差し止めの決定が下され、司法も再稼働の危険性を指摘している。
   地震大国日本は、いま地震の活動期ともいわれ、地震と原発の災害が重なれば壊滅的な被害を受けることは福島原発事故が示している。また、核燃料サイクルでは、六ケ所再処理工場や高速増殖炉もんじゅは、度重なるトラブルなどで、核燃料サイクルそのものの先行きが見通せない状況にある。安倍政権の進めるエネルギー政策の2つの柱の破綻の現状を検証し、原子力政策に未来がないことを明らかにしていくため、講師2人、また海外ゲストから提言があった。また、北海道、青森、福井、愛媛より原発等についての現地報告があった。以下、これらの提言、報告を受けて簡単に質疑・応答・意見の要点を記載する。
   質疑   大学にある研究のための原子炉については、どういう扱いとするのか?
   応答   大学についての廃炉はまだ十分把握していないが、武蔵工大だったか原子炉は閉鎖になっている。原子炉研究は続けるべき。若い人の研究者が少ない。研究者を増やすためにも研究用の原子炉は残すべきだろう。
   質疑   原発について、なぜ、廃炉にできないのか?    応答   投資を回収してできるだけ儲けたいという会社の意向はあるだろう。初期の原発については、規制規準について達成させるためにはコストがかかるので止める方向。地元の動きがないと原発推進となる。反対運動が重要な役割となる。
   意見   福島は除染廃棄物が野積みになっている。未だに放射性物質は取り出せていない。除染は十分でない。早急に運びだしてもらいたい。また、残り4基の廃炉は決定していない。廃炉を強く求めていきたい。
   意見   これまでの運動から、労働組合と市民運動の関係づくりに展望がもてると思う。
   意見   5年たっても福島は終わっていない。労働者は放射線をあびて労働している。熊本地震があったが、地震はどこで起きても不思議ではない。再稼働は止めていかねばならない。
   質疑   福井の4基の廃炉が決まっている。しかし、プールの中にたくさんの核燃料があり、これらのことを含め計画的に行っていってほしいがどうなっているのか?
   応答   原子力市民委員会が立ち上がっている。脱原発がベース。廃炉についてや人材育成についても提言している。廃炉・廃棄物の将来的機関として設立すべきである。

広島第4分科会「平和と核軍縮2-核兵器禁止条約の動き―核なき世界への課題」

参加人員 90名
初参加者 25名

   はじめに、秋葉忠利元広島市長より、昨年は70周年という節目の年だったが、今年の周年は、戦後初の核実験(1946年)から70年。被団協結成60年、太平洋でのフランスの核実験は50年前。チェルノブイリ事故から30年。レイキャビクでのレーガン・ゴルバチョフ会談から30年。国際司法裁判所の勧告的意見と原爆ドームが世界遺産になって20年。オバマ大統領の広島訪問0年。1987年のレイキャビク会談では、核兵器全廃の合意、まさに一歩手前まで進んだが、米国内の軍産学複合体に阻まれ実現しなかった。世論に知らされてなかったから。
   オバマ大統領が5月広島へ。重要なのはアメリカの世論。2009年のプラハ演説から大きく変化した。アメリカの思考の基本―パールハーバーは絶対悪。原爆投下は当然―というくびきから開放された。原爆投下は正しかったか?の世論調査では、<正しい>1945年90%、2009年67%、2015年56%、2016年45%。
   これはオバマ効果であろう。
   国連では8/5~8/19まで「公開作業部会」開催。世界の過半数の政府が核兵器禁止条約締結のための交渉に賛成。2017年に交渉開始をする。期限をつけることが大事。最終報告書に賛成しないのが日本政府。英国の方向も注視。メイ首相は核使用を明言している。スコットランドは独立を望み、目的は核兵器廃絶、すべての市長が平和市長会議に入っている。今おかれている位置の理解や市民運動の重要性を示唆された。
   湯浅一郎さん(ピースデポ)は、「東北アジアの非核化」を重点に、80年代後半、冷戦構造はなくなってくるが、東北アジアは冷戦構造が続いている。38度線の南北分断、1953年7月停戦協定は結ばれたが戦争は終わっていない。どう終わらせるか、6カ国協議、多国間協議、それぞれの国が考えないといけない。
   南半球は非核兵器地帯が実現。中央アジアが北半球で初めて非核兵器地帯をうちだした。新しい状況は、国連軍縮諮問委員会の作業報告で「国連事務総長は、北東アジア非核兵器地帯の実現へ向けた適切な行動を」と勧告。チャンスだ。
   平和首長会議は546名が賛同。さらに宗教者の呼びかけ、キャンペーンが広がっている。オバマの8年間がアメリカの世論を変えたように、市民ひとりひとりの声が変えていくと話された。
   アメリカ・ピースアクション事務局長、ジョン・レインウオーターさんは、ピースアクションは草の根の会員制の平和団体で議員にも直接訴える活動、核兵器のない世界を作るため活動している、と紹介。バラク・オバマの時代は終わろうとしている。ヒラリーの時代に入ろうとしているが世論調査は51%できびしい。社会主義は禁句だったが、ピースアクションはサンダース氏を支持した。より民主的・リベラルに戻そうとした。
   若い人に新しい変化がある。若い層、アジア系、ムスリム系はサンダース氏支持が多い。ヒラリーに核兵器反対を入れようと働きかけている。イラン核合意が成功すれば、北朝鮮との交渉もうまくいくだろう。
   ピースアクションはオバマに対し、ヒロシマに言及するよう求めたが、返事なし。オバマは任期満了に際し、核兵器に対し行動をとるようにしている。ピースアクションはオバマに核兵器政策を提言している。恐怖の論理に振り回されず、核兵器なき世界を作らなければならない。アメリカの政治状況も紆余曲折。黒人への警察の暴力、銃乱射事件。しかし、多くの人は愛は憎悪に勝つと信じ、前向きである。共に前進しよう。

広島第5分科会「ヒバクシャを生まない世界に1-世界のヒバクシャの現状と連帯のために」

総参加者数 60人(講師・ゲスト・運営委員除く)初参加者数30人

   第5分科会は60人の参加者のうち30人が初参加でした。
   講師の豊崎光博さんは冒頭「昨年被爆70年で節目の年だったが、今年は被団協結成60年、チェルノブイリ事故から30年、福島第一原発事故から5年の年である」と切り出しました。豊崎さんは「世界にはウランを採掘する国は19カ国あり、採掘場、濃縮工場での被ばく、また核実験による被ばくがあり、ヒバクシャは広島、長崎だけではない」と強調しました。豊崎さんは「1957年、社会党はビキニ水爆実験による被ばく者や将来の原子力利用による被害者も含めた原爆被害者援護法の制定を提案したが、自民党の保守系の抵抗により頓挫。同年、原爆被害者だけを対象とする『原爆医療法』が施行。そのため、ビキニ環礁などの水爆実験で被ばくした856隻の漁船乗組員約1万6千人、これまで原発に従事した約60万人の労働者の健康を、被爆者援護法によって守ることができなかった」と指摘しました。
   続いて海外ゲストのエカテリーナ・ビィコワさんが報告しました。エカテリーナさんはウクライナのセミョノフカ出身で、現在、ウクライナ国境近くのロシアブリャンスク州ノボズィプコフのラディミチ・チェルノブイリ情報センターで働いています。セミョノフカはチェルノブイリから150キロ離れており、エカテリーナさんは11歳のときにチェルノブイリ原発事故にあいました。エカテリーナさんは「事故当時、政府から何も勧告がなく、メーデーも普通に行われた。衛生局で働く人の子どもたちだけが避難を始め、両親が慌て始めた」と当時の状況を振り返りました。エカテリーナさんはロシアのノボズィプコフにある教員養成学校に通いながらラディミチの前身となるボランティア団体で活動をして、卒業後故郷で4年間教員を務めましたが、学生時代でのボランティア活動が忘れられず、再びノボズィプコフに戻り、現在の職場で働き始めました。ラディミチの主な仕事は、住民の健康調査と放射能教育です。ラディミチには1万6千人の住民が登録し、毎年2000人が健康診断を受けています。その内70%が甲状腺に何かしらの問題を抱えていると報告がありました。エカテリーナさんは「チェルノブイリ事故が起きても、放射能について特に意識しなかったが、25歳のときに関節炎、甲状腺の問題を抱え、ようやく真剣に考えるようになった」と述べました。エカテリーナさんは「今回始めて福島の楢葉町を訪ねた。これから帰還が始まる学校の先生が『子どもたちとどう向き合っていいか分からない』という自信のない言葉を受けてショックを受けた。チェルノブイリに置かれた大人と重なった」と印象を述べました。91年チェルノブイリ法が制定され、ラディミチはゾーン2に指定され、移住の権利が認められました。エカテリーナさんは「放射線防護対策も重要だが、住民への情報開示も重要」と指摘しました。
   質疑応答では、原発は武力攻撃を想定しないで建設されたのか、福島では強制的な帰還政策がすすめられているが今後どうなるのか、希望はどうしたら生まれるのか等の質問が出ました。エカテリーナさんは「同じ絶望を経験した仲間がいて一緒に活動ができたから自分は持ちこたえることができた。絶望を共有し仲間と子どもたちを守るために協働する。子どもに健康のために必要な知識を与えれば、子どもに気づきや発見がある。子どもたちが変わる姿を見て大人も変わる。そこに希望が生まれる。子どもたちのためにすることが自分たちのため、地域のためにもなる。そういったサイクルが希望をつくる。子どもたちと希望のサイクルをつくることができたら世界の原発は止めることができる」と訴えました。

