2015年8月アーカイブ

川内原発の再稼働に対する抗議声明

川内原発の再稼働に対する抗議声明

原水爆禁止日本国民会議 議長 川野浩一

 九州電力は、本日(8月11日)、川内原発1号機を起動し、再稼働に踏み切りました。新規制基準の導入後、初めての原発再稼働で、14日にも発電と送電を行うとしています。
 安倍首相は、「世界で最もきびしいレベルの新規制基準」に適合する原発を「地元了解の上で原発運転を順次再開していく」との方針を示していますが、政府は繰り返し「再稼働は事業者の判断」としてその責任を国ではなく事業者に押し付けています。
 また、規制委員会の田中俊一委員長は、「(再稼働の判断について)規制委が判断しなければいけない理由は何もない」(8月5日発言)として、再稼働の可否の判断に責任を負わないとしていしています。
 一方、地元自治体もこれまで「国が安全と認めた原発」の再稼働には同意するとしており、自治体自らの判断と責任を回避しています。事故が起こった時の責任を、誰もが巧妙に回避し、無責任体制の中で再稼働が行われます。
 地域住民の合意も得ていません。毎日新聞世論調査(8月8日、9日)では、再稼働に「反対」57%、「賛成」30%となっています。圧倒的多数が、不安を持って再稼働に反対をしています。その上、実効性のある避難計画も不十分であり、行政をはじめとした対応も多くが未整備のままです。再稼働させるための環境は整っていないのが現実です。
 「世界で最もきびしいレベルの新規制基準」についても、同型の原子炉である高浜原発の運転差止訴訟判決の中で、「合理性を欠く」などと指摘され、適合しても「安全性は確保できない」とされました。基準そのものが不十分であることが司法によって明らかにされています。規制委員会が何度も指摘しているとおり、新規性基準に適合しても安全とは言えず、過酷事故の起こることを前提にして、その対応を含めての規制基準であることは明確です。福島原発事故の検証も不十分な中で設けられた新規制基準には限界があり、安全が担保された訳ではありません。
 現在、日本国内の原発は一基も稼働していません。しかし、電力不足の声は聞かず、昨年後半からは原油価格の下落から石油や液化天然ガスなどの火力の燃料費が下がり、原発を持つ電力9社の今年の4月から6月期決算は、震災後初めて経常損益が全て黒字となっています。どこにも危険である原発を再稼働しなくてはならない理由はありません。
 この間、原発労働者の緊急時被曝線量の大幅引き上げ(年間250mSv、生涯1000mSv)が行われ、今後、自治体職員やバスの運転員など事故に対応する労働者の被曝線量の引き上げも検討されています。原発の事故を前提とした被曝線量の引き上げは、市民や労働者の健康的生存権の侵害にあたります。事故を前提に進められる原発の再稼働は、まさに住民や労働者の「命」よりも企業の「利益」が優先されるもので許すことはできません。
 原水爆禁止日本国民会議は、このような無責任体制の中で世論も人権も無視し、強引に進められる川内原発の再稼働に断固抗議し、「命」の軽視を許さず、現地の住民・市民とともに廃炉に向けてより一層の運動強化をはかっていきます。

 

被爆70周年原水爆禁止世界大会/大会宣言

   被爆から、そして敗戦から70年、原水禁結成50年の今年、日本の平和と民主主義が大きな曲がり角を迎えています。憲法、沖縄、原発など、安倍政権の暴走が加速しており、国会で審議中の安全保障関連法案いわゆる「戦争法案」は、憲法を空洞化し、蹂躙し、日本を再び戦争する国にしようとするものです。これに反対の声をあげる多くの市民は、連日国会前や全国各地で立ち上がり、その勢いは日ごとに高まっています。
   大会直後の8月11日には、川内原発(鹿児島県)の再稼働が強行されようとしています。政府や原子力規制委員会は原発の安全を保証せず、実効性のある避難計画も策定できない中で、住民の「命」より企業の「利益」を優先するものであり、決して許すことはできません。原発の再稼働は、重大事故の発生、住民や労働者の大量の被曝などを前提としており、福島原発事故から何も学んでいません。
   福島原発事故の収束は、未だに先行きが見えません。苦しい避難生活を強いられている11万人を超える福島の被災者に対して、住宅無償提供や精神的賠償などの一時的支援も打ち切られようとしています。支援の打ち切りと放射性物質による汚染地域への強制的帰還は、被災者への「棄民政策」であり許されません。原発事故の国の責任を問い、全ての被害者の人権を守らなくてはなりません。
   沖縄の辺野古への新基地建設に対し、「オール沖縄」で反対運動が続けられています。戦後、沖縄には多くの基地が押しつけられ、その負担を担わされてきました。安倍政権は、県民の声を押しつぶし、辺野古への新基地建設を強行しようとしています。私たちは、このような動きを決して許さず、断固として立ち向かいます。
   安倍首相は、被爆地広島・長崎に立ち、被爆の実相の何を理解したのでしょうか。彼の言う積極的平和主義とは、米国の戦争に協力することであり、いくら言葉を弄しても、武力でつくりあげる「平和」は、まやかしでしかありません。時の権力による恣意的解釈を許す法案は、戦争への道に必ずやつながっていくでしょう。被爆者は、そのような法案にだまされるものではありません。戦争の惨状に、被爆者の苦しみ・悲しみに向き合わず、歴史に事実に学ぶことのない安倍首相に、日本の政治を任せるわけにはいきません。
   被爆者は、多くの苦しみを背負って戦後を生き抜いてきました。被爆者の平均年齢は80歳を超えました。原爆症認定、在外被爆者、被爆体験者、被爆二世・三世など被爆者援護の課題も多く残されています。被爆者と二世三世の援護施策の充実と国の責任を明らかにすることは急務です。
   被爆者が切望する核兵器廃絶へ向けての道は半ばです。今年のNPT再検討会議の場で、核保有国は自らの権利に拘泥し、核軍縮・核廃絶の合意文書も採択できませんでした。しかし、被爆者があげつづけてきた声は、核兵器の禁止と廃絶のために行動することを約束するオーストリアの誓約文(人道の誓約)に107か国が賛同するという実を結びました。しかし、日本政府が、米国の核抑止に期待し、この誓約文書に賛同していないことは、被爆者の願いを踏みにじる行為であり許せません。私たちは、この広島・長崎そして福島の地から、世界に向けて平和と反核・非核・脱原発を発信し続けなくてはなりません。
   「あらゆる国の核実験に反対」して、再出発した原水禁運動は、全てのヒバクシャの思いに寄り添うことを基本に運動を展開してきました。被爆者の高齢化の中で、その体験と運動の継承は大きな課題になりつつあります。世代を結んでの「核と人類は共存できない」の主張が、日本の未来を明るく豊かなものにすると、私たちは確信しています。
   被爆から、敗戦から70年を迎えるにあたり、侵略戦争と植民地支配の加害の歴史をあらめて直視し、その上に立って平和憲法の理念を守りつづける決意を固めます。被爆地から核廃絶と恒久平和を訴え、世界の仲間とともに、「核と戦争のない平和な21世紀」をつくるために、私たちは行動します。
ノーモア ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ、ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー
            2015年8月9日
                                                                             被爆70周年原水爆禁止世界大会

   8月1日の原水禁世界大会福島大会から広島大会、そして長崎大会も終わりに近づきました。今大会を通じて参加された全ての方に、そして支えていただいた皆さまに、また、世界各国から参加をいただきました海外ゲストの皆さまに、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。若干の時間をいただいて、本大会のまとめを行いたいと思います。時間の関係から議論の全てに触れることができないことをお許し下さい。

   戦後70年、原水禁50年の大会を閉じようとしています。広島の原爆の日の6日、100年目を迎える全国高校野球選手権大会が開幕しました。開幕第一試合は北海高校と鹿児島実業高校でした。6日の朝日新聞に、「北海の豪腕、消えた夢」と言う記事が載りました。1940年の第26回大会の開幕戦は北海高校の前身・北海中学と松江商業、マウンドに立った北海中学の投手坪田幸一さん。彼は、その後プロをめざしますが、戦況が悪化する中、学徒出陣で特攻隊員となり24歳で亡くなったそうです。戦争は、一人ひとりの夢と希望を打ち砕きます。この長崎で、広島で、どれだけの夢と希望が消えていったのでしょうか。
   広島で開催した国際会議では、現在の核兵器をめぐる各国の状況と有効なとりくみの可能性に議論を重ねました。米国や英国の核保有国の政治情勢の厳しさ、米英とロシアの関係悪化が、核兵器削減を拒んでいる状況も見えてきます。政治的対立からは軍縮の道のりは見えてきません。また、米韓原子力協定において、韓国がパイロプロセッシング(乾式再処理)の初期段階が認めらたとの報告もありました。48トンのプルトニウム保有国日本、核保有国北朝鮮、そして韓国がプルトニウムを持てば、アジアの平和は一層遠のくに違いありません。原水禁は、再処理によるプルトニウム利用計画に反対してきました。日本の再処理によるプルトニウムでも核爆弾の製造は可能との報告されています。日本が、プルトニウム利用を放棄することは、東アジアの非核地帯構想や東アジアの平和のためにも重要であると確認しました。

   2011年の福島第一原発事故以降、日本の市民社会は核の平和利用を否定する方向に舵を切りました。全国で既存原発が再稼働へ向かっていること、川内原発、伊方原発、柏崎・刈羽原発現地から報告されています。原子力資料情報室の西尾さんは、「全原発が止まっても何も困らない。原発から電気が送られていないことが忘れられている」と指摘しています。
   安倍政権は、原発推進にまっしぐら、原子力村の利益擁護に走っています。この間原発訴訟の多くに関わってきた海渡雄一弁護士は、関西電力高島3・4号機の福井地裁の運転差し止めを命じる仮処分決定では、「深刻な事態が万が一にも起こらないこと」を基本にしているが、川内原発の運転差し止めの仮処分申請を却下した鹿児島地裁は「事故の可能性が社会通念上容認できるなら、再稼働は可能」と考えているとの指摘があり、川内原発の争点であった火山噴火の可能性に関して、火山学者を一人も招聘せず、破局的な噴火の可能性は少ないとした判断は、多くの火山学者の批判を浴びているとし、多くの根拠を上げて科学的にはまったくデタラメな判断、裁判所として「深刻な事態を起こしてはならないとする姿勢に欠ける」と批判しました。脱原発を求める声が圧倒的な中にあって、裁判所に市民の願いを聞き届ける姿勢がないのは残念です。海渡さんは、原子力村の理論に打ちかつ知識の体得と福島の被害を肌感覚で知り繰り返さないとの誓い、勝てるとの確信の共有が、脱原発に必要だと結んでいます。

