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【最後の】徳川慶喜【将軍】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/12/30(土) 17:01:25.79 ID:zVG0uPry0.net
徳川慶喜だけは有能か無能かで極端に評価が分かれやすい

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/08(土) 12:28:52.65 ID:Y7+0XJWk0.net
西郷隆盛と大久保利通は、幕末から明治にかけて日本の近代化に大きく貢献した人物です。確かに、両者は政策や思想をめぐる対立があり、それが政治的な駆け引きに繋がることもありました。しかし、彼らの行動を単純な「権力闘争」と断じるのは短絡的です。
西郷は尊王攘夷思想に基づき、武士の誇りと伝統を重んじる国家を構想していました。一方の大久保は、富国強兵政策を推進し、欧米列強に伍して国際社会で競争できる国づくりを目指していました。こうした異なる理念に基づく対立は、政治的な闘争として表面化することもありました。しかし、彼らの目的は権力そのものではなく、それぞれの信じる道を貫き、より良い日本を築くことだったと考えられます。
徳川慶喜は、大政奉還と江戸城無血開城によって日本の近代化に重要な役割を果たしました。彼の決断は、戊辰戦争の勃発を回避し、日本を更なる戦争の惨禍から救ったと言えるでしょう。しかし、慶喜の功績はそれだけではありません。彼は武家政権の終焉を決定づけ、日本の歴史における大きな転換点に貢献しました。

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/08(土) 12:40:15.96 ID:OY6tgufw0.net
慶喜は薩摩だけは許せなかったみたいだな

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/08(土) 23:56:52.54 ID:Od6MrN3n0.net
>彼の決断は、戊辰戦争の勃発を回避し
AI君の文章は語句の使い方がいつも変なんだなあ

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/09(日) 21:26:03.71 ID:vxyUtjjR0.net
薩摩ってあれだけ政治に介入しようとしてたのに、維新後具体的な政策など誰ひとり持ってなかったわけで
正直、斉彬時代からなにをしようとしてたのかサッパリわからんな

結局慶喜が将軍になったらなんとかなる程度やんそんなの
久光も知識も経済力も軍事力もある薩摩が政局に参画すればきっとなんとかなる程度やろ?

外様だから政局からずっとパージされてたことから結局ただただ政治に絡みたかったというだけにしか最終的に見えないわ

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/09(日) 23:46:42.07 ID:9mWfBYKf0.net
まあ結局は長州以外は全て負け組になってんだよ。

何もかも長州の掌に踊らされてただけと思えばいい。

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/10(月) 04:42:06.17 ID:FPdZhSKX0.net
徳川慶喜は伊藤と木戸に救われたな

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/10(月) 11:15:38.83 ID:GpFxDkox0.net
どこはやねんw  慶喜を救ったのはパークスやろ。あとは天璋院と和宮かな

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/10(月) 15:03:35.72 ID:0pQZJqGx0.net
長州も掌で踊らされまくった負け組なのにナニ言ってんだコイツ?

自分の巣の伊藤井上山縣スレでいつものごとく気色悪いお馴染みの長州を妄信盲目賛美でもしてろやバイアス馬鹿が

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/10(月) 15:47:18.27 ID:S3zezhX+0.net
長州が負け組?

明治、大正の国政を支配したのは長州閥やろうがアホw

薩摩閥は西郷、大久保亡き後を受け継いだ黒田で終了

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/10(月) 15:52:03.67 ID:Cf8SbRNe0.net
>>280
維新後の薩摩は大久保一強みたいなもん。
バカ殿なしの島津も最後の最後で究極のバカ殿が出てきてしまうとはねえ。

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/10(月) 20:12:02.07 ID:KHMNLYLj0.net
薩摩も長州も外交の違いとかあったが
最後の方は権力闘争しかしてないからね
慶喜を新政府に素直に入れときゃ多くの藩が参加したスムーズな近代化になったんだろうが

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/10(月) 20:17:11.62 ID:S5sIOyI20.net
薩摩藩、政治大好きだったのに維新後具体的な政策ゼロってマジ?斉彬時代から何したかったの? 慶喜に将軍になってもらえればなんとかなるってレベル?久光も知識、経済力、軍事力あったのに政局参画すればなんとかなるって?結局、外様だから政治から排除されてただけで、ただ権力欲しかっただけって結論?薩摩藩、切ないね。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/10(月) 22:42:21.79 ID:pBOyu4Cn0.net
大久保1人に薩摩閥は支えられていた