広島第6分科会「ヒバクシャを生まない世界に2-ヒロシマからフクシマへヒバクシャの課題」

*人数41名 *初参加18名

   それぞれ講師、海外ゲストの3人より問題提起を受け討論にはいりました。
   討論の要点は

  1. 大阪 被爆2世から訴え。父が被爆者で2.5㎞で被爆。
       大学を卒業して20数年経って、関わっている。被爆者と次の世代の問題。子どもを産んで遺伝の問題が課題、心配。福島の実態で問題があるのか。被ばくの影響があるのか?子どもを生んで良いのか?。
  2. 新潟 原発問題。
       今回初めて参加。原発には反対。逆に原発を止めたときにどう言う影響があるのか。日本の経済が大きく傾くことになるのではないのか、講師の方に質問。
  3. 兵庫
       JCRB「国立研究開発法人研究所」の出すものが基準となっている。この組織は産業に関わっているひとがつくっている組織。人間の安全をもとにつくられていない。この組織が問題だ。人間の生命などを守ることを基本に考えなければならない。
  4. 大阪
       二度とヒバクシャをつくらないが忘れられている。ヒバクシャの皆さんには共通性が沢山ある。健康に対する不安、子ども・孫に起きてくるのではないかなどの不安。事故の責任を取ってもらって対策を進めていくことが必要である。
       カク・キフンさんに在韓被爆者援護訴訟勝利について辛かったこと、日本の司法についてどう思っているか、率直に聞きたい。
  5. 兵庫
       平野さんの発言で「被爆体験者訴訟」とはどいうものか。

   以上の討論・質問がなされました。それぞれ講師・海外ゲストからのコメント、問題提起を受け、最後に梶原洋一運営委員のまとめで終えました。

 

長崎第2分科会「脱原子力2-福島原発事故と脱原発社会に向けて」

   参加者数は74名で、その内、約3分の1が初めてで約4分の1が原子力の事をあまりわからない参加者であった。
   海外ゲストのクラウディア・ロート(ドイツ連邦議会副議長)からは、福島第一原発事故は、人間の傲慢さで起こった。広島、長崎は、計り知れない悲しみをもたらした象徴である。核兵器は、絶対悪であり、全ての核兵器を無くし、平和憲法を守り憲法改悪にならないよう願ってる。福島第一原発事故は、ドイツの国策として脱原発へと舵を切ることになった。そして、脱原発で、再生可能エネルギー時代の可能・実現性が述べられらた。また、日本は、再生可能エネルギーを生み出すベストな条件を備えている事が語られた。
   藤井石根さんから、福島第一原発事故が起こり政府は、事故の責任を曖昧にし、時代の歯車を逆に回そうとしている。原発を重要なベースロード電源と位置付け、原発再稼働ありきだが、世界は、確実に脱原発・脱炭素社会へと大きく舵を切っている。今後は、太陽や風力、水力、地熱、バイオマスなどの再生エネルギーに立脚した社会を実現すべき。
   西尾漠さんより、福島原発事故は、始まりも、今も、終わりも見えない事故であり、世界初の本格的な「原発震災」である。事故後は、「原子力ムラ」が復権し、原子力委員会の凋落と原子力規制委員会が強大な権限を持つようになった。使用済核燃料再処理サイクルも破綻している。脱原発に向けて、原発再稼働阻止の意義は、次の阻止への大きな力となる。再稼働には、莫大なコストが必要で、電力会社の本音はやめたいが、会社自身で判断できなくなっている。脱原発の世論を高める事が、廃炉へとつながる。
   各地報告として福島から、「避難」は、強制移転である。原発推進から再生可能エネルギーへの転換できない象徴が、福島市議会で原発再稼働反対の議決が否決された。福島市議予算の50パーセントが、除染費用で、学校や家庭では、除染土が放置され、仮置き場も不足している。子どもの甲状腺ガンの問題や風評被害や風化の心配がある。
   質疑応答では、ドイツで脱原発になったが、石炭政策は? 日本では脱原発の運動が、何故広がらないのか? 原発や核燃料廃棄物で政府は、民主的な議論の場や情報が公開されない、市民の意見を言える場はないのか? 政府、電力会社は、賠償責任をうやむやしようとしているが?
   答えとして、ロートさんから難しい問題ではるが2040~50年をめどに脱石炭をめざしている。西尾さん藤井さんから、政治のあり方に問題ある。都合の悪い事は隠し、情報を公開しない、結論だけを知らせる。こうした実態を一人一人共有し、運動につなげ、日本に、本当の民主主義を根付かせる必要がある。東電元幹部は、検察審査会で強制起訴になった。政府も、根拠なく避難解除を進め、「事故」をないものとしようとている。また、賠償金も金融会社から融資を受け、電力料金から支払われている仕組みを明らかにする事が大事だ。

長崎第3分科会「平和と核軍縮1-憲法・沖縄と東北アジアの非核化」

参加人数 280名(うち初参加者数40名)

   NPO法人ピースデポ代表田巻氏からは、日本国内における安保法制の背景には、日米防衛協力の新ガイドラインの合意があり新ガイドラインの履行にあたっては、憲法平和主義の諸原則を修正することなしに履行することが不可能であった。憲法解釈を変更することにより国内法を成立させたことは大きな問題である。また、国内的には、安保法制と核兵器の問題、国際的には、核兵器禁止の潮流にあって日本政府の動向、政府の発言には、注視していかなければならない。このことは、被爆国日本として非常に嘆かわしいことである。国際的には、OEWGでは、100カ国ほどの政府、国際機関等が参加をし核兵器のない世界を目指し論議が行われているが、核兵器保有国からの参加がないこと。世界に広がる非核兵器地帯のなかにおいて北東アジア非核兵器地帯を構築することが必要であることの問題提起が行われた。
   また、ピースアクション事務局長ジョン・レインウォーター氏からは、ピースアクションの取り組みと次期アメリカ代表選挙における候補者の核軍縮、核問題に関する考え方の指摘が行われた。
   現地からの報告では、神奈川県横須賀基地、厚木基地における米軍基地の強化、拡大に反対する取り組み、長崎県佐世保からは、オズプレイ飛来に対する問題点と繁多行動の取り組み、沖縄県からは、参議院選挙後の辺野古、髙江の現状報告が行われた。
   これらの提起に基づき、参加者からは、沖縄と連帯する取り組みを積極的に行べきではないか。核兵器廃絶に向けた取り組みを今以上に展開すべき。国民、国会を蔑ろにする現政権に憤りを感じる。国民がより結集しやすい手法はないのか。との多くの仲間との連携を要望する意見が出され第3分科会は終了した。

長崎第4分科会「平和と核軍縮2-プルトニウム・再処理と核拡散」

参加者49名(延べ人数。出入りあり)

[海外ゲストから]
   サバンナリバーサイトは、冷戦時代、ワシントン州ハンフォード・サイトと並んで米国の二つの核兵器用プルトニウム(及びトリチウム)生産施設の一つとなっていた。5基の生産炉があったが現在ではすべて閉鎖されていて、プルトニウム製造のための再処理も行われていない。新しい役割は主にプルトニウムの処分に関わるもの。米国が核兵器用に余剰と宣言したプルトニウム約50トンの内、ロシアとの間でそれぞれ処分することに合意した34トンをウランと混ぜて「混合酸化物(MOX)」燃料にするための工場がSRSで建設中。しかし、この計画は工事の遅れと建設費高騰のため頓挫している。
   SRSにはすでに処分を待つ13トンのプルトニウムがあり、このうち、化学物質などと混ざっている6トンは、ニューメキシコ州地下の岩塩層に設けられた「廃棄物隔離パイロット・プラント(WIPP)」に送る計画だが、この計画も地元州の態度などによってはどうなるか分からないと危惧されている。
   国際的安全保障上問題のある核兵器利用可能物質をサウス・カロライナ州で厳重に保管するようお願いする立場にあるはずの日本は、「国際原子力機関(IAEA)」の計算方法で核兵器6000発分に相当する約48トンものプルトニウムを抱えながら、さらに使用済み燃料から年間8トンも分離する能力のある六ヶ所再処理工場の早期運転開始を追求する政策を変えていない。原燃は昨年11月、六ヶ所村再処理工場の完工時期を2016年3月から18年度上期に延期すると発表したが、元の予定だと3月のサミットでオバマ政権がFCAのプルトニウムの輸送完了を成果として大々的に宣伝する中、六ヶ所再処理工場完工が大きく報じられるということになるところだった。
   日本からのプルトニウムの搬出をオバマ大統領の核不拡散面の遺産とみなすものがいるかもしれないが、もっと大きな課題がある。核兵器利用可能なプルトニウムの分離、蓄積、燃料としての使用を日本に止めさせること。日本の反核運動は「不条理劇」に気付いて行動を起こすべき。「日本は約48トンのプルトニウムの使い道がなく、再処理工場を稼働して蓄積を増やすべきではない。(プルトニウムを燃料に使う)高速増殖炉もやめるべきだ」と指摘。