   川内原発増設反対鹿児島県共闘会議の荒川譲さんから、再稼働を前にした川内原発について、伊藤鹿児島県知事が「しかし、規制委員会というあれだけ素晴らしい方々が集まった組織が安全性を追求したんです。よくぞここまでやったな、と思います。もし福島みたいなことが起こっても、もう命の問題なんか発生しないのですよね。私はそちらの方を信じます」との発言が報告されました。住民の命と生活を守る自治体の長の発言とは思えない主体性のない判断です。伊藤知事は規制委員会が「安全性の追求をした」と言いましたが、規制委員会は安全であるとは一度も発言していません。新規性基準は、事故が起こることを基本にして、周辺住民や原発労働者の被曝もまたその想定の中にあるのです。つまり原発は危険という認識を基本においたものです。
   荒川さんの報告は、全く進んでいない避難計画にも言及しています。また、周辺自治体住民の署名活動や陳情などの取り組みが報告され、住民の持つ大きな不安が感じられました。また、民主的な手続きによる抗議に警察権力を導入する九州電力の姿勢も報告を受けました。ここからは、脱原発の世論の広がりに対しての、行政や電力会社の焦りが見えてきます。

   このように、住民の命を軽視する判断や政策は、広島・長崎の被爆者の課題、その2世3世の課題につながります。戦後70年を経過して、核兵器の非人道性が被爆者の努力によって国際的に定着してもなお、滞る被爆者の認定、在外被爆者や長崎の被爆体験者という差別、そして、福島からの訴えにあった、事故そのものをなかったものにしようとする策動などの問題が山積しています。この国の政治が、人間主義、人間の理性や感情から最も遠くにあると言うことではないでしょうか。被爆者の思いに寄り添って運動してきた原水禁は、決して命の軽視を許しません。

   ドイツ緑の党のベーベル・ヘーンさんから、ドイツの現状の報告と再生可能エネルギーの可能性について語られました。ドイツ全電力に再生可能エネルギーの占める割合は30%を超えた、欧州全体で100万人の雇用を創出し、関連企業は1300億ユーロの利益を上げている。日本より日照時間の短いドイツでの太陽光発電の電力料金は1kw/hあたり12.2円、日本の電力料金は22円くらいではないかとの指摘もありました。
   原発においては、廃炉費用や廃棄物処分、そして高レベル廃棄物の最終処分などを考え、かつ事故のリスクを考えると、いかにコストの高いものかが見えてきます。
   再生可能エネルギーの可能性を信じ、そのことに私たちの未来をかけようではありませんか。人類が生き延びていくことに、それ以外の道はないように思います。科学で自然をねじ伏せるのではなく、自然とともに生きていく、そのことが大切です。べーベルさんの挨拶にありました。広島・長崎・福島は地球の存亡に関わるシグナルだと。

   日本は、戦後70年、平和と民主主義の岐路に立たされています。沖縄で辺野古新基地建設に反対し座り込んでいる仲間たち、「戦争法案」に反対して国会包囲に立ちあがっている仲間たち、川内原発のゲート前に座り込んでいる仲間たち、私たちはつながって声を上げ、憲法の理念を守らなくてはなりません。一人ひとりの命の上には、何も存在しないことを明らかにしなくてはなりません。日本の侵略戦争の最後に、いったい何があったのか。そのことを語り継いでいかなくてはなりません。それは、日本のアジア諸国に対する責任なのです。
   韓国のゲスト、イキョンジュさんは言いました。「日本国憲法はアジアとの約束です」戦後70年にあたって、その約束を守るべくがんばりあいましょう。

   九州電力は、7月末に鹿児島県の川内原発に核燃料を装荷し、8月11日にも制御棒を抜いて臨界に向かうことを明らかにしました。多くの国民の反対の声を押し切って、川内原発の再稼働を強行しようとしています。再稼働を目前にして、あらためて原水爆禁止世界大会の総意として、反対と抗議の意思を明らかにします。
   私たちは、これまで大規模な反対集会や議会対策などあらゆる手段で稼働阻止を訴えてきました。昨年6月には再稼働としていたものを、私たちの運動でここまで押し返したとも言えます。
   しかし、県民・国民の6割が再稼働に反対しているにもかかわらず、議会や知事、さらには政府も民意を無視しています。昨年9月の鹿児島県議会において,「万が一事故が起きた場合,関係法令に基づき責任をもって対処する」と政府が鹿児島県知事に回答したことが明らかにされました。福島原発事故に対し、いまだ国や東電は、まともな謝罪も責任も果たしていない中で、川内原発では責任を果たせるとでも言うのでしょうか。原発の問題を自らの問題と考える私たちは、嘘にまみれた「判断」を断じて受け入れるわけにはいきません。
   九州電力による住民説明も行われていません。九州電力は、説明責任を果たさないばかりか、5月27日に市民が公開質問の回答交渉を持ちましたが、最後には警察権力を入れて交渉団を排除しました。それだけではありません。昨年9月の鹿児島県議会原子力特別委員会で、九州電力は「カルデラの巨大爆発の兆候をGPSなどで察知した場合には、専門家と相談、キャスクを準備して、青森に搬出する」とまで回答し、実際にできもしない嘘で固められた発表を繰り返しています。多くの問題を先送りしたまま、そして福島事故の収束も、原因究明もされないままでの再稼働はありえません。
   九州の脱原発を求める市民は、裁判闘争でも闘っています。福井地裁の決定とは相容れない鹿児島地裁の仮処分棄却の決定を、私たちは決して受け入れることはできません。何としても川内原発の再稼働をストップさせようと高裁に特別抗告をしています。裁判勝利に向け、全国からの支援を強く求めます。
   今日この時間、日本の原発は1基も動いていません。私たちは、断固としてあきらめず反対運動を全国で展開していきましょう。川内原発ゲート前においては、あらゆる手段で抵抗し、再稼働を阻止するための行動が続いています。8月11日には全国から川内原発ゲート前に結集しましょう。そして、脱原発を願う人々の想いと運動をつないで、全国の原発の再稼働を阻止しましょう。
            2015年8月9日
                                                                             被爆70周年原水爆禁止世界大会

長崎第8分科会

報告 菅原  参加者220人、内初参加半分

   「君たちはゲンバクを見たか」のビデオ上映の後、山川剛さん(長崎県原爆被爆教職員の会)から被爆証言、続いて西岡由香さん(漫画家)から講演を頂きました。
   山川さんは、「日本人ならゼイタクは敵だ」の看板の写真などを紹介しながら、①原爆投下にいたる当時の状況が話されました。
   奢侈品等製造販売制限法で、贅沢品が制限されパーマなどのおしゃれは国が禁止した。
   思ったことを口に出したら殺されるような息苦しい世の中だった。
   戦争への疑問を口にしようものなら、『貴様はそれでも日本人か。この非国民め』と殺されかねなかった。
   戦争の最初の犠牲者は、「真実」だった。イラク戦争も、大統領のうそから始まった。
   また、学校の様子も変わった。学校のグランドで竹やり訓練を行う国防婦人会の映像を写真を示しながら、学校が「人殺しを教える場所」に変わってしまったことが紹介されました。
   子どもたちに対しても、「アメリカ人やイギリス人は、見かけは人間だが、一皮向けばけだものだ」と鬼畜米英が教えられ、子どもたちはそれを信じた。それが自決という悲劇にもつながった。
   山川さんが小学区一年生のときに書いた、「ノボルアサヒ」「ツヨイカラダ」「クニヲマモレ」などの映像も紹介され、「貴様らのいのちは、鳥の羽よりも軽いから、天皇のために捨てろ」と いう教育だった。
   戦争というのはどんなことがあってもやってはならない。いのちが大事だ。
   ナガサキの子どもたちも、原爆が投下された8月9日は、行事を通して知っているが、1945年だということは2割程度しか知らない。原爆投下を歴史として知らないということ。
   私は小学校三年生、8歳のときに被爆した。B29の爆音を聞いて、子どもなのに「今で死ぬのか」と思ったことを今でも覚えている。光がすさまじく、周りが見えなくなった。左から熱波で飛ばされた。そのあとに、爆風が来た。
   山川さんは最後に、被爆者の願いは、二度と被爆者を作らないこと。アメリカは、リメンバーパールハーバーだから今なお憎しみの連鎖を起こしている。私たちが主張してきたのは 、ノーモア被爆者であり、その中には「負の連鎖を断ち切る」という願いがこめられている。
   一発の核兵器も残してはならない。それは可能だとし、戦争を行っていたから、広島・長崎に原爆が投下された。戦争をなくせばいい。国を守るのは、軍事力ではない。日本の憲法は、「口で守れ」といっている。
   何ができるのか。暴力以外は、すべて平和につながる。外国の方と友達になろうと訴えられました。 西岡さんは、平和活動にかかわるようになったのは、「戦争」に対する「勇ましいもの」「かっこいい」などのイメージを、「人を傷つけたり殺したりする恐ろしいもの」というイメージに変えて行きたいと思ったから。
   漫画家なので漫画を通して伝える活動をしている。といっても、被爆者の皆さんにお話を聞きながらの共同作業。被爆者の皆さんから「あなたに託したい」といわれるが、想像の範疇を超えていることにも気づかされる。それでも「一万分の一でもいいから伝えてくれ。そうでないとゼロになってしまう」といわれ、何とか伝えたいという思いで活動している。
   平和とは何か?モザンピークの地雷の写真を紹介しながら、「地雷は一個でも百個でも怖いのは同じ。戦闘が終わっても戦争は終わっていない。」「平和とは、安心できる場所で安心できる生活をすることだ」と、ひとたび戦争が起きればその傷跡はいつまでも続くものだということを話されました。
   若い方に、「長崎は原爆によって、21万市民の内、7万4千人が亡くなり、7万5千人が負傷した。」と話すと、6万人は無事だったんですねと返ってくるがそうではない。幸いにも生き残った兄弟や両親が、一人ずつ亡くなり最後に一人だけ生き残った池田早苗さんの被爆体験の紙芝居を通して、生き残っても多くのものを失ってしまうのが戦争だと強調されました。
   続いて、南京を攻め落としたことを祝う提灯行列の写真を紹介しながら、日本が南京で何をしたのかは国民に知らされなかった。戦争の最大の犠牲者は、山川さんと同じく「真実が隠されたこと」だと思うとし、2番目の犠牲者は、「文化」だと話されました。
   防空壕に入る様子を漫画を紹介しながら、最初に入るのは校長先生。次に6年生。続けて5・4・3年生。防空壕が一杯になると、1・2年生に「家に帰りなさい」と命令する先生。戦争の役に立たない低学年は防空壕に入れる価値がないとされた当時の状況をお話されながら、いのちの重さに差をつける戦争を許してはならないと強調されました。
   西岡さんは最後に、国民を権力から守るのが日本国憲法。憲法は、国家権力を縛るものであり、国民を縛るものではないこと。憲法は国民の権利を守るためにあり、9条だけが大切なのではなく、憲法全体が日本を守る。
   今日の聞き手は、明日の語り手。皆さんも今日聞いたお話を、誰かに伝えてくださいと、真実を伝えることの大切さや運動を広げることが私たち一人ひとりだと訴えられました。

