核のない世界を求めて、全国からこの広島にご結集された皆さまの、熱い思いに、心から敬意を表したいと思います。基調提起の詳細に関しては、冊子をお配りしていますので、後ほど目を通していただきたいと思います。
310万人の日本人の命を失い、アジア諸国で2000万人とも言われる命を奪いながら、そして、ここ広島では、あの悲惨な原爆投下を経験しながら、しかし、戦後70年の年月を経てもなお、日本は「平和」とは何かを議論しなくてはならないのです。
安倍首相は「積極的平和主義」を標榜し、またも武力を持って「平和」を作り上げるかのような幻想を語っています。
過去にベトナムで戦争がありました。米国は、大義なき戦争に走り、同盟国として韓国は、集団的自衛権を行使し米国とともに戦い、5000人を超える若者を失いました。日本は、「平和憲法が集団的自衛権行使を許さない」として参戦しませんでした。結果として日本は、一人として命を失うことがありませんでした。このことは、卑怯なことなのでしょうか。血を流さないことが、国の引け目になるのでしょうか。 アジア太平洋戦争の後、幾多の戦争があり内戦がありました。その都度、多くの若者の血が流れました。しかし、日本は平和憲法の下、自ら銃を握ることを避け、戦争へ参加しませんでした。このことが非難されるのでしょうか。
安倍首相は、昨年のアジア安全保障会議(シャングリア・ダイアローグ)で、「ひたぶるに、ただひたぶるに平和を希求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました」と演説しました。この言葉は、明らかに間違っています。安倍首相が、何を意図してこのように発言したのか、私には理解できません。誰がどのように説明しようと、日本は、間違いなく1945年の8月15日までは、侵略戦争と植民地支配に明け暮れた「国家」だったのです。
日本国憲法の前文および第9条は、国際紛争を解決する手段として2度と決して戦争に訴えないことを誓っています。第一次世界大戦後の、パリ不戦条約の崇高な理想を、一国の憲法に具現化したものであり、そのことによって侵略国家の汚名を返上し、平和国家としての再スタートを切ったのです。そこには国のあり方を問う哲学がありました。
原水禁初代議長の森滝市郎さんは、哲学者として、被爆者として、人間として、広島・長崎の原爆投下の実相と真摯に向き合い、「二度と繰り返すまじ」の思いで、核廃絶の運動に邁進しました。人間として、被爆者として、哲学者として、「核」に向き合えば向き合うほど、どの国の核兵器であれ、核の平和利用であれ、何であれ、「核」が人間社会の崇高な理想と、人間の命の尊厳と、決して相容れない様相が見えてきます。
「力の文明」から「愛の文明」へ、1975年、被爆30年原水禁大会で、森滝市郎さんは「核と人類は共存できない」として、多くの仲間ともに、「核絶対否定」の考え方を提起するに至ります。核兵器はもとより核の平和利用である原子力発電も、その最初であるウラン採掘の現場から、使用済み核燃料の最終処分まで、搾取と、差別と、放射能による健康被害と、人間の尊厳を傷付ける行為に満ちたものであることを、多くの言葉を紡ぎながら明らかにしていきました。
2011年3月11日の、あの東京電力福島第一原発事故から、4年と4か月が経過しました。人間の日々の営みから、「命」を奪い、「生活の場」を奪い、「家族の団らん」を奪いました。そして、人間が積み上げてきた悠久の文化を奪い、人間のかけがえのないつながりを奪いました。全てを信じてきた何の罪もない人々が、仮設住宅の中で、そして故郷を遠く離れたアパートの中で、「なぜ」と自らに問い続けながらの暮らしを余儀なくされています。
誰が、このことに責任を取ったでしょうか。安全だとして原発推進に邁進した政治家は、東京電力の経営者は、自ら責任を取ったのでしょうか。東京地検が二度不起訴にした東京電力旧経営陣に対して、東京第五検察審議会が「原発事業者は事故につながる津波が万が一にも発生する場合があることを考慮し、備えなければならない」と指摘し、起訴すべきと再議決しました。当然の結果だと思います。事故の原因究明は、まだその端緒についたばかりです。そのことなしに、フクシマの復興はあり得ません。