[現地報告(青森)]
   六ケ所工場は、2016年3月完成が、23回目の延期となった。経費も7,000億円から2兆円とも言われ、日本経済を圧迫している。5月に再処理促進法が決まり国民負担が大きくなった。
   自治体は交付金頼みできたが、この交付金頼みの運営から脱出しなければならない。昨年6月に県知事選があり候補者を擁立した。結果は敗れたが、今年の参議院選挙の東北の健闘につながったと思う。
Q)日米原子力協定改定で六ケ所を止めることが出来ると思うか。日本での運動団体でどのような議論がされているか。
A)日本とアメリカの交渉で六ケ所を止められるとは思わないが、日本政府に対して強い申し入れを続けていくしかないと思う。

[講師提起]
   六ケ所現地の問題を青森支援ととらえがち。これは反核運動であり、支援問題ではない。
   プルトニウムを増産させるべきではない。オバマ大統領の政策を実行させるように求めていかなければならないが、日本は反対している。
   諸外国が再処理から手を引いているのに、日本は唯一再処理に固執している。アメリ高官が懸念している。長崎の地から再処理反対の動きを作っていかなければならない。再処理は核兵器問題。核のない世界のために再処理中止を目ざす運動を作っていなければならない。アメリカの核先制不使用宣言を止めさせない。六ケ所村は公害にさらされているかわいそうな村、再処理の汚染問題、エネルギー問題などでなく、核兵器問題という認識が必要。プルトニウムがなければ、日本は崩壊するということはない。
   プルトニウムが日本を助けることもない。
Q)非核三原則の法制化を2018年の原子力協定更新までにすべきではないか。
A)非核三原則の法制化運動は意味がると思うが、核を持たないというのは違うと思う。核兵器を持たない、作らないというのはNPT条約担保されている。アメリカが核先制不使用宣言をすると日本の安全保障に責任が持てないという理由で、日本が核武装するのではという懸念を持たれている。

長崎第5分科会「ヒバクシャ1-ヒバクシャ問題を考える」

   今年は、広島・長崎に原爆が投下され71年、ビキニ核実験での第五福竜丸被爆から70年、チェルノブイリ原発事故から30年、福島第一原発事故から5年が経過したなか、被爆者の現状と抱える問題について、講師として豊崎博光さん(フォトジャーナリスト)、振津かつみさん(医師)、海外ゲストとしてエカテリーナ・ヴィコフさん(ロシア/「ラディミチ」:チェルノブイリ情報センター)をお招きし開催しました。
   進行は、司会者・堤典子さん、座長・奥村英二さんで、参加者は全国から32名(初めての参加者約10名)
○豊崎博光さん
   一つ目の課題は、被爆認定者(被爆者健康手帳をもらえる人)は原爆にあった人だけである。ビキニ核実験での第五福竜丸乗組員やウラン鉱山での労働者(人形峠)、福島第一原発事故での住民や事故復旧労働者など、被爆した人は対象外となっている。従って、法整備が必要である。二つ目の課題は、核実験によって肉や魚など食物を食べることによる内部被爆である。イギリスやフランス、アメリカ、中国が行った核実験で大地や海に放射性降下物(死の灰)を放出し、地球全体を被爆させた。三つ目の課題は、原発事故による被爆である。原発事故はスリーマイル島原発(アメリカ)やチェルノブイリ原発(ソ連)、福島第一原発などにより、世界中が汚染された。山は洗浄することができない。これらのことから、考えなければならないことは、『被爆者をつくらない 生み出さないこと』であり、原発を廃止し、核兵器をつくらせないことであると考える。と講演されました。
○エカテリーナ・ヴィコフさん
   チェルノブイリ事故当時、住民は何も知らされていなかった。そして事故についてテレビで知らされたが、「コントロールできている」との報道であった。事故後、町の役人は我が子を他の町に移動させた。この時、住民は何かおかしいと感じた。私たちはいつも森の中で遊んでいた。放射能立入禁止の看板は建っていたが何の看板か分からなかった(放射能とは何なのか知らなかった)。エカテリーナさんは母の薦めで教育養成校に進学したが、そこで先生が辞め町を出て行ったが、情報を得ること無くそのままの生活が流れていった。現在は、障害施設で教員に就いているが、小児マヒや甲状腺ガンの子どもが増えている。そして町では健常児が障害児を受け入れしませんでした。日本では、甲状腺ガン検査が必要だと思う。行わなければならないことは、子どもへの教育(放射線の恐ろしさ・体への影響・身を守る方法など)と、エネルギーにはどんなものがあるかなど、子どもへの情報提供が必要だと思います。と講演されました。
○振津かつみ さん
   福島第一原発事故は未だ収束していない。事故によって引き起こされた問題が山積みであり複雑化している。170名を超える子どもたちが甲状腺ガンと診断され心を痛めているなか、政府は、被害者支援や賠償を打ち切り、年間20ミリシーベルトを基準に住居制限区域の避難指示解除を目指している。そして、被害などまるでなかったかのように原発再稼働や原発輸出を強行しようとしている。絶対、許してはならないことである。事故を起こした今、核利用はコントロールできない。核と人類は共存できない。ことは明かです。浪江町では「健康手帳」を配布し、国に対して「被害者救援法に準じた法整備」や被害者の人格権、生命権、健康権、環境権などを求め、様々な運動に取り組んでいます。今年は、ヒロシマ・ナガサキ71年、チェルノブイリ30年、フクシマ5年です。この教訓を踏まえ、議論を深め、連帯の輪を拡げ、運動を強めていきましょう。と講演されました。
○分科会まとめ
   核兵器と原発事故は格差(差別)を生み出しました。避難児童は、転校先で「あいつに触ると放射能を浴びるぞ」「ガンになるぞ」と虐められ、再び転校を余儀なくされた子がいます。結婚では、「障害児が生まれたらどうする」などと結婚を反対されることが懸念されます。人権をも奪ってしまいます。私たちに何のメリットもありません。安倍首相はチェルノブイリ事故・ソ連のゴルバチョフと同じことを言っています。「福島原発汚染水はコントロールしている」と嘘をつきました。そして、参議院選挙では憲法改正に必要な3分の2の議席を改憲政党で確保しました。国民主権から国家主権とし、再び、戦争へと導こうとしています。この分科会で課題を共有し、全国各地で核兵器廃絶、原発廃炉、安全保障関連法廃止、憲法改正阻止に向け取り組んでいかなければなりません。共に頑張りましょう。

長崎第6分科会「ヒバクシャ2-強制連行と被爆を考える」

   第6分科会は52名の参加で、このうち23名程度が初参加であった。
   最初に長崎大学名誉教授の高實康稔さんから、「強制連行と被爆を考える」と題した講演を受けた。高實さんからはまず、「朝鮮人強制連行は、1939年の閣議決定『労務動員実施計画』のなかに組み込む形で内務・厚生両次官の通牒である『朝鮮人労務者内地移住に関する件』によって開始された。当初行われた『募集』の最大の特徴は『甘言』、すなわち、『日本に行けば、遊んで、飯もたらふく食える』といった類の詐欺罪・誘拐罪が成立するような不法なものであった。そののち、1942年になると、さらに『官斡旋』といわれる方法がとられた。『斡旋』とは事実上の命令であり、役人と警察官がいきなりトラックで押しかけて有無を言わさず連行する、といった事例が後を絶たなかった。」と説明した。そのうえで、「広島・長崎への強制連行は敗戦前7年間に激増した。広島県内在住朝鮮人人口は1945年には84886人、長崎県は61773人となっている。この要因は、三菱重工業をはじめとする軍需産業であった。その中で、広島では5万人、長崎では2万人が被ばくしている」と実情を丁寧に解説した。また、中国人についても、「戦時中日本は約4万人の中国人を強制連行しており、そのうち長崎では、1000人を超える被爆者がいる」と述べた。
   そのうえで、在外被爆者援護の進展と今後の課題について、「在外被爆者を排除する厚生省の通達として『402号通達』があった。その通達を廃止に導いたのはカク・キフンさんの裁判である。この裁判では『被爆者はどこにいても被爆者』を引き出し、在外被爆者援護の課題は大きく前進した。そして、2015年9月8日の最高裁判決によって、内外人平等全額支給が実現した。しかし、手帳取得に対する条件(証人や証拠)が厳しく、韓国原爆被害者協会に所属しながら手帳を取得できていない人が100人を超える。この人たちの手帳取得をどう進めるかが課題だ」と述べた。
   続いて、元韓国原爆被害者協会会長のカク・キフンさんから、自らの被爆体験と、韓国人被爆者の苦難の歴史についてお話があり、そのうえで、「被爆者はどこにいても被爆者」を引き出した裁判の経過についても報告があった。また、韓国原爆被害者協会釜山支部のチョン・テホンさんからも自らの被爆体験についてお話があり、また、韓国に戻った後も朝鮮戦争に巻き込まれるなどの厳しい体験についてもお話があった。
   参加者からは「端島(軍艦島)の被爆の状況について教えてほしい」という質問や、アウシュビッツに訪問した経験から「被爆の体験を学ぶことを通じて今後の活動に生かしていきたい」等の意見が出され、討議が行われ、分科会を終了した。