長崎第7分科会

報告者:運営委員 金子哲夫

   第7分科会「ヒバクシャ3-被爆二世・三世問題を考える」は、崎山昇全国被爆二世協議会副会長の司会で始まり、開会あいさつで丸尾育郎長崎原爆二世の会会長は「安倍政権は、アメリカと一緒の姿勢で核抑止力に頼っている。子や孫が核兵器を背負わないようにしなければならない」と訴えた。その後、古川雅敏運営委員(静岡)から運営上の説明を行い、報告が始まった。
   最初に丸尾さんから「被爆二世問題とは何か」の問題提起がなされた。その中で被爆二世団体の歴史と「被爆の継承と核兵器の廃絶、戦争反対の闘い」を取組んできたこと、そして原発被害の問題を見続けることの決意を述べるとともに「被爆二世の法的定義がないこと。国が認めていない」中での4つの問題「健康問題、遺伝的影響、社会生活上の問題、人権の問題」があることを報告した。続いて原水禁大会に初めて参加したオランダの被爆二世ロブ・シュカウテンさんから被爆者である父の被爆体験とその後の精神的苦痛、そしてその体験を知った家族のことがくわしく話された。その中で特にお父さんが2008年に被爆者健康手帳を取得したこと。その思いは「お金ではなく、犠牲者として認められることが重要だ」という話が印象に残った。ロブさんは、「父が被爆した地をどうしても訪れたかったこと」そして「長崎で初めて二世の同じ仲間のことを知った」ことを報告した。続いて司会の崎山さんから、被爆二世問題を国際的な人権問題にするため「国連人権理事会」に行ったことが報告され、続いて平野克博全国被爆二世団体連絡協議会事務局長から「被爆二世問題解決のためにどう取り組むのか」として「①署名活動②国会議員への働きかけ③裁判闘争に向けた取り組み④放影研に対する取り組み⑤組織の強化と拡大」等の課題が提起され、今後の活動強化の決意が報告された。
   その後会場からの発言を求めたところ、被爆二世3人を含む6人から質問や意見が出された。特に被爆二世からは、自らの健康不安問題や県二世協の取り組み状況、ロブさんへの「はじめてお父さんから話を聞いた時の感想」という質問、今後の課題などが報告された。最後に運営委員の金子哲夫(広島)がまとめとして、「はじめてオランダの被爆二世が参加し、大変良かったこと、そして今後被爆二世問題解決のためには、特に地域被爆者組織との連携が必要なこと」を報告し、分科会を終わった。なお、本分科会への参加者は、55人(うち8割がこの分科会への初参加)であった。

長崎第6分科会

於ブリックホール3F

参加者:52人     20代 12-3人、30代 14-5人、40-59代 16-7人、60以上 9-10人
    初めて 14-5人、2回目 9-10人、3回目 8-9人、4回目 8-9人、5回以上 12-3人

・司会者が「大会運営の基本ルール」を説明し、運営委員が参加者の傾向を把握して始めた。

◇高實康稔さんの報告「強制連行と被爆を考える」
   はじめに
   広島でも長崎でも被爆者の1割は朝鮮人であった。「唯一の被爆国」といい、原爆の悲惨さと核兵器廃絶のみを訴えて、戦争責任を追及しない態度は許されない。
   1 段階的に強化された朝鮮人強制連行   日中戦争の激化に伴い労働力不足に陥った産業界からの要請で、1939年「労務動員実施計画」に組み込む形で、1925年以降の渡航制限政策を廃止して、「朝鮮人労務者内地移住に関する件」によって開始。当初は、甘言で騙し生活苦にあえぐ農村から「募集」できたが、過酷な労働現場と生活環境が知られるにつれ応募者は減少。募集人員を確保するために官憲が乗り出すことも。42年、「官斡旋」で直接指名になる。役人と警察官がトラックで乗り付け、有無を言わさず連行。44年、徴兵制と同様に、出頭場所と日時を指定して「徴用」。「募集」「官斡旋」も実態からみれば、強制連行というべき。
   2 広島・長崎に激増した強制連行   軍隊への徴発も大きい(36万4千余人、2万人超の戦死者‐靖国神社に合祀)が、労働者は日本政府公認で72万5千人であり、推定126万人とも言われている。広島・長崎では、敗戦前7年間に激増。広島は84886人で3.4倍、長崎は61773人で7倍。いずれも三菱重工業をはじめとした軍需産業への就労であった。
   3 中国人の強制連行と被爆   労働力不足を補うために、42年「華人労務者内地移入」を開始。最初は捕虜だったが、大半は日本軍に拉致された農民だった。敗戦後、東京裁判に備えて外務省が各事業所にまとめさせた報告書では、わずか一年余りで約4万人が強制連行されていた。6830名もの死者がでているが、連行中の死も、広島では無休・無給への反発からの取り調べ中の爆死者もいる。
   4 在外被爆者援護の進展と課題   朝鮮人被爆者は広島5万人、長崎2万人、うち3万人と1万人が45年末までに亡くなり、2万3千人が帰国した。被爆者援護法ができても、在外被爆者は対象外とされた(402号通達)ため、闘いが起きた。裁判も重ねつつ、郭さんが2002年「被爆者はどこにいても被爆者」を引出し、2010年原爆症認定の「来日要件」は撤廃させたものの、課題は残る。

◇郭貴勲さんの証言   20歳で徴兵され広島に来た。爆心から2キロで工兵隊106人が同様のやけどをおった。1週間意識がなく、25日に部隊解散して帰国したが、年末まで腕をつっていた。大学に復帰、朝鮮語を勉強し直して教員になった。朝日会談を見守っていたが、被爆者の保障にはまったく触れず、不信感をもった。朝鮮から広島にわたった人の7割が狭川出身、田畑が少なく貧乏で、教育も受けておらず、戸籍も定かではなく、帰国後も社会保障の対象とならず苦しんでいたので、被害者団体を作った。98年5月に大阪で治療を受けた際被爆者手帳を交付され、健康管理手当も支給されたが、帰国したら切られたので、98年10月提訴した。裁判では、「訪日する前は被爆者ではなく、日本では被爆者、帰国すると被爆者じゃない。おかしい」と訴えて認められた。

◇チョン・テホンさんの証言   長崎に住んでいた中学一年の時、被爆。爆風で飛ばされたが、外にいた父と母はやけどがひどかった。2日間防空壕で過ごし、兄が持ってきたリヤカーに母を載せて避難。その時見た惨状は忘れられず、語り継がねばと思ってやってきた。

・質疑では、高實さんが説明されていたのだが、朝鮮人と中国人の処遇の差はどこからくるのか、赤紙と徴用は違うのか、等と出された。募集人に朝鮮人がいた実態も言うべきという人もいた。

長崎第4分科会

   参加者数は105名+運営委員+座長・司会=110名で、その内、約3分の1が初めての参加者であった。
   討議の主な内容 ピースデポ・田巻さんよりNPTの仕組みについて概括的な説明と、「抑止力」とはどういう意味か、核廃絶をすすめる運動の在り方、について問題提起を受けた。海外ゲストの報告も含めて、非核3原則の法制化の必要性と北東アジアの非核地帯化を求める方向性を確認した。
   その一方で、安倍政権の今日的動向が、大きな障壁となり、さらに北東アジアの緊張を高めていることへの強い危惧が指摘された。この点は、会場からの質疑・討論でも際立ち、安倍政権の歴史認識はもとよりと、私たち自身も侵略と植民地支配の歴史を今こそ、問い返すべきとの発言もあった。
   各地の報告では、「安保法制」に繋がる米海軍と海上自衛隊の一体的強化(神奈川・横須賀)、辺野古への巨大基地建設計画の実態(沖縄)、オスプレイの飛来と基地強化の現状(長崎・佐世保)の3件があり、住民の安全、住民・自治体の意思を無視する国策・国益優先が浮き彫りにされた。
   この国の歩もうとしている「積極的平和主義」なる路線は、武力による威嚇=抑止力論で最終的には核抑止力に至る、国際的にはすでに破綻したものであることを、まとめとして確認した。

長崎第3分科会

運営委員:石川俊二(自治労高知県本部)

   第3分科会は、出席者55人で開催され、そのうち約7割の方は初参加ということであった。
   分科会では、司会の開会挨拶の後、米国最大の平和・軍縮団体である「ピースアクション」の組織化・政策ディレクターのポール・マーティン氏から「NPT再検討会議のさらなる失敗と核廃絶への課題」と題しての報告と提起があった。大きくは2点で、1点目は「今年のNPT再検討会議の結果について」、もう1点は「核兵器廃絶に向けた長い道のりにおいて私たちが直面する課題について」。まず第1点目については、「今年のNPT再検討会議では最終文書の採択はできなかった」が、その直接の原因は「1995年と2010年に約束された、中東非大量破壊兵器地帯に関する会議の手配をめぐり、エジプトとイスラエルが合意できなかったこと」を挙げるとともに、「核保有国と非保有国との間には元々の緊張があり、さらにロシアと米国との外交関係がここ数年で最悪の状態であること」も問題を複雑にしているが、ピースアクションとしては様々な英知と行動を組織して、情報発信と議員や政策立案者への訴えかけを強化していく決意が述べられた。
   また、第2点目の課題では、現在世界中で9ヵ国が15,700発の核弾頭を保有している中で、オバマ政権はロシアとの交渉によって合意すれば戦略核弾頭の背部数を約1,000発にまで削減する考えを示しているが、近年の米ロ関係の悪化からうまく進むような状況ではない。とはいえ、米国の核政策に関しては確実に正しい方向にシフトしており、戦略核弾頭を1,000発以下に削減される可能性も高い。ただ、今日の世界中の若い指導者は、核戦争に関する教育やその影響に対する直感、核戦争を恐れる気持ちが欠けており、この問題の教育を続けることが必要、と述べました。
   続いて、ピースボート共同代表の川崎 哲氏より、NPT(核不拡散条約)発効の経過と背景、この間のNPT再検討会議の議論の状況等について説明があり、核兵器廃絶が遅々として進まない中で「赤十字国際委員会(ICRC)」の動きが口火となって、「核兵器の使用=非人道的」ということが言われ始めたこと、今年のNPT再検討会議でも「非人道性」をめぐる攻防が議論の中心となったことにも触れ、今後はNPTの内と外での議論で「是非?」ではなく「どのように?」具体的削減を目指すかということに論点が移っていくのではないか、と締めくくった。
   続いて、WEBサイト「核情報」主宰の田窪雅文氏から、日本が核兵器以外の兵器で攻撃されても、アメリカが核でその国に反撃するオプションを残しておいてほしいというのが日本政府の方針で、日本のプルトニウム保有量は増えていること、また、プルトニウムに関しては誤ったデタラメの知識が流通しており、日本の専門家の説明は信じない方が良いことなどが話された後、「高濃縮ウランとプルトニウムの最小化のために何ができるかを各国に検討するように奨励し、『プルトニウムの回収と利用のバランスを十分考慮します』と言った安倍を助けるために、六ヶ所再処理工場(日本にとって最大のNPT課題の一つ)を中止させてあげましょう」と締めくくった。
   この後、フロアとの質疑応答も行われ、予定時刻をオーバーする盛会のうちに第3分科会を終了した。