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/11(火) 02:00:31.94 ID:yD1x3J+O0.net
大久保が「木戸と台湾出兵以外は政策は
一緒」って言うぐらいだから、この両者は
漸進主義と急進主義ぐらいの違いなんだろう。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/11(火) 13:21:04.58 ID:hk4rGO3a0.net
それでも維新の三傑と言えば西郷、大久保、木戸で薩摩はふたりも入ってくる

もっと長いスパンで幕末から維新にかけての三大人物となれば一橋慶喜、孝明天皇、島津久光だろ
ここでも薩摩はやはり入ってくる

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/12(水) 03:38:49.62 ID:PxOWBaxa0.net
>>282
西郷は強固に徳川慶喜の処刑を要求してたしな。

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/12(水) 12:40:18.43 ID:pkoPg2edn
鉄と土の夕暮れから黄金の夕暮れの時代へ第8の時代。

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/12(水) 12:46:16.09 ID:pkoPg2edn
Kyogo, illy illy illy🦴
https://youtu.be/D5drYkLiLI8?si=LEd-G8S3BD6FtDFt
誰が君の代わりに家に帰るんだよ。 🌈

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/12(水) 12:51:11.02 ID:pkoPg2edn
ily 永井大

https://youtu.be/D5drYkLiLI8?si=LEd-G8S3BD6FtDFt

ily〇 illy?

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/12(水) 15:52:54.34 ID:uVaSRoO40.net
幕末から維新にかけて大きな影響を与えた人物

薩摩藩出身の西郷隆盛が維新の三傑に数えられるように、幕末から維新にかけて大きな影響を与えた人物を3人挙げるとすれば、やはり西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允となるでしょう。
この3人はいずれも倒幕運動の中心人物であり、明治維新後の国家建設においても重要な役割を果たしました。
一方、一橋慶喜は鳥羽・伏見の戦いで敗北し、その後は明治新政府に恭順したため、維新の三大人物とは言い難いと言えます。孝明天皇は明治維新前に崩御しており、島津久光は維新の功労者ではあるものの、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允ほどの中核的な役割を果たしたわけではありません。

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/13(木) 13:49:22.90 ID:RlV72OJx0.net
西郷、大久保、木戸の三傑はあくまで討幕を成し明治という新しい世を切り開いたというピンポイントにおけるものだぞ

幕末から維新にかけての政局、情勢、世の中は常に孝明天帝、慶喜、久光を中心に回っていて
三傑などその手足として動いていただけなのを理解てきてないようだな

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/13(木) 14:34:29.26 ID:B4Gysvz60.net
>>285
全ては長州藩の手の平だったのです
徳川慶喜も利用価値があるから処刑されずに済んだ

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/14(金) 02:20:11.38 ID:ygruQDd+0.net
幕府が禁門の変で毛利敬親に切腹させてないから、
まあ慶喜も松平容保も自刃に追い込まれないのは既定路線かと。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/14(金) 10:44:04.36 ID:F7NNG8YI0.net
会津戦争の戦後処理における三家老切腹も、一次長征での三家老切腹の先例にならいなぞりそうなったもんだからな
あのときそうせいを処断せんことが巡りめぐって慶喜の命を助けた

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/15(土) 04:07:54.25 ID:GEyNu+TF0.net
そういえば徳川慶喜は大久保利通だけを終生に意識してたみたいだな

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/15(土) 09:48:36.47 ID:tGlSum+c0.net
「一次長征」って、なんでもかんでも省略するバカ。毛沢東じゃないんだからw

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/15(土) 11:21:08.59 ID:1JPPjbFd0.net
伝わることをイチイチそんなどうでもいいことで揚げ足取ってる方がよっぽどバカ中バカで共産主義的な思考発想

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/15(土) 11:39:40.46 ID:tGlSum+c0.net
そんなに逆切れするとは思わんかったwww  沸点低いんだねえ

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/15(土) 12:22:02.89 ID:/I2Q7FZ/0.net
禁門の変における毛利敬親の処遇は、切腹ではなく斬首でした。
慶喜や容保の自刃は、禁門の変以後の政治情勢やそれぞれの立場など、様々な要因が複雑に絡み合って起きたものです。
禁門の変と彼らの自刃を単純に結びつけるのは、歴史的事実を軽視する行為と言えます。