長崎第7分科会「ヒバクシャ3-被爆二世・三世問題を考える」

○被爆二世・三世問題の解決に向けた国連人権理事会での取り組みや集団訴訟など、被爆71年以降の被爆二世運動の意義と使命、展望について全体で議論を行った。

  • 参加者:50人、初参加者:10人

○全国被爆二世協は、被爆70年以降の新たな運動の柱

  • 二世問題を国際社会(国連人権理事会)において人権侵害として訴え、日本政府に被爆二世の人権保障を促す取り組みを推進する。
       ※世界の核被害者と連帯した活動の推進
  • 集団訴訟を通して、二世に対する援護対策の実現をめざす。
       ※援護法に定義されている第1号~第4号に加えて、「第5号:被爆二世・三世」を位置づけさせて、援護法の適用を求める。

○二世集団訴訟

  • 訴訟の意義
       二世が抱える健康不安、経済的な苦しさ、差別や偏見の解消に向けて、訴訟を行い、法に基づく援護体制を獲得する。
  • 訴訟の進め方
       二世への援護法の適用について、本来、法で定めるべき事項を定めていないこと「立法の不作為」として、国会賠償を求める訴訟として裁判を行う。具体的には、原爆放射能の遺伝的影響の有無・程度を物理学・統計学・放射能医学の専門家の意見を得て、科学的に明らかにしていく。
       二世協の運動と裁判がかみ合って、二世問題の解決をはかる。

○被爆二世・三世問題の解決に向けて

  • 国民の中に二世問題を浸透させ、裁判に勝訴し、手帳保持・援護法の適用を勝ち取る。このことにより、二世が何者なのか、何をすれば良いのか、二世に自覚が生まれると考える。
  • 裁判訴訟と併行して、放影研との連携・協議、超党派の「被爆二世問題議員懇談会」の結成、厚生労働省交渉、被爆体験の継承、組織の強化・拡大やフクシマとの連帯の取り組みを推進する。

○全体討論(要旨)

  • 鹿児島の二世協では、現在160人の会員がいるが、「多発性骨髄腫」の検診で少し前進があるが、援護法の適用が受けられないことを理由に退会する人がいる。
  • 二世検診の受診率が上がらない実態があるので、縛られたものでない内容を要望する。また、病院に二世検診の認識がないケースもあるので、厚生労働省対策も必要である。
  • 二世協の運動は被団協との連携が欠かせないと考える。
  • 二世だからこそある役割を認識した上で特別な立場からの運動の推進を行っていくことに加え、世界の被爆者やフクシマの作業員などと連帯して取り組みを推進していくことが重要である。
  • 集団訴訟については、政府にきちんと戦争責任を取らせ援護法の適用を獲得するためにも、被爆者の支援もお願いしたい。
  • 原発の廃炉に向けた取り組みの強化をはかるべきである。
長崎大会

   被爆71周年原水爆禁止世界大会は、広島大会を引き継ぎ、8月7日から長崎大会を行いました。長崎ブリックホールで開かれた開会総会には1800人が参加し、安倍内閣のもとで原発震災の危険性が反古にされ次々と再稼働がすすめられ、さらに戦争法が強行成立されたばかりか、直前の参院選で改憲勢力が2/3議席以上を確保したという事態を受けて、脱原発、護憲の声が相次ぎましたました。
   オープニングはすべての戦争に反対の立場で歌い続ける被爆者歌う会「ひまわり」のみなさん。
   黙とうに続いて、松田圭治・長崎実行委員長(長崎県原水禁会長)が反核平和の火リレー、平和行進のとりくみ報告とともに、憲法改悪の動きに、平和で安心して暮らせる世界へ向けた原水禁の真価が問われている」と力強く開会あいさつを述べました。主催者あいさつは、長崎原爆の被爆者でもある川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)が行い、参院選について「改憲勢力の前に敗れたが、まだ平和憲法は健在」と強調。「9条改悪が狙われている」として護憲派の結束を呼び掛けるました。また、熊本地震にもかかわらず政府・電力会社は原発停止すらしないなかで、鹿児島では脱原発の知事が当選したことなどとりくみの重要性を訴えました。
   海外ゲストを代表して、ロシアの「ラディミチ」チェルノブイリ情報センターのエカテリーナ・ヴィコワさんは、チェルノブイリ被災地について報告するとともに、原水禁福島大会に参加し東京電力福島第1原発事故の被災地を視察した上で、「(町が)チェルノブイリと被災地風景が重なった」と表現。「世界のどこであれ、次の核被害を許してはならない」と訴えました。
   藤本泰成・大会事務局長が基調提案。安倍内閣の戦争法制定、改憲具体化の動きに触れるとともに、「日本はいつでも核保有国になれる。使用済核燃料、MOX燃料など48トンのプルトニウムは長崎型原爆の約6000発になるもので、核燃料サイクル計画を中止させなくてはならない。福島原発事故では、これまでの補償・保障打ち切り、一方的帰還の強行など、誰も責任を取らない無責任な原発政策を許してはならない。一人ひとりのいのちに寄り添う運動こそ重要」と強調しました。
   瓶子高裕・福島県平和フォーラム事務局次長の「福島県からの訴え」のあと、長崎からのメッセージが行われました。
   「反核平和の火リレー」の報告につづいて、 田上富久・長崎市長が登壇。「オバマ大統領が広島訪問したのは大きな一歩。これから次の大統領の訪問を、私たちも努力していく。核依存国とそうでない国の意見の違いが明確になっている。英知を結集して乗り越えてため、市民参加をすすめ、平和を伝え、創り続ける努力をしよう」と訴えました。
   爆心地から約7~11キロで原爆に遭いながら国の基準で被爆者と認められていない全国被爆体験者協議会のみなさん、第19代高校生平和大使と高校生1万人署名活動実行委員会の代表100人余りが登壇し、8月13日からの国連欧州本部訪問などの抱負を語り、また、運動の継承への決意も表明されました。
   開会総会は、「原爆を許すまじ」を全員で合唱し、開会総会を終えました。長崎大会は8日に分科会などが開かれ、9日に大会全体の閉会総会が行われ、大会宣言が採択されました。

   ご紹介いただきました。大会実行員会事務局長、原水爆禁止日本国民会議の藤本です。全国から、熱い熱い長崎へ、多くのみなさまに、原水禁長崎大会に、参加いただきました。本当にありがとうございます。また、原水禁長崎実行委員会の皆さまのご尽力に対し、心から感謝を申し上げます。

   基調につきましては、皆さまのお手元に配布をさせていただいております。時間の関係もあり全てに触れることはできません。後ほど目を通していただきたいと思います。ここでは、私の思いも含め、若干の課題に触れて、基調の提起とさせていただきます。

   本年、5月27日、バラク・オバマ米大統領が、現職の大統領として、初めて被爆地広島を訪れました。長崎にも是非足を運んでいただきたいと思います。
   オバマ大統領は、平和公園に立って、戦争被害者に対して哀悼の意を示すとともに
   「1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません」
とのスピーチを行いました。スピーチには、被爆の実相から目をそらすこと無く、米国の道義的責任を自覚する、自省に満ちた言葉がありました。私たちは、米国を中心とした核保有国が、「核兵器の非人道性」を深く自覚し、核兵器廃絶への確実な一歩を踏み出すことを、心から求めます。

   長く平和市長会議を牽引し、核廃絶にとりくんできた、秋葉忠利広島原水禁代表委員・前広島市長は、「広島を訪れて世界観が変わったというアメリカ人は多い」、オバマ大頭領が広島を訪問したことによって、原爆投下への考え方が米国でドラスティックに変わってきていると話されました。多くの国の為政者が、広島を、長崎を訪れ、被爆の実相に触れていただくことを心から期待します。
   オバマ大統領が今、任期満了を控えて核廃絶へ一歩踏み込んだ政策を考えているとの報道があります。核兵器廃絶へ、米国は紛争において最初に核兵器を使うことはしないなどとする「先制不使用宣言」や核兵器の「即時警戒体勢の解除」など、具体的な施策の実現を求めます。
   しかし、一方で、日本政府は、自らの安全保障のために、米国の「先制不使用宣言」に反対していると言われています。
   戦争被爆国として「核廃絶」を主張する日本が、オバマ大統領の「核なき世界」への道の障害になってはなりません。日本政府のそのような姿勢は、塗炭の苦しみの中から、二度と被爆者を出してはならないと核兵器廃絶に声を上げ続けてきた被爆者への裏切り以外の何ものでもありません。
   私たちは、そのような日本政府の姿勢を決して許しません。