長崎第2分科会

ベーベル・ヘーン(ドイツ・みどりの党)
   ドイツでは2002年に15年かけて原発の段階的廃止法を制定し、その後、保守党によって廃止か延期されたが、2011年の福島原発事故で再び段階的廃止を決定した。段階的に廃止して原発ゼロになる。ドイツでは、自然エネルギーが拡大し、コスト削減と雇用創出できた。ドイツより日本は日照時間も長く風も強く、日本でも必ず成功する。その為には、国民の声や市民運動は不可欠だ。

藤井石根(明治大学名誉教授)
   講師の藤井石根さんから、福島第一原発事故が起こり普通ならば日本のエネルギー政策を見直すべきだが、経産省が示した2030年の電源構成案は、原発の発電比率は20~30%にしている。こうした方針を出す審議会メンバーを選出過程に問題があり、政府は、事故の責任を曖昧にし、時代の歯車を逆に回そうとしている。COP2の温室効果ガス排出削減目標でも原発再稼働ありきで、再生エネルギーはこれ以上要らないというメッセージだ。今後は、太陽や風力、水力、地熱、バイオマスなどの再生エネルギーに立脚した社会を実現すべき。

澤井正子(原子力資料情報室)
   澤井正子さんからは、福島原発事故の現状をお話ししていただきました。汚染水の対策も全くコントロール出来ておらず、今も事故は続いている。また、国は、帰還困難地区を解除しているが放射線量は今も高く、除染廃棄物の中間貯蔵施設と同様で人権侵害だ。事故の収束がいまだ困難な状況に置かれている。

質問として
   福島の子どもたちの被曝状況は?-電力会社が電気料金値上げの理由として原発維持費を挙げた。
   原発の耐震性の問題は?-被曝労働時間を、政府は拡大しようとしている。
   意見として、原発使用するバブル作成する会社に勤務していたが反原発運動に参加し、再雇用を拒否された。平和で安心して生活できる社会の実現を求め運動している。

海外ゲスト、講師からの回答
   ドイツでは、環境団体が原発企業への政府からの補助金リストを公開し、原発は低コストというウソを明らかにさせた。被曝労働も政府は、原発企業に寄り添い、労働者不足を解消させるためで無責任だ。耐震性についも、ドイツでは、試験的に原発を稼働させたが住民運動によって3年で停止させた、そういうリスクがあれば、辞めるべきだ。子どもの被曝調査は、県が実施、癌発症率は高いが原発事故が原因ではないと政府、東電は考えている。

福島からの報告
   未だに放射能数値は高く、学校現場では帰還困難地区の子どもたちが、仮設住宅から通学しているが、年々減っている。18歳未満の甲状腺検査も年齢で区切られて、問題が多い、高速道路の全面開通は、原発から近距離で、除染廃棄物を積載したトラックが事故を起こす可能性もある。鹿児島からの報告
   川内原発3号機増設は、県民運動で凍結させたが再稼働を強行しようとしている。課題は、避難計画や888tの使用済み核燃料を運搬する計画だ。経産省への働きかけ、署名活動、自治体決議、陳情などの運動を強めているが九電の杜撰な対応が続いている。再稼働予定の8月7~11日にかけて抗議行動を行う。

まとめ
   ベーベルさんからは、脱原発に向けた議論は、市民運動からドイツでは始まっている。日本との違いは、政府も含めて脱原発を意思統一した。再生可能エネルギーを増やし、コスト削減によって原発の必要性を克服した。藤井さんからは、核と人は共存できない事が確認された。持続可能な社会を実現し将来子どもたちに安全な世界を。同時に、戦争法案を廃案にし、平和憲法を守る取り組みが提起された。澤井さんからは、原発事故による汚染水、放射能の拡散、汚染浄土の問題が提起された。2度とフクシマの状況を作ってはいけない事を、みなさんと確認したい。

長崎第1分科会

   第1分科会では、海外ゲストを含む3名の講師から講演があり、4つの地域から報告があった。主な内容は下記の通り。約300名参加、うち初参加は50名程度。

1. 『我々の責任を再検証する』  シュウ・グァンロンさん(台湾)
   台湾国立大学のシュウ・グァンロンさんより、台湾の原子力事情と運動の課題について、報告があった。
   台湾には3つの原発があり、もう1つ休止している原発がある。台湾の原子力エネルギープログラムは、核兵器プロクラムを隠すために60年代後半に始まり、今日まで厳密な機密情報として取り扱われてきた。
   台湾の原子力エネルギーを所管する「行政院原子能委員会」は、本来の規制機関の役割より国営台湾電力のパートナーとして機能し、多くのことが隠されてきた。①断層の長さを実際により短くした、②放射能に汚染された地域・建物が多くあるが、秘密にされてきた(明らかになった今も、175マイクロシーベルトのアパートの中で暮らしている人も)、③蘭嶼島の低レベル放射性廃棄物貯蔵施設は缶詰工場と偽っていた、④高い放射線量の中で労働を強いていた、⑤竜門(ルンメン)原発建設で材料の手抜き、勝手に1000もの変更をした、ことなど。しかし、抗議・デモなどを経て、2号機の全面停止、1号機は暫定的封鎖とした。他にも、老朽化した原発の延命、核兵器への転用の動きなどがある。
   こうした状況の中、福島原発事故がすべてを変えた。市民は、情報の透明性や意思決定へのアクセスなど要求しなければならない。私たち自身が、問題解決すべきであり、それが責務だ。

2. 『再稼働問題と日本のエネルギー政策』 西尾 漠さん(原子力資料情報室)
   続いて、西尾漠さんより、「再稼働」に向けた全国の原発の状況が報告された。「新規制基準」申請は25基/43基、25基中35年超は4基、また、「高経年化」炉は、コストをかけた分は寿命延長してでも回収する必要があるため、様子見の状況にある。つまり、「再稼働」は、今、目の前の原発を動かすという問題だけではなく、長く動かすということ、脱原発から遠のくことを意味する。場合によっては、新増設もあり得る。脱原発の分かれ目に来ている。川内原発1号機の再稼働が11日に迫っている。仮に動かされたとしても、問題を市民に訴えていくことが大切と指摘した。
   また、再稼働を許すと、①大事故の可能性、②プルサーマル再開、③使用済み核燃料、高レベル放射性廃棄物増大、④核セキュリティ強化、⑤大停電、⑥電気料金再値上げ、⑦温暖化対策後退などの問題が生じる。また、政府の「電源別発電電力量と長期エネルギー需給見通し」は、2030年に原発20~22%とし、電力需要も大幅に増加している。しかし、電力需要はフクシマ原発事故以前から減少傾向にある。原子力を使うには電力需要を増やさないと成り立たないためだ、また、石炭は変化がなくLNGを減らしている。いかに政府の見通しがでたらめかがわかると批判した。

3. 『司法が市民の力で原発を止めるために』 海渡雄一さん(弁護士)
   続いて、海渡雄一さんより「原発訴訟」を中心に報告があった。
   原発を止めていく方法として「司法判断」がある。2011年7月に「脱原発弁護団全国連絡会」を結成した(海渡さんは共同代表)。
   2014年5月21日、福井地裁で大飯原発の運転を差し止める判決が出された。海渡さんは第1回口頭弁論で「福島原発事故には、司法にも責任がある」と厳しく指摘し、全国提訴の最初の成果となった。今年4月21日、福井地裁(樋口英明裁判長)は高浜原発3,4号機の運転差し止めを命じる仮処分を決定した。関西電力は裁判長の忌避請求する中、また、裁判長自身の転勤がある中、樋口裁判長は職務代行辞令を出してもらう中での決定である。これは、司法が現実に再稼働を止めたものである。一方、川内原発は、仮処分却下決定がなされたが、完全には負けてはいない。裁判長は「決定」の結論において、「今後、さらに厳しい安全性を求める世論が高まれば、その安全性のレベルの下で判断すべき」との自己の却下理由を否定する見解も述べている。この闘いは、高裁で勝つ。その瞬間に(再稼働が強行されたとしたら)川内原発は止まる。
   また、国と東電の自己責任について、すでに津波対策を講じるよう予測できていた過去の経過と検察審査会が元東電3幹部が強制起訴されたことに触れ、①事実を知ること、②福島原発事故を肌感覚で知り、二度と繰り返さないと子心で感じること、③この闘いは必ず勝てると信じること、そのことで「原発は私たちの知恵と力で止められる!」と、力強く訴えた。
   その後、鹿児島(川内原発)、佐賀(玄海原発)、愛媛(伊方原発)、新潟(柏崎刈羽原発)の再稼働をめぐる状況について報告があり、参加者全員で全国の原発の再稼働を許さないたたかいを原水禁に結集して闘う意思確認を行った。

   2015年8月6日、安倍首相は広島の平和祈念式にのぞみ、挨拶の中で「非核三原則」に言及しませんでした。その後の会見において「非核三原則は堅持する」と表明したものの、被爆者の方々からは非難の声が相次ぎました。政府は「特段の意図はない」としています。であれば、なおのこと挿入すべきではないでしょうか。安倍政権は、「非核三原則」など全く気にもしていない、思いも至らないというのが事の真相だと思います。
   安全保障関連法案を審議する参議員特別委員会では、中谷元防衛大臣が質問に答えて「法制度上は、自衛隊の支援活動における核兵器の運搬も可能」と発言し、横畠裕介内閣法制局長官も同様に「憲法上、核兵器を保有してはならないとと言うことではない」と答えています。広島出身の岸田文雄外務大臣は「核兵器を自衛隊が輸送できるということを、今知った」「核兵器へのこれまでの日本の姿勢を考えれば、運搬することはあり得ない」と発言しました。しかし、日本政府が「非核三原則」を宣言したのは、今日昨日の話ではありません。被爆国日本が、核兵器をめぐる長い議論の積み上げの中でつくりあげた「国是」といわれている原則です。

   特段の意図はないとして非核三原則に言及しなかった安倍政権は、私は、特段の意図なく核兵器を輸送し、特段の意図なく核兵器をもつことも考えるのだろうと思います。「三度許すまじ」とするヒバクシャの思いに寄り添い、「核と人類は共存できない」として「核絶対否定」の立場で運動してきた私たちは、核兵器廃絶への確固たる信念を持ち続けてきました。そして、敗戦の日から、日本社会は過去の過ちを真摯に反省し、決して戦争をしないと誓ってきました。戦後70年、全てはそこから始まります。歴史に学ばず、平和への信念を持たない政治には、退陣していただきたい。その思いを強くしています。