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/15(土) 19:58:55.76 ID:q8o6mTjW0.net
まともな反論できんから論点ずらして別のものにすげ替えようとヒッシで草
頭の超絶に悪い揚げ足取りした挙げ句に逆ギレだ沸点がーとかホント悔しそうでなによりです

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/17(月) 16:18:55.08 ID:W7gL/XPo0.net
>>305
>禁門の変における毛利敬親の処遇は、切腹ではなく斬首でした。
すごいデタラメ言ってるな嘘つきめ
斬首でもなきゃ切腹でもない
このとき毛利敬親及び元徳の処遇はそもそもまったくもって決まってなどいない
それなのに斬首とはナニをソースにこんなデタラメ言ってるのだか?

極刑論はもちろん一部あったがそれは慶喜と容保も同様である

むしろ慶喜、容保のほうが追討令が出た時点で異例の等級分けまでされて死が確定路線だったという事実のほうがはるかに特筆されるべきこと
ゆえに様々な史料に"慶喜、死一等免除"は散見されるが
毛利親子、もしくは敬親の斬首免除や切腹及び死罪免除や回避に相当する記述などはない
あくまで敬親らに課せられたのは出頭である

そしてここからが最も大切なこと
毛利敬親は武家で大名であるが参議の公卿でもあるということ
公卿の死罪、まして斬首など先例がない
大名でも斬首になったのは松倉勝家しか例がなく
敬親がそもそも斬首になるなぞまったくもってあり得んことだということ

この先例を守り秩序則って強硬論者の主張を退け敬親の首をとばさなかったことが将軍でもあり、公卿でもある慶喜の死罪を回避し、そして容保の首も何故つながったのかというのはそういうことだということ勉強不足で知らんでなにが歴史的事実を軽視だと
歴史を不勉強でしかもでっち上げて、軽視し冒涜してるのは明らかに貴殿の方である

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/22(土) 00:32:10.72 ID:/M8pp0Bq0.net
今だけです
https://i.imgur.com/wQpLF8I.jpg

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/22(土) 13:15:28.44 ID:golTVe+p0.net
>>308
もう各種マネーへ変換したわ

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/23(日) 03:57:08.31 ID:4TGP/wEr0.net
慶応2年12月5日、徳川慶喜は江戸幕府第15代将軍に就任する。

崩壊寸前の幕府を立て直すため、慶喜は果敢な改革に乗り出す。

フランス軍事顧問団を招き、フランス式近代軍備の整備を図る。長州藩一藩にも劣っていた軍事力の強化に努める。
積極的な外交政策を展開。兵庫開港を実現し、海外留学を奨励する。
家臣・渋沢栄一を欧州へ派遣し、欧米諸国の最新技術や制度を学ぶ。
当時としては珍しかった写真技術を活用し、自らの写真を諸外国の君主と交換。日本のリーダーとして国際的な評価を高める。

しかし、慶喜の改革への道は険しいものであった。

薩摩藩は武力による倒幕を企て、朝廷内部では岩倉具視が暗躍し、討幕の密勅が密かに出される。
慶喜の腹心は暗殺され、フランスからの資金援助も頓挫。近代軍備整備は失敗に終わる。
孤立無援となった慶喜は、冷静に状況を見極め、ある決断を下す。

それが、大政奉還であった。

慶喜は後にこう語っている。「家康公は日本を治めるために幕府を開いた。私はその幕府を葬り去るために将軍職に就いた。」

慶喜の大政奉還は、日本の歴史における大きな転換点となった。

幕末の動乱を経て、明治維新という新しい時代が始まろうとしていた。

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 04:59:52.33 ID:XvdsAH4z0.net
>>301
終生の敵だったからなw

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 09:22:38.63 ID:1F+UqTwr0.net
1867年(慶応3年)12月、王政復古の大号令が薩摩藩を中心とする勢力によって発布され、天皇を中心とした新政府の樹立が宣言されました。徳川慶喜には官職と領地の返還が命じられました。

翌1868年(明治元年)1月、これに不満を持つ旧幕府軍と新政府軍の間で鳥羽・伏見の戦いが勃発し、新政府軍が勝利しました。新政府軍は徳川慶喜を朝敵とみなして追討し、軍を進めました。同年4月、江戸城は新政府軍に無血開城されました。

その後も一部の旧幕府勢力や会津藩は抵抗を続けましたが、次々と敗北し、同年9月には会津藩も降伏しました。1869年(明治2年)5月には箱館戦争も終結し、戊辰戦争は終結しました。