   さて、原水禁大会の場で聞くのは、いかがなものかと思いますが、日本は核兵器を持っている国なのか、持っていない国なのか、どちらでしょうか?
   昨年10月20日、国連総会第1委員会において、中国の軍縮大使は、「日本は48トンのプルトニウムを保有している」「核武装を主張する政治勢力が存在する」「意図すれば短時間で核保有国になることができる」として、日本のプルトニウム利用政策をきびしく批判しました。日本側が反論し非難の応酬となっています。
   安倍政権は、福島第一原発事故以降も、エネルギー計画の基本に、使用済み核燃料の再処理によって得られるプルトニウムを、高速増殖炉やMOX燃料として通常の軽水炉で利用する「核燃料サイクル計画」を位置づけています。
   日本は、NPT加盟国の非核保有国の中で唯一再処理を認められ、現在国内外に48トンものプルトニウムを保有しています。プルトニウムはご存じのように原子爆弾の原料であり、48トンは、長崎型原子爆弾に換算して約6000発に相当します。
   しかし、この「核燃料サイクル計画」を担うとされる、六ヶ所再処理工場は23回目も完工が延期され、高速増殖炉もんじゅにおいても、1995年のナトリウム漏れの事故以降、事故や点検漏れなどの不祥事が相次ぎ、原子力規制委員会から運営主体の変更も迫られています。どちらも、先の目処が立たない状態です。
   オバマ米大統領は、就任以来「核セキュリティーサミット」を開催し、核テロの可能性に触れて「これ以上分離プルトニウムを増やすべきではない」と主張してきました。この間、米国の様々な場面で同様の発言があいついでいます。
   原水禁は、「東北アジア非核地帯構想」を提起し、その議論を重ねてきました。朝鮮民主主義人民共和国が核兵器を開発し、日本が48トンものプルトニウムを保有しいつでも核保有国になり得る条件を確保している中で、韓国も、再処理を認めるよう、米韓原子力協力協定の再交渉で強く要求しています。
   被爆国日本として、先の目処も立たず破綻したとしか考えられない「核燃料サイクル計画」プルトニウム利用計画を、早期に放棄しなくてはなりません。「廃炉という選択肢は現段階でまったくない」とした馳浩文部科学大臣の主張を、許すことはできません。

   福島原発事故から5年を経過して、福島第一原発は、全く手のつけようがない状況が続いています。溶融した燃料は、只ひたすら冷却し続けるだけで、取り出すことはかないません。原子力損害賠償・廃炉等支援機構からは「石棺」などの言葉も飛び出し、福島県民の大きな批判を浴びました。放出される放射能と大量の汚染水は、環境と県民の健康への脅威となっています。

   このような中で政府は、2017年度末を目途に、帰還困難区域を除く全ての地域で避難指示の解除を行い、同時にこれまでの補償を打ち切ることも示しています。  仕事や学校と、避難先での生活が定着してきた中で、帰還しても病院や学校、商店など生活環境が整わず、また20mSv/yという放射線量や放射性物質を含む除染廃棄物などを包んだ黒いフレコンバックの山など、健康への大きな不安、帰れない人、帰らない人、この間、避難指示が解除されても人々の帰還はすすんでいません。政府は、環境の問題に対して正しい情報を明らかにしなくてはなりません。そして、人々の思いや不安を無視した一方的な帰還を強要してはなりません。それぞれの選択に対して、十分な保証を行うべきです。

   2011年の10月から、事故当時18才以下であった子どもの甲状腺に関する調査が行われてきました。2016年3月現在で、173人が甲状腺ガン又はガンの疑いと診断されています。経過観察が必要な子どもたちは1400人を超えています。この事故が無ければ、子どもたち全員の甲状腺検査の実施も必要もなかったでしょう。甲状腺ガンと事故の因果関係を議論するまえに、国が事故の責任を自覚し支援を強化していく必要があります。

   今年、4月、熊本県において震度7を記録する地震が発生しました。活断層上の益城町では、1580ガルの震動を記録しています。稼働中であった隣県の川内原発の基準値振動は620ガル、今回動いた日奈久・布田川断層帯の延長線上、中央構造線に沿って立てられている伊方原発では、650ガルとされています。これで十分なのでしょうか。
   2000年の鳥取西部地震は、地震の空白域で発生し、地震動は1135ガルを記録しています。2008年の岩手・宮城内陸地震も同様で、未知の断層で発生し、上下の地震動はなんと3866ガルと言われ、ギネスブックでも世界最大と認定されています。
   「大飯原発で想定される地震の揺れは、過小に評価されている」とした原子力規制委員会の島崎邦彦前委員長代理の指摘を、原子力規制委員会は、7月28日、「根拠がない」として一蹴しました。防波堤を越える津波の予想を黙殺し、メルトダウンという甚大な被害を引き起こしたたった5年前の福島第一原発事故を忘れたのでしょうか。
   安倍首相は、2006年12月の国会答弁で「(原発が爆発したりメルトダウンする深刻事故は想定していない)原子炉の冷却ができない事態が生じないように、安全の確保に万全を期しているところである」と述べています。政治家として、当時の首相としての発言に、いったいどのような責任を取ったのでしょうか。誰も責任を取らない無責任な原発政策は、未だ止まることはありません。

   現在放映中のNHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモデルになった大橋鎭(しず)子さん」が創刊した「暮しの手帖」と言う雑誌があります。その初代編集長が、反骨精神に富み、数々の逸話を残した花森安治さんです。
   軍隊生活の体験から、1970年の「暮しの手帖」10月号に「見よぼくら一銭五厘の旗」という詩を残しています。一銭五厘は、戦時中のはがきの値段、いわゆる召集令状の値段です。

満洲事変 支那事変 大東亜戦争
貴様らの代りは 一銭五厘で来るぞと
どなられながら 一銭五厘は戦場をくたくたになって歩いた へとへとになって眠った
一銭五厘は 死んだ
一銭五厘は けがをした 片わになった  (※本人の表記のママとしました)
一銭五厘を べつの名で言ってみようか
<庶民>
ぼくらだ 君らだ

民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら
企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら
政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて見ているだけだったら
七十年代も また〈幻覚の時代〉になってしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ

   広島大会の基調提起でも申し上げましたことを、もう一度、話させていただき最後にしたいと思います。

   今、日本社会に必要なのは、一人ひとりの命の側に立つことなのだと思います。原発も、核兵器も、沖縄も、戦争法も、そこから考えると自ずと答が見えてきます。

   私たちは、正しい。私たちが、ひとりの命ある人間であるからこそ、私たちは、正しい。と、私は思います。

   9日まで、長崎大会での、皆さまの真摯な議論に期待を寄せて、大会基調の提起といたします。

   皆さん、3日間にわたって熱い議論をいただきました。本当にありがとうございました。大会を裏で支えていただきました、地元広島の実行委員会の皆さまにも、心から感謝申し上げます。3日間のまとめをさせていただきますが、全ての議論に触れることがかなわないことを、どうかお許し下さい。

   5日の午後の国際会議において、日本のプルトニウム利用に関して、活発な議論がありました。
   日本が持つ48トンもの余剰プルトニウムは、福島原発事故以降、その先行きが不透明になっています。米国のサバンナ・リバー・サイト監視団のトム・クレメンツさんは、米国において余剰プルトニウムをMOX燃料として処分していこうとする計画が失敗したと報告されました。MOX工場はきわめて大きなコストがかかり、非現実的で、彼は「余剰プルトニウムは負の遺産であり、燃料としての価値はない」と言い切っています。

   しかし、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さんからは、日本では、先の見通しもなく再処理事業の延命が図られている。六ヶ所の再処理が動き出すとしたら年間8トンものプルトニウムが生まれるが、現実として利用計画をつくり出すことが不可能となっていると述べられました。「再処理は、核兵器を持つ可能性をつくる」と、伴さんは警鐘を鳴らします。

   トム・クレメンツさんは、米国の立場としては、「これ以上日本がプルトニウムの備蓄を増やすな」というメッセージを出していると述べています。

   「日本が、これ以上再処理を続けていくとしたら韓国も同じ道を歩み出すだろう」と、韓国のNPOエネルギー市民連帯のソク・カンファンさんは、大きな懸念を示しました。ソクさんは、「アジア諸国間のプルトニウム競争」は止めさせなくてはならない。コストの高い再処理について、日本国民も、韓国国民も、納税者としてしっかりと考えなくてはならないと述べています。