   今年は、核不拡散条約の再検討会議の年でした。残念ながら合意文書の採択には至りませんでしたが、「核兵器禁止条約制定に向けた議論を求める」ことを内容とする、オーストリアが提唱した誓約文書には107カ国が賛同しました。パン・ギムン事務総長も、声明の中で「核兵器の非人道性がより広く知られることで、核兵器の禁止と廃絶に向けた有効な措置が講じられることを期待する」と述べ、賛意を示しました。ヒバクシャの願いは、確実に広がりつつあります。
   しかし、米国の核の抑止力を頼り、先制使用を容認する日本政府は、この誓約文書に賛同しませんでした。唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶を主張しながら、一方で核抑止を持って自国の安全を保障するとする日本政府の姿勢は、ヒバクシャを愚弄し、その思いを踏みにじるものであり、その主張は決して諸外国に受け入れられることはないでしょう。

   2011年3月11日の東日本大震災、福島原発事故から4年と4か月たちました。現在、日本の原発は一基も稼働していません。日本社会の世論は、脱原発を表明しています。自然エネルギーを中心とした社会を求めています。 しかし、安倍政権は新エネルギー基本計画を策定し、2030年にも原発の稼働率を20%から22%を確保するとしています。これは、新らしい原発をつくらなくては達成できない数字です。九州電力は、8月11日に川内原発を再稼働すると表明しましたが、私たちは電力不足の声を聞いていません。

   原子力規制庁は、規制基準を満たしたとしても原発が安全とは言えないとしています。しかし、安倍政権は「規制庁が安全とした原発は、再稼働する」方針としています。再稼働の責任はどこにあるのでしょうか。
   政府は、起こりうる事故に備えて「避難計画」の策定を義務づけましたが、しかし、再稼働の前提とはなっていません。再稼働するとする川内原発周辺30km圏内の85の医療機関において、避難計画を策定しているのはわずか2施設と言われています。入院患者の多くが、事故の際には避難の手段を失い、逃げ場を失ってしまうでしょう。福島の原発事故の反省はどこに行ってしまったのでしょうか。

   その福島で、事故をなかったものにしようとする政策が進んでいます。自主避難者への無償住宅提供、商工業者の営業補償、避難者への精神的保障の全てを打ち切って、2017年度末までには年間50mSv以上の帰還困難区域を除いて、住民を帰還させるというものです。地域の全てで放射線量は安全なレベルなのでしょうか、子どもたちは自由に野山で遊ぶことができるのでしょうか、医療や教育や商店などの生活の基盤整備は十分なのでしょうか。現実を見据えるならば、これは棄民政策というものだと思います。
   福島の住民は、原子力村の復活のために、捨てられるのだといえば、言い過ぎなのでしょうか。そうではないはずです。フクシマを忘れてはなりません。そして、繰り返してはなりません。

   沖縄県の翁長武志知事は、第三者委員会の報告を受けて、埋め立て承認を取り消す意向を示唆しています。翁長知事の意向は、沖縄県民の思いに寄り添い、県民の安全安心と沖縄県の将来を見据えてのものです。そのことのために、国家権力ともきびしく対峙をする姿勢は、心から共感するものです。 沖縄の歴史、あの地上戦と戦後の米軍支配に目を向けるならば、私たちの選択肢は明らかです。基地問題においても、貧困の問題においても、原発の問題においても 多くの自治体に、住民の生活と安全の立場から、ものを考え対応していくこと、住民の将来をしっかりと見据えることが、求められているのではないでしょうか。

   自民党の磯崎陽輔首相補佐官の、安全保障関連法案の「法的安定性」は必要ないとする、日本国憲法とそれに基づく法治国家を無視する発言がありました。
   安全保障法制に反対する学生たちを「彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく」と非難した自民党の武藤貴也衆院議員の発言がありました。
   そして、「国民の理解がすすんでいない」としながら強行採決を行う安倍首相の姿勢があります。戦後70年、日本の民主主義は「存立危機事態」にあります。このことは、日本社会の安全保障の最大の課題ではないでしょうか。平和と民主主義、主権者に対する権力の大きな挑戦なのではないでしょうか。

   戦後の日本を見続けてきたジョン・ダワー、マサチューセッツ工科大学名誉教授は、インタビューに答えて、
   「国際的な平和維持に貢献すると言いつつ、念頭にあるのは米軍との更なる協力でしょう。米国は軍事政策が圧倒的影響力を持っている特殊な国であり、核兵器も持っている。そんな国とつながるのが果たして普通なのでしょうか。」として、集団的自衛権行使を容認して戦争のできる「普通の国」を求める安倍政権を批判しています。

   戦後70年、原水禁結成50年、私たちは危機の中にあります。歴史に学び、そして運動に学び、そしてヒバクシャの、フクシマの思い共有し、
   「精神的原子の連鎖反応は、物質的原子の連鎖反応に勝たねばならぬ」とした森滝市郎原水禁初代議長の言葉を基本に、反核・反原発、戦争反対の「思い」をしっかりと胸に刻み、多くの人々とのつながりを基本に、力強く次の一歩を踏み出そうではありませんか。

長崎開会総会 

   被爆70周年原水爆禁止世界大会は、広島大会を引き継ぎ、8月7 日から長崎大会が始まりました。長崎ブリックホールで開かれた開会総会には1800人が参加し、原爆投下をもたらした日本が戦争へ歩んだ過ちを安倍内閣のもとで再び繰り返す動きを強めていていることに強い怒りと断じて阻止しようとの声が相次ぎました。
   オープニングは核廃絶を願って、長崎県内386キロをめぐった「反核平和の火リレー」の皆さんによる取り組みが紹介されました。
   黙とうに続いて、上川剛史・長崎実行委員長(長崎県原水禁会長)が戦争法案阻止を強く訴える開会あいさつを述べました。主催者あいさつは、長崎原爆の被爆者でもある川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)が行い、自らの被爆の経験を語った上で、日本の今後にとって重要な時期での原水禁大会として討議を深め核兵器廃絶と戦争法案廃案のとりくみを築いていくことを訴えました。
   海外ゲストを代表して、ドイツ連邦議会議員であり、緑の党のベーベル・ヘーンさんが、東日本大震災による東電福島第一原発事故に触れ、その被害と日本政府の問題点を指摘するとともに、戦争反対や脱原発のとりくみが広がっていることを高く評価しました。また、事故の教訓として、「安全な原発はない」「原子力利用は常に核兵器開発の第1段階」「核廃棄物処理の解決方法はない」などを指摘しました。その上で、再生可能エネルギーについてのドイツのとりくみを紹介するとともに、平和を築くものであり、核廃絶を強く訴えました。
   藤本泰成・大会事務局長が基調提案。広島での式典で安倍首相が非核3原則に言及しなかったことを強く批判、歴史に学ばず平和への信念を持たない政権は退陣してもらいたいと強調しました。
   続いて、特別企画として講談師の神田香織さんが「福島の祈り」の演題で講談。それを受けて福島からの訴えを、福島県平和フォーラムの瀬戸禎子・事務局次長が行いました。
   長崎からのメッセージでは、田上富久・長崎市長、被爆体験者の岩永千代子さんと米田フサエさん、第18代高校生国連平和大使と高校生1万人署名活動実行委員会の代表60人余りが登壇し、8月16日からの国連欧州本部訪問などの抱負を語り、また、運動の継承への決意も表明されました。
   最後に「原爆を許すまじ」を全員で合唱し、開会総会を終えました。長崎大会は8日に分科会などが開かれ、9日に大会全体の閉会総会で大会宣言が採択されます。

   訴えます、「核と人類は共存できない」 無くそう核兵器、めざそう脱原発の安心社会を

   1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾は「熱線]、「爆風」、「放射線」のもと、その年の内に14万人もの生命を奪い去りました.あの日から70年、「核戦争起こすな、核兵器なくせ」「ふたたび被爆者をつくるな」「ヒロシマ・ナガサキを世界のどこにも繰り返えさせるな」と、被爆者は声の出るかぎりに訴え続けてきました。しかし被爆者は高齢化し、残された時間で、戦争、被爆を知らない世代との連携によって体験の継承、核廃絶に向けた運動を継続していくことが求められています。私たちは、被爆者たちが訴え続けているその声を「継承」していかなければなりません。

   世界には、未だ約15,800発の核弾頭が存在しています。今年4~5月に開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議は、「核兵器の非人道性」が訴えられ、早期の「核兵器禁止条約」成立に関して議論がなされましたが、核兵器保有国の政治的な思惑によって合意文書すら採択に至らず会議の形骸化が懸念されます。日本政府に、唯一の戦争被爆国として核保有国と非核保有国の間に立って、核兵器廃絶へ向けた議論をリードしていく責任を認識させなければなりません。

   安倍政権が進める原子力政策では、福島原発事故の反省もなく、国民世論の6割以上が脱原発を求めているにもかかわらず、原発推進政策を打ち出し、強行に進めています。また、破綻している核燃料サイクル計画に固執し、大量のプルトニウムを保有しています。プルトニウムは、核兵器の原材料となることから周辺諸国に脅威を与え、東北アジア非核地帯化の実現に大きな障害になっています。プルトニウム利用政策は、核兵器問題と結びついており、東北アジアの平和と安定に向け即座に止めさせましょう。

   原子力規制員会の「新規制基準」により川内、高浜、伊方原発を審査合格として原発再稼働を強硬に推し進めています。一方で、高浜原発は、福井地裁から新基準に適合しても「安全性は確保できない」として再稼働の差し止めを認め、審査適合は安全ということではないことが明らかになりました。私たちは、あらゆる「まやかし」に騙されることなく全ての原発の廃炉を求め、さらに運動を強化しましょう。
   東日本大震災による福島第一原発の事故から4年が経過しますが、現在も11万人を超える福島県民が未だに避難生活を余儀なくされ、長期に渡る避難生活は、暮らしや健康、就労等多くの不安と負担を与え続けています、しかし、自民党は、避難者への慰謝料や商工業者への損害賠償を終了させようとしており、全てをなかったものにしようとしています。国の責任「国家補償」の精神に基づく健康と生活の保障を求めていく取り組みを強化しましょう。

   安倍政権は、違憲の安全保障関連法制を国会での数の力で成立させ、戦争ができる国にしようとしています。現在、国会前抗議行動とともに全国から抗議の声が上がり日増しにその声は強くなっています。戦争により何が起こったのか、被爆地ヒロシマで体験した私たちは、9条を守り憲法を守り一切の戦争を否定し、二度と悲劇が繰り返されないよう訴え行動していきましょう。

   これまで原水禁を結成し50年にわたり、一貫して「核と人類は共存できない」、「核絶対否定」を訴え続け、核のない社会・世界をめざして取り組んできました。現在、暴走し続ける安倍政権の戦争への道、原発再稼働への道に対抗していくことが喫緊の課題であり、将来ある子どもたちに核も戦争もない平和な社会を届ける取り組みを全力で進めます。

○すべての核兵器をなくし、核と戦争のない21世紀をつくろう!
○核兵器禁止条約を実現しよう!
○東北アジアの非核兵器地帯条約を実現しよう!
○フクシマを繰り返すことなく、全ての原発の再稼働に反対し脱原発社会をめざそう!
○原発の輸出を止めよう!
○原発事故の被災者と被曝労働者の健康と命と生活の保障を政府に強く求めよう!
○非核三原則の法制化を実現しよう!
○平和憲法を守り、憲法違反の安全保障関連法案の廃案をめざそう!
○ヒバクシャ援護施策の強化ですべてのヒバクシャ支援を実現しよう!
   ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、ノーモア フクシマ、ノーモアヒバクシャ
            2015年8月6日
                                                被爆70周年原水爆禁止世界大会・広島大会