安倍政権は、原発の依存率を2030年代においても20~22%に保つこととして、「新エネルギー基本計画」を策定し、各地の原発の再稼働にすすんでいます。8月10日にも、九州電力川内原発は再稼働すると発表されています。原子力規制委員会の田中委員長は、「規制基準に適合しても事故は起こりうる」「再稼働の是非は規制委員会は判断しない」と、何回も繰り返し発言しています。一方で安倍首相は「規制委員会が安全であるとした原発は再稼働する」との認識を示しています。私たちは、どうしてこの「原発は安全」という言葉を信頼することができるでしょう。そして今度も、誰が責任を取るのでしょうか。フクシマ以前の、原発の「安全神話」の時代に全く戻ってしまっています。
国際原子力委員会は、原発の稼働の条件に避難計画の策定を義務づけています。原発周辺自治体に対し、日本政府は避難計画の策定を義務づけましたが、しかし、どうしてそれが再稼働の条件にはならないのでしょうか。8月にも再稼働するとする川内原発周辺30km圏内の85の医療機関において、避難計画を策定しているのはわずか2施設となっています。これほどまでに「命」をないがしろにしていいのでしょうか。
フクシマでは、今、商工業者の営業補償、自主避難者への無償住宅提供、そして、避難生活者への精神的保障など全てを打ち切り、放射線量が高くても2017年度末までには、年間被曝量50mSv以上の帰還困難区域を除いて、全ての地域で帰還をさせるとしています。フクシマは捨てられる民、安倍政権の政策は「棄民政策」そのものだと思います。フクシマの思いの全てを捨て去って、事故をなかったことにして、原発の再稼働に邁進する。私たちの「命」は、かくも軽いものなのでしょうか。ヒバクシャの思いに寄り添い運動を展開してきた原水禁は、「命」の軽視を決して許しません。
2015年のNPT再検討会議において提案された、「核兵器は非人道的兵器であり、核兵器禁止条約制定への議論を求める」とするオーストリアの誓約文書には、107か国が賛成しました。ハン・ギムン国連事務総長も強く支持をしました。しかし、米国の核の傘の下、先制使用をも容認する日本政府は、賛成しませんでした。核兵器の非人道性は、ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャの、高校生平和大使の強い訴えがあって、世界に定着していきました。そして、核兵器廃絶を多くの国が訴える状況を作り出しました。
しかし、核兵器廃絶の先頭に立つべき日本政府が、未だに核抑止力の幻想の中にあります。原水禁が指摘してきた核拡散につながる、核兵器につながる、プルトニウム利用つまり核燃料サイクル計画にも拘泥しています。核兵器の先制使用をも容認し、核兵器の保有を認める立場にいることは、ヒバクシャの思いに対する裏切り以外の何物でもありません。
今日も、参議院で「戦争法案」の審議が行われています。「自国の安全、いや自国の利益のためには、武力行使を辞さない」このことによって、どれほどの命が失われてきたでしょうか。私たちは全ての問題を、「命の尊厳」から語らねばなりません。貧困の問題も、差別の問題も、原発も、核兵器も、戦争も、全ては「命」につながっています。
森滝市郎さんは言います。
「原爆を生むような近代の文化を私は、『力の文化』と批評しています。『力』は必ず『力』によって滅びるというのが鉄則です。私は、『力の文化』を救うものとして『愛の文化』を、『慈の文化』を願い求めているのです。人間愛の土台の上にきずかれる文化のみが、『力の文化』の自滅を救い得るものと信じています」
原水禁は、福島原発事故以降、「一人ひとりの命に寄り添う政治と社会」を求めてとりくみをすすめてきました。そのことは、被爆30周年大会の森滝市郎さんの最後の言葉につながります。
「人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されていないのであります。」
戦後70年、原水禁結成50年、もう一度この言葉を噛みしめて、頑張りましょう。この決意を申し上げて、基調にかえさせていただきます。ありがとうございました。