   被爆国としての日本が、そして、非核保有国として唯一再処理を行っている日本が、このプルトニウム政策から撤退することは、世界の核政策に与える影響は大きいと考えます。私たちは、このことに対するとりくみを強めていかなくてはなりません。

   基調提起において、広島を訪れたオバマ大統領が任期の最後に、米国の核政策を変えようと「先制不使用宣言」を検討しているが、日本政府は、「先制不使用宣言」を米国が行わないように要請していることを報告しました。このことに関して、
   「紛争において最初に核兵器を使うことはしないと米国が約束することに反対しないで下さい」
   との書簡を、安倍首相宛に、国内外の多くの著名人の署名を付して送付することとしました。日本政府は、被爆国として、米国の核の傘の下に自国の安全保障を位置づける政策を放棄していかなくてはなりません。

   前広島市長で広島原水禁代表委員の秋葉忠利さんは、広島を訪れて世界観が変わったというアメリカ人は多い、オバマ大頭領が広島を訪問したことによって、原爆投下への考え方が米国でドラスティックに変わってきていると話されました。米国が変わりつつある中で、米国の核政策の変更を、被爆国日本が阻止することは許されません。

   チェルノブイリの原発事故を経験した、ロシアのNPOラディミチのエカテリーナ・ヴィコワさんは、当時放射性物質が拡散したにもかかわらず、普通の日常があったと話しました。情報の集まる役人が、自分の子どもたちを避難させたような事実はあったが、誰も何も語らなかった。自分は、暮らしていたセミョノフカという比較的放射線量の低い町から、教員になるためにもっと放射線量の高いノボジプコフの町の大学に進学した。しかし、そこでも一部の教員を除いて、誰も関心を示さず脅威も感じていなかったと話されました。

   しかし、25才になって関節炎や甲状腺の障害が現れました。それは若い女性一般に共通な症状でした。ホルモンの異常で、不妊に悩む女性も多かったと言います。彼女は、現在「ラディミチ」というNPOで、放射線の高いところから一時避難させる子どもたちの保養プロジェクトに関わり、甲状腺診断機を購入して健康支援も実施しています。診断室には16000人が登録し、年に2000人が来ると言います。子どもたちの7割が、甲状腺に何らかの障害を持ってると報告されました。
   汚染の情報が、市民社会に伝わらない。汚染の状況や具体的知識の不足が、更なる被爆を繰り返すという事態が起こっていました。ヴィコワさんは、分からないことがストレスとして心理的に大きな影響を与えると言います。

   福島原発事故から5年目を迎えるフクシマの現実と今後について、多くの議論がありました。武藤類子さんからの報告の中には、放射性物質を含む廃棄物のフレコンバックが大雨で流されたり、中身が飛び出してしまったりした写真がありました。黒いフレコンバックが大量に並ぶ写真は、地球の最後を想起させます。20mSvもの放射線量の中で、黒いフレコンバックの山を前にしての生活を強要することが、許されるはずがありません。

   チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西の振津かつみさんは、第6分科会のレポートの中で、チェルノブイリとフクシマは、それぞれに事故の性格、社会・歴史的背景の特殊性がありますが、原発重大事故として普遍的な被害の問題、被害者の体験や思い・訴え、闘いがあります。それぞれの特殊性を踏まえた上で、互いに学び合い、被害者の相互交流と連帯を深めていくことは重要ですと述べています。
   これからのフクシマを考える上で、チェルノブイリの経験は重要な意味を持つのではないでしょうか。

   被爆71周年原水禁世界大会のスローガンに、「憲法改悪反対!辺野古に基地をつくらせるな!」という言葉が入りました。それを受けて、第3分科会のテーマは「憲法・沖縄・平和を考える」となっています。今、沖縄で何が起こっているのか、日本の民主主義が壊れていくその実態が沖縄にあります。米海兵隊の新基地を建設しようとする辺野古とオスプレイの訓練のためのヘリパットを建設しようとしている高江が、日本の民主主義とは何かを象徴しています。
   沖縄平和運動センターの岸本喬さんから、高江のヘリパット工事の強行も含めて沖縄の「不条理」な状況が、そしてこれまでの歴史が報告されました。他県から派遣されている機動隊は別にして、同じ沖縄県民同士がぶつかり合う姿を「悲しいですよ」と表現しつつ、今後も「不条理」に立ち向かうと決意を述べています。

   軍事評論家の前田哲男さんは、憲法・沖縄・平和と言うテーマは困難な報告になると話、憲法が求める平和の条件をつくることはきわめて困難な状況にあるとしました。しかし、国民は長きにわたって「戦う自衛隊」ではなく「働く自衛隊」を求めて来たとして、そこにきちんと訴えていくことが重要であると指摘しています。
   1945年の熱い夏を思い起こし、私たちが、戦後いったい何を求めて来たのかと言うことを再確認しなくてはなりません。前田さんは「立憲主義とは、」憲法を制定し、それに従って統治する政治のあり方」であるとし、それは「平和憲法によって立つ、すなわち『憲法9条に立脚した』平和の創造である」と述べています。

   この原水禁大会に来る直前の7月19日、私は、長野県の上田市近郊にある「無言館」という、小さな美術館に立ち寄る機会を得ました。皆さんご存じでしょうか、アジア・太平洋戦争で戦死した画学生が残した絵画を展示している、素晴らしい美術館です。

   美術学校に通っていた画学生たちは、卒業してすぐに、また、ある者は学徒出陣によって、戦場に送られました。彼らの使った絵筆の先には、たくさんのモデルの顔がありました。それが恋人だったこともあったでしょう。その二人の間には、それぞれの人間を慈しむ、温かい心があります。その画学生たちが、鉄砲を握って戦闘に駆り出されました。その鉄砲の先に、彼らは何を見たのでしょうか。彼らの手の先に見えていたのは、ひとりの命ある人間です。しかし、その二人の間に温かな人間の心が存在したのでしょうか。持っているものの違いによって、絵筆なのか、鉄砲なのか、そのことによって、対峙する人間との間にあるものは全く違ってきます。愛なのか憎しみなのか、暖かい心なのか冷たい心なのか、生なのか死なのか。

   想像して下さい、絵筆を以て、人間の本質や自然の摂理と向き合ってきた人間が、人と向き合って人を殺していく悲しみと苦しみを、そのことを想像して下さい。

   日本の安全保障のためにといって「戦争法」が昨年9月に成立しました。自衛隊が、米軍とともに世界のどこかで戦争を行う日が来ることが予定されています。第4次安倍内閣において、防衛大臣に「祖国のために命を捧げろ」と主張する、稲田朋美衆議院議員が就任しました。

   無言館に飾られた、日高安典さんと言う方の絵の脇に、添えられた言葉を紹介します。

   あと5分、あと10分、この絵を描きつづけていたい。外では出征兵士を送る日の丸の小旗がふられていた。生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから......。安典はモデルをつとめてくれた恋人にそう言い残して戦地に発った。しかし安典は帰ってこなかった。
   もし、あなたの美術館がお国の美術館だったら、きっと兄の絵をあずける気にはならなかったでしょう、と弟の稔典さんはいう。なぜなら、安典はそのお国の命令で戦地に行ったんですから......。

   二度と私たちは、私たち自身、そして私たちの仲間を、お国のためにと戦場に送ってはなりません。国策としての戦争によって、その結果として71年前の広島がどうであったのか。そのことを忘れてはなりません。  平和のために、全力を尽くすことを皆さんと確認し合い、まとめとします。

   1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾は、強烈な「熱線」、「爆風」、「放射線」のもと、その年の内に14万人もの生命を奪い去りました。あの日から71年、「核戦争起こすな、核兵器なくせ」「ふたたび被爆者をつくるな」と、被爆者は声の出るかぎりに訴え続けてきました。被爆者は高齢化し、残された時間で、戦争、被爆を知らない世代との連携によって体験の継承、核廃絶に向けた運動を展開しています。今、私たちは被爆者たちが訴え続けているその声を「継承」していく責務があります。

   世界には、未だ約15,400発の核弾頭が存在しています。昨年のNPT再検討会議においては、合意文書を採択できませんでしたが、核兵器を禁止する法的措置を求める「人道性の誓約」への賛同は107カ国に広がりました。このことは、国連における、核兵器を禁止する法的文書について実質的に審議する「公的作業部会」の設置につながり、今年2月から審議が始まっています。日本政府に、唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶へ向けた議論をリードしていく責任を認識させなければなりません。

   5月27日、バラク・オバマ米大統領は現職大統領として初めて広島市を訪れ、平和記念公園で原爆慰霊碑に献花し、広島・長崎を含む第二次世界大戦のすべての犠牲者に哀悼の意を示すスピーチを行いました。「未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう」「平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません」と世界に訴えました。私たちは、投下の判断の是非を問うこと以上に、投下によって引き起こされた現実を真摯に受け止めて、米国をはじめすべての核保有国が「核兵器の非人道性」を理解し、核廃絶に向かう一歩を踏み出すことを求めます。