広島分科会・国際会議・ひろば

   被爆70周年原水爆禁止世界大会・広島大会は8月5日の2日目に、分科会・ひろばや国際会議、子どものひろばなど、多彩な取り組みが行われ、参加者は改めて核廃絶の決意を新たにしました。
   分科会は「脱原子力」「平和と核軍縮」「ヒバクシャを生まない世界に」「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」などの課題別に7つ開催されました、脱原子力の課題では、福島原発事故を受けて、原発再稼働問題や、原発に頼らないエネルギー政策をめざした運動について討議。明治大学名誉教授の藤井石根さんは、脱原発に備え緊要なエネルギー政策の見直しを訴え、原子力資料情報室の伴英幸共同代表は、福島原発事故と脱原発社会の選択について提起しました。
   平和と核軍縮では、「核情報」主宰の田窪雅文さんがNPTで問われるプルトニウム保有で日本の六ヶ所再処理工場について指摘。ピースデポの湯浅一郎副代表は東北アジア非核兵器チタ院実現に向けて包括的なアプローチを提起しました。
   この他、午後には「国際会議」や関係団体の自主企画による「ひろば」が行われ、1日がかりのフィールドワークなどとあわせて多彩な取り組みが行われました。

 

広島第7分科会

会場: 広島市西区民文化センター2Fホール
参加者:  281人(うち原水禁広島大会初参加者がほとんど)

   第7分科会では、はじめにビデオ「君たちはゲンバクを見たか」を上映し、70年前ヒロシマで起きたことを改めて映像で知るとともに、被爆の現実を学んだ。ビデオでは思わず目を背けたくなるような被害の事実を、身をもって知るとともに、被害の大きさを改めて確認することとなった。ビデオの中で被爆者の方々が被爆の悲惨さとともに、この事実を風化させず語り継いでいくこと、二度と同じ過ちを繰り返してはならないことなど、切実な思いが語られていた。
   続いて被爆証言として広島市南区にお住まいの桑原千代子さんから被爆体験をお話しいただいた。
   桑原さんは13歳の時、爆心地から約800m離れた雑魚場町で学徒動員令による建物疎開(解体作業)従事中に被爆した。被爆直後の真っ暗な中を、同級生たちと明かりを求めて逃げさまよったこと、自分も身体の左側をヤケドし、頭と腕の皮膚をぶら下げながら歩き回ったこと、一緒に逃げた仲間が途中で動けなくなり、泣く泣く置いていったことなどを涙ながらに語っていただいた。
   ご高齢にもかかわらず、また辛い体験を必至に伝えようとの思いが伝わり、桑原さんのお話に多くの参加者が真剣なまなざしで聞き入った。
   次に報告として山戸友吏子さんより「折り鶴-忘れないためにできること」として山戸さんのこれまでの活動の報告がされた。山戸さんは尾道市で保育士をしており、子どもたちとともにつくる平和学習として、子どもたちと一緒にピースリボンを持って平和の日リレーへの参加や絵本づくりなど、大人からの押しつけでない「本当の意味での平和学習とは何か」という大切な課題を提起された。
   戦争体験のない私たちができること、それぞれの立場で、それぞれの生き方でできることがあることを改めて学ぶ機会となった。
   残念ながら会場からの発言はなかったが、比較的若い参加者も多く、次の世代に悲惨な被爆体験や戦争の事実を引き継いでゆくことの大切さを学ぶことができた。

広島第5分科会

報告:静岡 鈴井孝雄

講師 豊崎博光(フォトジャーナリスト)
海外ゲスト ロラン・オルダム(ポリネシア)
コメンテーター兼通訳  真下俊樹(神戸市外国語大学講師)
運営委員 鈴井孝雄(静岡)

参加者 約70名 初参加 約20名

豊崎博光 氏
   第5福竜丸のビキニ事件も区別が差別になった。マグロは放射能に汚染されていないか調べられたが、船員は測っていない。2万人が被爆しているが、被爆者となっていない。沖縄海域も汚染され被爆者でありながら切り捨てられた。米国でもロシアでも兵士が被爆している。中国の兵士も被ばくしていると思われるが不明である。ウラン鉱石の採掘でも19か国で先住民が従事し被爆している。ネバダ核実験場では、1951年から数多くの核実験が行われてきたが風向きが北ないし北東の場合に実験を行っている。それは南にラスベガスがあり、西にはロサンゼルスがあるからだ。風下の先住民は被爆させられた。核被害は見えない暴力である。
   在米被爆者は100万人もいて、被爆者大国である。1987年ニューヨークで第1回核被害者世界大会、1992年ベルリンで第2回核被害者大会が開かれ先住民もこの大会に参加した。
   被ばくには外部被ばくと内部被ばくがあり、さらに性差による被害の差、大人と子供でも違う。ビキニ核実験から地球規模の被爆が広がっている。チェルノブイリで欧州全域が、福島原発事故で日本はどこに行っても汚染されている。マーシャル諸島は、海水面の上昇でも被害を受けている。

真下俊樹 氏 コメント
   フランスはポリネシアを植民地とした。ドゴールは、米国とソ連とは別のドゴール主義を掲げ仏の核開発を積極的に行った。およそ日本の半分の人口とGDPで核保有国とするために原子力で稼ぐ政治方針を持っている。仏の電力の4分の3は原発による。再処理プラントも仏が開発しており、六ヶ所の施設も仏からの輸入である。仏はサハラ砂漠で核実験を行っていたが1964年アルジェリアが独立したことによって66年からポリネシアで大気圏核実験を行うようになった。合計210回行っている。タヒチとポリネシアの間は、約1200㎞、広島型の30~170倍の実験を8回行っている。その結果、核被害者も本国で53,000人、地元労働者1000人が被ばくしている。2000年代になって被害者団体が発足し、2009年に被害者の存在を認め補償する法律ができたが、厳しい適用基準によって15万人中数100人しか適用されていない。

ロラン・オルダム 氏(核実験被害者の会代表)
   仏領ポリネシアの実験場で実験された核爆弾は、実戦用の核兵器が使われている。被爆の問題は、腐敗の政治の問題でもある。仏の核は安全で害はない、と言い続けてきた。張本人は、ドゴールとシラクの二人である。教会や市民は真実から目を背けることによって認めている。先住民は、これに立ち向かった。
   環境への影響も大きい。ムルロア環礁がいつ崩れても
   会の設立は2001年で、真実を明らかにし被害者の権利確立のためである。4649人の会員がおり、3822人が元労働者、121人が遺族、31人が支援者である。2010年、核実験被害者支援法が成立し、核の危険性を認めることとなったが、900人が申請し、補償されたのは16人でしかなく、骨抜きとなっている。ポリネシア人は4~5人である。一人500~600万円支払われるというが、手元には10年かかって200万円位しか受け取れない。
   今後どうするか、であるが記念碑を建てた。政府にとっては邪魔者で撤去しようとしているが撤去計画反対のデモが起きている。今後地域での運動と国際的な運動の二つの側面から取り組んでいく。地域では「核の事実」と言った副読本を作成し、採用を迫っている。次は住民投票を実現したい。市民から見て核実験はどうなのか問い、嘘を問い直したい。原水禁は世界のヒバクシャ支援に大きな力を発揮してくれた。これからも国際的連帯を強めていってほしい。タヒチで核実験50年、記念碑建立10年の記念集会を持つ。原水禁から是非、代表を送ってほしい。国際連帯は非常に重要である。何の支援も受けられていない被爆者がまだまだたくさんいる。

会場からの質問、意見
脱原発播磨アクション
Q-1 アイヌにも被爆者がいるのか?
Q-2 副読本の配布は可能なのか?
Q-3 投票率は高いのか?
A-1 被爆者ではないが泊原発の問題もあり少数民族として参加していた。
A-2 自由に配布はできないが、政府は市民のためにある、と作り変えねばならない。認めさせるように迫っている。
A-3 補償法は、議員に圧力をかけた結果、できた。法律を変えるために使いたい。
福岡
Q-1 副読本は学校教育の中でどのように扱われているか?
A-1 学校での使用は皆無。国賊扱い。仏核実験は1ページのみ。
大阪
意見 福一で日本は核加害国になった。ロラン・オルダムさんの地域と国際連帯の提起に感銘した。緊急時の被ばく線量引き上げに反対してほしい。
長澤
被ばくを許さない集いPt-16への参加を。

広島第4分科会

参加人数93人(うち初参加16人)

   湯浅一郎さん(ピース・デポ副代表)が「沖縄と東北アジアの非核化-非核兵器地帯を柱に包括的なアプローチ-」と題して講演した。
   湯浅さんは、「安倍政権の安保・軍事政策は、東北アジアの安全保障ジレンマの悪循環を拡大・深刻化させているだけであり、必要なことはその逆である。追い込まれているのは安倍政権だ。安保法制(戦争関連法案)を廃案に追い込むこと、そのことを通して、安倍政権の支持率を下げていくことが短期的な取り組みとして重要である。中期的には、「憲法9条が大事である」と言っているだけではダメで、外交政策に具体化していく取り組みや世論を構築していくことが重要で、その切り口として「北東アジア非核兵器地帯」を作るという課題がある。3(日本・韓国・北朝鮮)+3(米国・ロシア・中国)による軍事力によらない安全保障の枠組みとしての「北東アジア非核兵器地帯」の構想こそ現実的なアプローチである」と指摘した。
   続いて、海外ゲストのポール・マーチンさん(アメリカ・ピースアクション)が「2015の核拡散防止禁止条約(NTP)再検討会議では最終文書の採択はできず、状況を進展させることはできなかった。核廃絶という目標に達するにあたり核保有国間の緊張や自国の軍縮課題があげられるが、私たちが最後に直面する課題は、核戦争の恐怖や脅威が忘れられてしまうことだ。今日の若い指導者は、核戦争に関する教育やその影響に対する直感、そして核戦争を恐れる気持ちがかけている。この問題に関する教育を続けることが必要だ。」と訴えた。
   次に、海外ゲストのイ・キョンジュさん(韓国・参与連帯)が、「日本は核兵器を保有していないが、再処理の施設を持っていて45万トンにおよぶプルトニウムを保有している。日本では首相が「核兵器を作る技術は持っているが開発はしない。輸出の技術もあるが輸出もしない。これが積極的平和主義である。」と言っているが、潜在的な能力を持っていることが、海外や特に隣国では懸念されている。北朝鮮と日本に挟まれている韓国では核主権論という話もでてきている。こういった核の悪循環、ジレンマを東北アジアから払拭しなければならない。」と述べた。
   各地からの報告では、沖縄県から、辺野古新基地建設阻止、沖縄の基地撤去のたたかいについて、県内の取組み報告、神奈川県からは、7月30日に東京高裁で判決のあった厚木基地の爆音訴訟の内容、米海軍横須賀基地の空母交替・基地強化の問題について報告があった。
   また、質疑の時間は余り確保できなかったが、参加者2名から行動報告等が行われた。

(報告=全農林 二宮)

広島第1分科会

   中尾座長の開会あいさつ、小山運営委員からの分科会運営についての説明を受け、分科会に入った。
   最初に伴英幸氏(原子力資料情報室共同代表)から「福島原発事故と脱原発社会の選択」をテーマに講演を受けた。
   福島第一原発の現状は「汚染水の処理、最難関の溶融燃料取り出し、行き場のない事故廃棄物の処理など課題は山積している」とし、「国は40年で廃炉にすると言っているが無理。溢れる汚染されたゴミの処理についても全く決まっていない。」と報告。また、労働者被ばく緩和の動きに対しても指摘した。さらに福島県民の状況についても「除染で少しは空間線量が下がっているが、山は全く除染されていない。避難者の意識調査では、50歳未満の人のうち50%の人は、戻らないと回答している。18歳未満の子どもの甲状腺がん検査が行われ、がん又はその疑いがあると診断された人が126名となり、明らかに多い実態となっている。」等の報告がされた。その上で、政府が20%~30%の原発を発電比率にすると方針としていることに対し、「再稼働に向け躍起になっている」と指摘した。結びに、「原発をなくすべきとする80%以上の世論の声を無視して再稼働に向かう政府に世論を背景にどう脱原発を実現するかが問われている」と訴えた。
   続いて、藤井石根氏(明治大学名誉教授)から「脱原発に備え緊要なエネルギー政策の見直し」をテーマに講演を受けた。
   原発依存社会は、継続できない。持続可能社会とは、健康で幸福な生活が営まれる社会であり、放射能を浴びて生きていけない社会は持続可能社会とはいわない」と指摘。安倍政権が進める政策は持続可能社会ではない。発電比率を20%~30%の原子力によるとしている。反面、太陽光だけでも既に設置認定された設備を稼働させただけでも20%を超えてしまうため、経産省は、再生可能エネルギーはこれ以上いらないというメッセージを与えている。また、福島で帰還を促している政策に対しても、空間線量は下がったというが、半減期の短い物質が減っただけでその他の物質は拡散しただけのことと指摘した。また、憲法で保障されている「生存権などを蔑ろにし、国の体裁だけを取り繕っているだけ」と切り捨てた。
   最後に再生可能エネルギーの拡大に関して、「メガソーラーなど森林を伐採してまでやることではない」とし、国として規制をかけるべきだと指摘した。
   次に、海外ゲストのベーベル・ヘーンさん(ドイツ・緑の党)から講演を受けた。ベーベル・ヘーンさんは「世界のエネルギーは、脱原発、エネルギー転換のチャンスである。」とし、ドイツの脱原発政策に至る経過と現状、そして課題について報告された。
   ベーベル・ヘーンさんは、「原子力利用と軍事利用は関連がある。何故なら、原発は核兵器のための第一段であるからだ。ドイツや日本は核保有国ではない。しかし、技術を輸出している」と指摘した上で、「核のない世界を目指すなら原発をなくさなければならない」と訴えた。また、日本同様、ドイツにもフランスにも「原子力ムラ」が存在し、常にお金が絡んでいることも指摘した。加えて、「現在、ドイツの課題は、最終処分施設をどこに造るかということ。高レベルの放射性物質を有する『ゴミ』を保管するためには、100万年間安全に保管できる条件が求められる。その意味でも、原子力はコストがかかる。」と指摘した上で、「ドイツの電力事情で、地産、地消の発展が進み、130万人以上の人が発電していること。そのことで電気料金が安くなっているため、企業にとって魅力がなくなっていること。更には再生可能エネルギーの普及に伴って雇用拡大につながっている」と報告した。
   結びに、「もう一つの地球は存在しない。だからこそ再生可能エネルギーを追求していかなければならない」と訴えた。
   続いて、「福島からの報告」として、半沢周二氏(福島県平和フォーラム)から福島の現状が報告された。
   半沢さんは、「国による避難指示区域の見直しで、年間被ばく線量を1mSvから20mSvに引き上げ、住民帰還を促している。国道6号線の全線開通や常磐自動車道の開通などが進められ、更に避難者などへの補償金打ち切りなどの政策が決められるなど、意図的な『フクシマの風化』が作り出されている。また、健康調査が実施され、37万人の18歳未満の子どもに、内部被ばく検査が行われ、126名の甲状腺がん、又は、その疑いがあると診断された。政府は因果関係は認められないとするが、政府への責任追及をしていかなければならない。また、18歳以下は医療費が無料となっているが、18歳を超えると自費で治療を受けなければならない。」と報告した。
   会場には、265名が参加し、講演後と報告後にそれぞれ参加者からの質問を求め、全体で5名から質問があり、各講師や報告者から踏み込んだ考え方などについて応答がされた。
   質疑応答の後、分科会のまとめを菅原運営委員が行い、「一つひとつの事実を踏まえて一人ひとりがしっかりと意見を持っていこう。」と呼びかけた。
   最後に座長の赤木達男さんが「今年は被ばく70周年、原水禁結成50年の節目となる。『核と人類は共存しない』との森瀧さんの言葉を改めて?み締めたい。又、栗原貞子さんが亡くなって10年となる。栗原さんの詩に『8月の詩』があり、『一度目は過ちでも二度目は裏切りだ』という一節がある。私たちは、過ちをつくらないためにもしっかり運動をしていかなければならない。戦争法案、川内原発再稼働を阻止しよう。そして来年もこの場でお会いしよう。」と閉会あいさつで終了した。

   核のない世界を求めて、全国からこの広島にご結集された皆さまの、熱い思いに、心から敬意を表したいと思います。基調提起の詳細に関しては、冊子をお配りしていますので、後ほど目を通していただきたいと思います。

   310万人の日本人の命を失い、アジア諸国で2000万人とも言われる命を奪いながら、そして、ここ広島では、あの悲惨な原爆投下を経験しながら、しかし、戦後70年の年月を経てもなお、日本は「平和」とは何かを議論しなくてはならないのです。
   安倍首相は「積極的平和主義」を標榜し、またも武力を持って「平和」を作り上げるかのような幻想を語っています。
   過去にベトナムで戦争がありました。米国は、大義なき戦争に走り、同盟国として韓国は、集団的自衛権を行使し米国とともに戦い、5000人を超える若者を失いました。日本は、「平和憲法が集団的自衛権行使を許さない」として参戦しませんでした。結果として日本は、一人として命を失うことがありませんでした。このことは、卑怯なことなのでしょうか。血を流さないことが、国の引け目になるのでしょうか。 アジア太平洋戦争の後、幾多の戦争があり内戦がありました。その都度、多くの若者の血が流れました。しかし、日本は平和憲法の下、自ら銃を握ることを避け、戦争へ参加しませんでした。このことが非難されるのでしょうか。
   安倍首相は、昨年のアジア安全保障会議(シャングリア・ダイアローグ)で、「ひたぶるに、ただひたぶるに平和を希求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました」と演説しました。この言葉は、明らかに間違っています。安倍首相が、何を意図してこのように発言したのか、私には理解できません。誰がどのように説明しようと、日本は、間違いなく1945年の8月15日までは、侵略戦争と植民地支配に明け暮れた「国家」だったのです。
   日本国憲法の前文および第9条は、国際紛争を解決する手段として2度と決して戦争に訴えないことを誓っています。第一次世界大戦後の、パリ不戦条約の崇高な理想を、一国の憲法に具現化したものであり、そのことによって侵略国家の汚名を返上し、平和国家としての再スタートを切ったのです。そこには国のあり方を問う哲学がありました。

   原水禁初代議長の森滝市郎さんは、哲学者として、被爆者として、人間として、広島・長崎の原爆投下の実相と真摯に向き合い、「二度と繰り返すまじ」の思いで、核廃絶の運動に邁進しました。人間として、被爆者として、哲学者として、「核」に向き合えば向き合うほど、どの国の核兵器であれ、核の平和利用であれ、何であれ、「核」が人間社会の崇高な理想と、人間の命の尊厳と、決して相容れない様相が見えてきます。
   「力の文明」から「愛の文明」へ、1975年、被爆30年原水禁大会で、森滝市郎さんは「核と人類は共存できない」として、多くの仲間ともに、「核絶対否定」の考え方を提起するに至ります。核兵器はもとより核の平和利用である原子力発電も、その最初であるウラン採掘の現場から、使用済み核燃料の最終処分まで、搾取と、差別と、放射能による健康被害と、人間の尊厳を傷付ける行為に満ちたものであることを、多くの言葉を紡ぎながら明らかにしていきました。

   2011年3月11日の、あの東京電力福島第一原発事故から、4年と4か月が経過しました。人間の日々の営みから、「命」を奪い、「生活の場」を奪い、「家族の団らん」を奪いました。そして、人間が積み上げてきた悠久の文化を奪い、人間のかけがえのないつながりを奪いました。全てを信じてきた何の罪もない人々が、仮設住宅の中で、そして故郷を遠く離れたアパートの中で、「なぜ」と自らに問い続けながらの暮らしを余儀なくされています。
   誰が、このことに責任を取ったでしょうか。安全だとして原発推進に邁進した政治家は、東京電力の経営者は、自ら責任を取ったのでしょうか。東京地検が二度不起訴にした東京電力旧経営陣に対して、東京第五検察審議会が「原発事業者は事故につながる津波が万が一にも発生する場合があることを考慮し、備えなければならない」と指摘し、起訴すべきと再議決しました。当然の結果だと思います。事故の原因究明は、まだその端緒についたばかりです。そのことなしに、フクシマの復興はあり得ません。

   安倍政権は、原発の依存率を2030年代においても20~22%に保つこととして、「新エネルギー基本計画」を策定し、各地の原発の再稼働にすすんでいます。8月10日にも、九州電力川内原発は再稼働すると発表されています。原子力規制委員会の田中委員長は、「規制基準に適合しても事故は起こりうる」「再稼働の是非は規制委員会は判断しない」と、何回も繰り返し発言しています。一方で安倍首相は「規制委員会が安全であるとした原発は再稼働する」との認識を示しています。私たちは、どうしてこの「原発は安全」という言葉を信頼することができるでしょう。そして今度も、誰が責任を取るのでしょうか。フクシマ以前の、原発の「安全神話」の時代に全く戻ってしまっています。

   国際原子力委員会は、原発の稼働の条件に避難計画の策定を義務づけています。原発周辺自治体に対し、日本政府は避難計画の策定を義務づけましたが、しかし、どうしてそれが再稼働の条件にはならないのでしょうか。8月にも再稼働するとする川内原発周辺30km圏内の85の医療機関において、避難計画を策定しているのはわずか2施設となっています。これほどまでに「命」をないがしろにしていいのでしょうか。