   安倍政権が進める原子力政策では、福島原発事故の反省もなく、国民世論の6割以上が脱原発を求めているにもかかわらず、原発推進政策を打ち出し、強引に進めています。また、破綻している核燃料サイクル計画にもかかわらず、大量のプルトニウムを保有しています。プルトニウムは、核兵器の原材料となることから周辺諸国に脅威を与え、東北アジア非核地帯化の実現に大きな障害となっています。プルトニウム利用政策は、核兵器問題と結びついており、東北アジアの平和と安定に向け即座に止めさせなければなりません。

   原子力規制委員会の「新規制基準」により川内、高浜、伊方原発を審査合格として、すでに川内原発は再稼働してしまいました。大会直後の12日には、伊方原発の再稼働が行われようとしています。一方で、高浜原発は、大津地裁から新基準に適合しても「安全性は確保できない」として再稼働の差し止めを認めました。また、「脱原発」を掲げた新人の三反園訓氏が鹿児島県知事選に当選する等、反原発の動きが前進してきています。私たちは、原発の再稼働を許さず、全ての原発の廃炉、再生可能エネルギーへの転換を求めます。

   東日本大震災による福島第一原発の事故から5年が経過しますが、現在も約9万人の福島県民が未だに避難生活を余儀なくされ、長期に渡る避難生活は、暮らしや健康、就労等多くの不安と負担を与え続けています。一方で安倍政権は、年間被ばく量20mSv以下は安全として帰還を促進し、避難者への慰謝料や商工業者への損害賠償を終了させようとしています。全てをなかったものにしようとする姿勢は許せません。国の責任「国家補償」の精神に基づく健康と生活の保障を求めていく取り組みを強化しましょう。

   安倍政権は、違憲の安全保障関連法制を国会での数の力で成立させ、戦争ができる国にしようとしています。戦争により何が起こったのか、被爆地ヒロシマで体験した私たちは、9条を守り憲法を守り一切の戦争を否定し、二度と悲劇が繰り返されないよう訴え行動していきましょう。

   これまで私たちは原水禁を結成し、51年にわたり一貫して「核と人類は共存できない」、「核絶対否定」を訴え続け、核のない社会・世界をめざして取り組んできました。現在、暴走し続ける安倍政権の戦争への道、原発再稼働への道に対抗していくことが喫緊の課題であり、将来ある子どもたちに核も戦争もない平和な社会を届ける取り組みを全力で進めます。

○すべての核兵器をなくし、核と戦争のない21世紀をつくろう!
○核兵器禁止条約を実現しよう!
○東北アジアの非核兵器地帯条約を実現しよう!
○フクシマを繰り返すことなく、全ての原発の再稼働に反対し脱原発社会をめざそう!
○再処理・もんじゅを止め、核燃料サイクルをやめさせよう!
○原発事故の被災者と被曝労働者の健康と命と生活の保障を政府に強く求めよう!
○非核三原則の法制化を実現しよう!
○平和憲法を守り、憲法違反の安全保障関連法の廃止をめざそう!
○ヒバクシャ援護施策の強化ですべてのヒバクシャ支援を実現しよう!

   ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノー モア フクシマ、ノー モア ヒバクシャ

            2016年8月6日
                                                被爆71周年原水爆禁止世界大会・広島大会

   ご紹介いただきました。大会実行員会事務局長、原水爆禁止日本国民会議の藤本です。今年も、全国から多くのみなさまに原水禁大会に参加いただきました。心から感謝を申し上げます。また、地元実行委員会の皆さまのご努力にも感謝を申し上げます。
   基調につきましては、皆さまのお手元に配布をさせていただいております。時間の関係もあり全てに触れることはできません。後ほど目を通していただきたいと思います。ここでは、私の思いも含め、若干の課題に触れて、基調の提起とさせていただきます

   本年、5月27日、バラク・オバマ米大統領が、現職の大統領として、初めて被爆地広島を訪れました。平和公園の原爆慰霊碑に献花し、広島・長崎を含む第2次世界大戦の全ての犠牲者に対して、哀悼の意を示すスピーチを行いました。「1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません」とする彼のスピーチには、被爆の実相から目をそらすこと無く、米国の道義的責任を自覚する、自省に満ちた言葉がありました。私たちは、米国を中心とした核保有国が、「核兵器の非人道性」に目を背けること無く、その事実から核兵器廃絶の一歩を進めることを、心から求めます。

   米の著名なNGO「憂慮する科学者同盟(Union of Concerned Scientists、UCS)は、「核兵器が使用される可能性を減らし、核兵器をなくす方向に世界を前進させるために、米国の政策に変更を加えることをオバマ大統領が検討している」と伝え、何人かの連邦議会議員が「先制不使用宣言」を、オバマ大統領に求めているとしています。「核なき世界」を標榜してきたオバマ大統領には、具体的な一歩として、米国は紛争において最初に核兵器を使うことはしないなどとする「先制不使用宣言」の実現を求めます。

   しかし、米国の核の傘の下に、安全保障政策をおく日本政府は、米国の核政策の変更に対して強く反対していると言われています。戦争被爆国として「核廃絶」を主張する日本が、オバマ大統領の「核なき世界」への道の障害になってはなりません。日本政府のそのような姿勢は、塗炭の苦しみの中から核兵器廃絶、二度と被爆者を出してはならないと声を上げ続けてきた被爆者への裏切り以外の何ものでもありません。私たちは、そのような日本政府の姿勢を決して許しません。

   安倍政権は、福島第一原発の事故以降、2030年代の原発ゼロをめざすとした民主党政権の政策を否定し、新エネルギー基本計画において将来の原発依存度を20~22%に設定し、安全基準をクリアした原発から、再稼働を行うとしました。そして、そのエネルギー計画の基本に、使用済み核燃料の再処理によって得られるプルトニウムを、高速増殖炉で利用する「核燃料サイクル計画」を再度位置づけました。日本は、NPT加盟国の非核保有国の中で唯一再処理を認められ、現在国内外に48トンものプルトニウムを保有しています。プルトニウムはご存じのように原子爆弾の原料であり、48トンは、長崎型原子爆弾に換算して約6000発に相当します。
   日本政府は、プルトニウムおよび天然に存在するウランの99%占めるウラン238を高速増殖炉において使用するならば、半永久的にエネルギーをつくり出すことができるとし、プルトニウムを純国産エネルギー、そして高速増殖炉を夢の原子炉と位置づけています。
   しかし、現実はどうでしょうか。再処理工場の稼働は、目処が立っていません。高速増殖炉もんじゅにおいても、1995年のナトリウム漏れの事故以降、事故や点検漏れなどの不祥事が相次ぎ、全く先の見通しが立たない中、1日5500万円、年間200億円とも言われる多額の維持費用だけが、私たちの税金によって費やされています。

   オバマ米大統領は、就任以来「核セキュリティーサミット」を開催し、核テロの可能性に触れて「これ以上分離プルトニウムを増やすべきではない」と主張してきました。高速増殖炉の完成が不明確な中、また2011年3月11日の福島第一原発の事故以降、多くの原発が停止されるきびしい状況にあって、プルトニウムの利用計画は白紙の状態となっています。
   昨年の国連総会において、中国の国連軍縮大使は、日本は48トンのプルトニウムを保有している、核武装を主張する政治勢力が存在する、意図すれば短時間で核保有国になることができるとして、日本のプルトニウム利用に懸念を示しています。
   今年3月に米上院外交委員会公聴会において、カントリーマン国務次官補は「使用済み核燃料の再処理に経済的正当性は無く、米国は支援も奨励もしない。全ての国が撤退すれば喜ばしい」と、日本を意識した発言を行っています。この間、米国の様々な場面で同様の発言があいついでいます。

   原水禁は、東北アジア非核地帯構想を主張し、その議論を重ねてきました。朝鮮民主主義人民共和国が、核保有に向かい、日本が48トンものプルトニウムを保有しいつでも核保有国になり得る条件を確保している中で、韓国も再処理を認めるよう米韓原子力協力協定の交渉で強く要求を行っています。
   長く原水禁運動を牽引した岩松繁俊元原水禁議長は、「ところで、原水禁運動はただ核兵器廃絶だけを目的とした運動ではありません。原発・再処理施設を含む核燃料サイクルは、長崎に投下されたプルトニウムの製造装置であり、原発増設をやめない日本は、世界から核兵器保有の疑惑を持たれています。被爆国日本の核廃絶の訴えは、世界では信用されていないのです」と主張しています。
   被爆国日本として、先の目処も立たず破綻したとしか考えられない「核燃料サイクル計画」プルトニウム利用計画を放棄しなくてはなりません。「廃炉という選択肢は現段階でまったくない」とした馳浩文部科学大臣の主張を許すことはできません。