   フクシマでは、今、商工業者の営業補償、自主避難者への無償住宅提供、そして、避難生活者への精神的保障など全てを打ち切り、放射線量が高くても2017年度末までには、年間被曝量50mSv以上の帰還困難区域を除いて、全ての地域で帰還をさせるとしています。フクシマは捨てられる民、安倍政権の政策は「棄民政策」そのものだと思います。フクシマの思いの全てを捨て去って、事故をなかったことにして、原発の再稼働に邁進する。私たちの「命」は、かくも軽いものなのでしょうか。ヒバクシャの思いに寄り添い運動を展開してきた原水禁は、「命」の軽視を決して許しません。

   2015年のNPT再検討会議において提案された、「核兵器は非人道的兵器であり、核兵器禁止条約制定への議論を求める」とするオーストリアの誓約文書には、107か国が賛成しました。ハン・ギムン国連事務総長も強く支持をしました。しかし、米国の核の傘の下、先制使用をも容認する日本政府は、賛成しませんでした。核兵器の非人道性は、ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャの、高校生平和大使の強い訴えがあって、世界に定着していきました。そして、核兵器廃絶を多くの国が訴える状況を作り出しました。
   しかし、核兵器廃絶の先頭に立つべき日本政府が、未だに核抑止力の幻想の中にあります。原水禁が指摘してきた核拡散につながる、核兵器につながる、プルトニウム利用つまり核燃料サイクル計画にも拘泥しています。核兵器の先制使用をも容認し、核兵器の保有を認める立場にいることは、ヒバクシャの思いに対する裏切り以外の何物でもありません。

   今日も、参議院で「戦争法案」の審議が行われています。「自国の安全、いや自国の利益のためには、武力行使を辞さない」このことによって、どれほどの命が失われてきたでしょうか。私たちは全ての問題を、「命の尊厳」から語らねばなりません。貧困の問題も、差別の問題も、原発も、核兵器も、戦争も、全ては「命」につながっています。

   森滝市郎さんは言います。  「原爆を生むような近代の文化を私は、『力の文化』と批評しています。『力』は必ず『力』によって滅びるというのが鉄則です。私は、『力の文化』を救うものとして『愛の文化』を、『慈の文化』を願い求めているのです。人間愛の土台の上にきずかれる文化のみが、『力の文化』の自滅を救い得るものと信じています」

   原水禁は、福島原発事故以降、「一人ひとりの命に寄り添う政治と社会」を求めてとりくみをすすめてきました。そのことは、被爆30周年大会の森滝市郎さんの最後の言葉につながります。
   「人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されていないのであります。」

   戦後70年、原水禁結成50年、もう一度この言葉を噛みしめて、頑張りましょう。この決意を申し上げて、基調にかえさせていただきます。ありがとうございました。

広島開会総会 

   ヒロシマというとき-被爆詩人・栗原貞子さんの詩が日本の侵略戦争の映像を背景に朗読されて、被爆70周年の原水禁世界大会・広島大会はグリーンアリーナ大アリーナ(広島県立総合体育館)に3400人の参加者を得て始まりました、第17代高校生平和大使だった中村祐理さんの司会で進行されました。犠牲者への黙とう後、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)はヒロシマやナガサキの被爆についての認識が風化している問題点を指摘、被爆者がかかえた問題がいまなお多大にあることに加え、安倍内閣による戦争法案制定の動きを強く批判、核兵器廃絶と戦争法案廃案を訴えました。
   松井一寛広島市長のあいさつ(代読)や湯崎英彦広島県知事がメッセージが紹介された後、切明千枝子さん(広島県被団協)が被爆者の訴えを行いました。85歳になる切明さんは、戦前、15年戦争の申し子だった自分や軍国主義下の教育などを省みるとともに、被爆時に壊滅的となった街のなかで自分や周りの人たちをはじめみなが全身にやけどを負い、その治療もままならないまま、死に直面したこと。友だちや下級生の遺体を焼かなければならなかった体験を切々と語り、これが戦争であり、二度と起こしてはならないと述べました。
   また、毎年、国連欧州本部を訪ねて核廃絶を訴えている高校生平和大使の活動について、第18代大使となった井上つぐみさんと脇原華怜さんが、それぞれの思いを語り、ヒロシマの被爆者の声や平和を世界に伝え発信していくことを誓いました。
   福島からの訴えでは、福島県平和フォーラムの角田政志代表が、「原発事故から4年以上。11万人が避難生活を強いられ、不安と苦しみを続けている。もとの生活に戻せと県民は求めてきました。加害者である国と東電は被害者である県民の支援打ち切りを許してはならない。原発廃炉は県民の総意。脱原発の方向性を国に求めてたたかう」と決意表明しました。
   大会の基調提案を藤本泰成・大会事務局長が行いました。安倍首相の「ひたぶるに平和を希求してきた」と称して日本の侵略戦争と植民地支配を覆い隠す姿勢を命を軽視するものとして強く批判、森瀧市郎原水禁初代議長が核廃絶の運動に邁進した姿勢を命の尊厳をもとにしたとりくみとして、その意義をさらに広げること。戦後70年、原水禁50年の言葉を噛みしめてがんばろうと訴えました。
   つづいて大会に参加したドイツ、イギリス、ポリネシア、台湾、韓国、アメリカ、フィリピンの大人14人、子ども4人のメンバーが紹介されました。代表してアメリカの市民団体ピースアクションのポール・マーチンさんは、今年のNPT国際会議で最終文書採択できず失敗したこと、今後の課題といて核拡散がつづくなかでオバマ政権が核兵器削減できるかどうかと問題指摘するとともに、フクシマに数十年にわたるゴーストタウンを生み出した核の利用を許さない国際的な連帯を呼びかけました。
   最後に参加者全員で「原爆を許すまじ」を合唱し、佐古正明・広島実行委員長のあいさつでて閉会しました。広島大会は5日に分科会・ひろばや国際会議、6日に原水禁国民会議結成50周年記念シンポジウムが開かれ、長崎大会に引き継がれます。

福島原発事故を忘れず、核廃絶・脱原発を確認

福島大会.JPG福島講演会.JPG

 被爆70周年原水爆禁止世界大会の福島大会が8月1日、いわき市の平中央公園で開催され、福島や東北各県をはじめ、全国各地から850人が参加しました。2011年3月の東京電力福島第1原発事故を機に、毎年福島で開催されて5回目の今年は、事故の避難者が多く暮らすいわき市で初めて開かれました。(写真左)
 原爆や東日本大震災の犠牲者などに黙とうをささげた後、主催者を代表し、川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)は、自ら長崎で被爆した経験をもとに「国家による原発被害に対する補償を明確にさせなければならない」と指摘、さらに「事故にも関わらず原発再稼働をめざし、さらに戦争法案を成立させようとする安倍政権に反対し、断固として平和を守ろう」と訴えました。
 地元あいさつに立った角田政志・福島県平和フォーラム代表も「いまだに11万人が県内外に避難し。苦しい生活を余儀なくされている。放射性廃棄質の最終処分など何も決まっていない中で、政府は被害者に自立を強いて、補償を打ち切ろうとしている」と批判し、脱原発社会の実現を呼び掛けました。また、開催地のいわき市の清水敏男市長からも歓迎あいさつを受けました。
 大会の基調提起を藤本泰成・大会事務局長が行い、特に「福島の今から考える フクシマを繰り返すな」として、「放射能被害は継続中で意図的な風化は許さない」「東電は被災者の暮らしに責任を持て」「国は被災者の健康に責任を持て」などの福島原発事故に対する責任を追求するとともに、「原発の再稼働を許さない」「破綻する核燃料サイクル」「原発輸出に反対する」「エネルギー政策の転換を」などと提起しました。
 大会にはアメリカ、ドイツ、韓国からも参加があり、代表してドイツの緑の党の国会議員であるベーベル・ハーンさんは「ドイツでは原発の廃絶を決めたが、それは福島の事故によって原発に安全はありえないことを知ったことと、廃棄物の処理にめどがついていないからだ。そして、自然エネルギー推進で40万人の雇用を生み出した。これは平和への歩みだ」と強調しました。
 被災者からの訴えとして、楢葉町からいわき市に避難している青木基・町会議員が、事故当時の混乱を生々しく語り、「避難先での病気悪化や孤独死などの災害関連死が1900人以上となって、直接死を上回っている。避難生活で家族の絆や地域の歴史・伝統が崩壊している。そうした中で楢葉町は9月にも避難指示の解除をしようとしているが、病院や介護などのインフラが完備しない中では生活が成り立たず、若い世代も戻ってこない。国が最後まで責任を持つべきだ」と苦しい実態を報告しました。
 一方、毎年、全国の高校生が国連欧州本部を訪ねて核廃絶を訴えている「高校生平和大使」に今年選ばれた白河高校の鈴木愛望さんは「被災地の実態を訴え、核や戦争のない地球を作る手伝いをしたい」と元気に決意を述べました。
 最後に大会アピールを確認し、集会後、参加者は横断幕やのぼり旗を持ち、市の中心部をデモ行進しました。

講演会やフィールドワークも行われる

富岡駅.JPG双葉町看板.JPG

 1日は、デモ行進が終わってから、再び参加者が集まり学習集会が開かれ、弁護士で、最近は映画監督としても活躍する河合弘之さんが「日本の原発の行方」と題し、原発を推し進めようとする、電力会社を中心とした、原発メーカー、ゼネコン、商社などの経済界、銀行、御用学者、メディア、そして経産省や原子力委員会、自治体、関係労組などによる「原子力ムラ」の構造を説明し、「これらの言い分をすべて論破するために、『日本を原発』という映画を作った。すでに500回以上自主上映している。ぜひ各地でも上映会を」と呼び掛けました。(上写真右)
 また、2日にはフィールドワークが行われ、原発のある大熊町や双葉町をはじめ、周辺の町村を訪ねました。多くの地点は放射線量がいまだに高いため、車窓からの視察になりましたが、徐染が行われ廃棄物を入れたフレコンバッグの山が各所に見られ、事故当時のままで無人となった家屋や草木が生えた田畑などが続いていました。特に原発の近くの高速道路上の空間線量は、許容限度をはるかに超える5マイクロシーベルト以上を表示しており、収束にはほど遠い実態が明らかになりました。
 車窓からは第1原発の排気筒やクレーン、廃棄物の中間貯蔵施設が予定されている広大な原野、道路脇から住宅などにつながる道や玄関前は全てゲートが付けられた異様な光景が続いていました。
 参加者からは「こんな実態の中で、政府や自治体は避難者の帰還をなぜ強引に進めようとしているのか」「フレコンバッグの耐用年数が来たらどうするつもりか」など、多くの質問や意見が出されました。説明にあたった、いわき実行委員会の担当者からは「先が見えない孤立感から自殺者も多い。この現実をどうか忘れないでほしい」と訴えがありました。(下写真左は常磐線「富岡駅」前、背後にフレコンバッグの山。右は双葉町の原発推進の看板、道路にはゲート)

被爆70周年原水爆禁止世界大会/基調(PDF)

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