   福島原発事故から5年を経過して福島はどうなっているのでしょうか。溶融した燃料は、只ひたすら冷却し続けているだけで、放出される放射能と大量の汚染水は、環境への脅威となっています。事故の収束作業は、先の目処が立っていません。海溝型地震である東日本・太平洋沖地震の最大余震がいつ来るのか来ないのか、私たちは未だ原発震災の脅威と向き合っています。
   このような中で政府は、帰還困難区域を除いて、居住制限区域および避難指示解除準備地域において、除染作業が終了し、年間被ばく量が20mSv以下となった地域の避難指示を解除してきました。2017年度末を目途に、帰還困難区域を除く全ての地域で避難指示の解除を行い、同時にこれまでの補償を打ち切ることも示しています。
   避難先での生活が確立しつつあり、仕事の都合や学校の問題、病院やその他のインフラの不足、また20mSv/yという放射線量、山積みされ中には草木が芽を出して破けてしまっている、放射性物質を含む除染廃棄物などを包んだ黒いフレコンバックの山、子どもたちをそのような環境に返していいのだろうかという大きな不安、帰れない人、帰らない人、この間避難指示が解除されても人々の帰還は進みません。人々の思いや不安を無視した一方的な帰還の強要が許されるはずはありません。

    2011年の10月から、事故当時18才以下であった子どもの甲状腺に関する調査が行われてきました。2016年3月現在で、173人が甲状腺ガン又はガンの疑いと診断されています。
   この事故が無ければ、子どもたち全員の甲状腺検査の実施も必要が無く、甲状腺ガンと事故の因果関係を議論するまえに、国が事故の責任を持って支援を強化していく必要があります。
   1986年のチェルノブイリ原発事故においては、社会体制の違いはあるにせよ、人々を被ばくから守るため、汚染地の区分、被災者のカテゴリー、居住と移住の権利、労働の条件などを定め「放射能汚染で生じた生活や医療など多くの問題の解決」をめざす、チェルノブイリ法が制定されています。
   また、原水禁運動は、ヒロシマナガサキの被爆者問題に、被爆者援護法の充実と過去・現在・未来の三つの「ほしょう」を基本にしてに、被爆者そして被ばく二世・三世の課題に取り組んできました。そのこともなお道半ばではありますが、これまでのとりくみを基本に、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを結んで、政府の支援と補償の切り捨てを絶対に許さず、一人ひとりの思いに寄り添い、議論を重ねながら、補償の拡充にとりくんで行きたいと考えます。

   今年、4月、熊本県において震度7を記録する地震が発生しました。活断層上の益城町では、1580ガルの震動を記録しています。稼働中であった隣県の川内原発の基準値振動は620ガル、今回動いた日奈久・布田川断層帯の延長線上、中央構造線に沿って立てられている伊方原発では、650ガルとされています。
   2000年の鳥取西部地震は、地震の空白域で発生し、地震動は1135ガルを記録しています。2008年の岩手・宮城内陸地震も同様で、未知の断層で発生し、上下の地震動はなんと3866ガルと言われ、ギネスブックでも世界最大と認定されています。
   熊本地震においては、稼働中の川内原発の停止を求める声に対して、原子力規制委員会は、問題は無いと応じませんでした。熊本地震は、長く余震が続き、震源域は大分県方面に拡大されました。その震源域が鹿児島方面に動かないと誰が言えるのでしょうか。全国の原発付近で、基準値振動を超える地震が発生しないと誰が断言できるのでしょうか。

   「大飯原発で想定される地震の揺れは、過小に評価されている」とした原子力規制委員会の島崎邦彦前委員長代理の指摘を、原子力規制委員会は、7月28日、「根拠がない」として一蹴しました。
   防波堤を越える津波の予想を黙殺し、メルトダウンという甚大な被害を引き起こしたたった5年前の福島第一原発事故を忘れたのでしょうか。
   安倍首相は、2006年12月の国会答弁で「(原発が爆発したりメルトダウンする深刻事故は想定していない)原子炉の冷却ができない事態が生じないように、安全の確保に万全を期しているところである」と述べています。政治家として、当時の首相としての発言に、いったいどのような責任を取ったのでしょうか。誰も責任を取らない無責任な原発政策は、未だ止まることはありません。

   原水禁岩松繁俊元議長は、「原水禁運動とは何か」との一文で、「 広島・長崎で被爆した人たちすべてが、言語に絶する苛酷な被害にのたうちまわったのみならず、これら被爆体験者をじかに目撃した『非体験者』が、衝撃にたえられず慟哭したという事実こそ、この残虐なジェノサイド兵器への、怒りと悲嘆と絶望ならびに反戦・平和への熱望という反応が『普遍的』であることの客観的証明です」と述べています。そこには、突然に罪なき無辜の人々に降りかかった惨劇への、命への真摯な考察があります。

   作家の村上春樹さんは、2011年6月、バルセロナでのスピーチで、ヒロシマ・ナガサキに触れながら、福島原発事故に関して「何故そんなことになったのか?、戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?、我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう」「理由は簡単です。『効率』です」と述べています。

   原水禁運動は、ヒバクシャの命と真摯に向き合ってきました。そのことの意味をもう一度、私たちは見つめ直すことが必要ではないでしょうか。

   大津地裁の山本善彦裁判長は、高浜原発3・4号機の「再稼働禁止仮処分申立事件」の決定書において、「原子力発電所による発電がいかに効率的であり、発電に要するコスト面では、経済上優位であるとしても、それによる損害が具現化したときには、必ずしも優位であるとはいえない上、その環境破壊の及ぶ範囲は我が国を越えてしまう可能性さえあるのであって、これらの甚大な災禍と引き替えにすべき事情であるとはいい難い」と述べています。

   いのちの問題を経済的効率で語ることはできない、ごく当たり前の話ではないでしょうか。しかし、経済成長を謳歌していた私たちにとって、それは視界の外に置かれた問題ではなかったのでしょうか。つい最近、障害者19人が殺害されるという絶望的事件が起きました。議論は、犯人への憎悪、そして措置入院などの制度の問題に矮小化されています。
   しかし、振り返ると侵略戦争と植民地支配、特攻などの狂信的作戦、戦後は水俣病などの公害、そして原発立地の地方への押しつけ、沖縄への基地の押しつけ、日本の政治が、一人ひとりの命に寄り添うことがあったでしょうか。繰り返される政治家の差別発言が、しかし許されまかり通っている。19人の殺害という衝撃的な事件の原因は、実はそのような命を粗末に扱ってきた日本社会の構造にあるのではないでしょうか。

   先程の村上春樹さんは、2009年のエルサレムでのスピーチで、「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と述べています。「その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます」「私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った、個性的でかけがえのない心を持っているのです」「私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです」と述べています。

   今、日本社会に必要なのは、一人ひとりの命の側に立つことなのだと思います。原発も、核兵器も、沖縄も、戦争法も、そこから考えると自ずと答が見えいてきます。

   私たちは、正しい。私たちが、ひとりの命ある人間であるからこそ、私たちは、正しい。と、私は思います。

   6日まで、広島大会の皆さまの真摯な議論に期待を寄せて、大会基調の提起といたします。

※大会においては、時間の関係で一部分省いています。ご了解下さい。

広島開会総会 

   竹内ふみのさんの二胡の演奏をオープニングとして、8月4日、被爆71周年原水爆禁止世界大会・広島大会がグリーンアリーナ大アリーナ(広島県立総合体育館)に3000人の参加者を得て始まりました、高校生平和大使を担った経験のある石原あかりさんの司会で大会は進行されました。犠牲者への黙とう後、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)はオバマ米大統領が5月に現役米大統領として初めて広島を訪れ演説した意義とともに、深く潜む問題点についても言及、さらに安倍首相の下日本の政府が核廃絶・核禁止に反する動きを強めていることの危険性を訴えました。
   松井一寛広島市長のあいさつ(代読)や湯崎英彦広島県知事のメッセージが紹介された後、海外ゲストとして参加しているクラウディア・ロート独連邦議会副議長が登壇。緊迫する世界情勢のなかでの核廃絶の重要性を強く訴えました。つづいて高品健二さん(広島県被団協)が被爆者の訴えを行いました。
   毎年、国連欧州本部を訪ねて核廃絶を訴えている高校生平和大使の活動について、第19代大使となった岡田実優さん、吉田菜々子さんと伊藤美波さんが、それぞれの思いを語り、ヒロシマの被爆者の声や平和を世界に伝え発信していくことを誓いました。
   福島からの報告では、福島原発告訴団団長の武藤類子さんが、とりくみの決意表明をしました。
   さらに、大会の基調提案を藤本泰成・大会事務局長が行ったあと、大会に参加した海外来賓が紹介されました。最後に参加者全員で「原爆を許すまじ」を合唱し、秋葉忠利・広島実行委員長のあいさつでて閉会しました。広島大会は5日に分科会・ひろばや国際会議、6日にまとめ集会が開かれ、長崎大会に引き継がれます。

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