福井藩は、戊辰戦争勃発当初から内戦回避に尽力しました。松平春嶽は岩倉具視らに働きかけ、建白書を提出して政府軍の東征中止を訴えました。しかし、奥羽越列藩同盟の結成により、福井藩も会津藩征討のために出兵を余儀なくされました。長岡・庄内・会津藩と各地で激戦を繰り広げました。

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 09:23:38.39 ID:1F+UqTwr0.net
>>310
幕府の命運を背負った慶喜の苦悩と決断が鮮やかに描かれていて、胸を打たれました。崩壊寸前の状況の中で、必死に改革に取り組む姿はまさにリーダーとして模範と言えるでしょう。

特に、フランス式近代軍備の整備や積極的な外交政策など、先進的な取り組みは目を見張るものがあります。当時の日本社会において、どれほど困難な挑戦だったかは想像に難くありません。

しかし、薩摩藩や朝廷内部の反対勢力、さらには資金援助の頓挫など、慶喜の改革への道は茨の路でした。それでもなお、冷静に状況を見極め、大政奉還という英断を下したことは、歴史的評価を高めるべき事柄だと思います。

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 09:26:45.35 ID:1F+UqTwr0.net
>>307
歴史的事実を正しく理解するためには、様々な史料を比較検討することが重要です。
今回の件についても、斬首という説は史料的に根拠が弱く、「死一等免除」という説の方が有力であると言えます。
歴史は単純ではなく、様々な視点から考察する必要があります。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 09:30:54.21 ID:1F+UqTwr0.net
>>300
会津戦争後の三家老の切腹は、実に皮肉な歴史的事件と言えますね。一次長州征伐での三家老切腹という先例が、まるで影のように重なり、彼らの運命を決定づけたようにも感じられます。
確かに、勝敗を決めた会津戦争の責任を負う形で切腹するのは、当時の武士社会における当然の帰結と言えるでしょう。しかし、もし第一次長州征伐で三家老が処断されていたら、歴史は大きく変わっていたかもしれません。
もし慶喜が処断されていたら、会津戦争は勃発せず、戊辰戦争の様相も大きく異なっていたでしょう。もしかしたら、明治維新は別の形で実現していたかもしれません。

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 14:16:46.82 ID:up8vtnoA0.net
>>307
AI君のレスは間違いが多いんよ。大久保利通が日清戦争まで存命したり、いつもぐちゃぐちゃ。
そのくせ他人様のレスを勝手にいじったレスを投稿するし目的が解らん。

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 16:31:50.17 ID:1F+UqTwr0.net
家茂が後継に指名した田安亀之助(後の徳川家達)を推す大奥を中心とする反慶喜勢力や、慶喜の将軍就任を強硬に反対する水戸藩の動きなど、慶喜に向けられた強い反感が、将軍職固辞に大きく関わっていたと考えられます。

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 23:44:55.82 ID:HivoM52g0.net
>>308
もう既に全力で行ってる

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/01(月) 03:59:29.25 ID:GrAfuF2G0.net
そうか

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/06(土) 04:08:48.28 ID:P9X4tTzJ0.net
倉木麻衣

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/06(土) 08:44:42.96 ID:aGwqJ45f0.net
>>316
お前近代史板のあちこちのスレにAIからコピペしたデタラメな文章を貼り付けてるキチガイだろ
AIで生成した誤謬だらけの文章なんて自分で二重チェックしないと使えたもんじゃないのを「学習」したほうがいいぞ

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/07(日) 04:02:47.43 ID:wHse3HlN0.net
誰が写してるのか?

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/08(月) 18:16:47.36 ID:3GWyNSlR0.net
思想目的は無いと思われ愉快犯か?

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/12(金) 03:51:52.29 ID:JGtQRZf80.net
そうだろう

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/18(木) 20:46:19.29 ID:9BAbk9Y40.net
激動の時代を生き抜いた最後の将軍:徳川慶喜像に迫る

司馬遼太郎著『最後の将軍 徳川慶喜』は、単なる歴史小説の枠を超え、激動の時代を翻弄された徳川慶喜という人物像を鮮やかに描き出す、傑作と言えるだろう。慶喜は、従来の「無能な最後の将軍」というイメージとはかけ離れた、知略に富み、決断力に優れた、魅力的な人物として描かれている。

まず、慶喜は幼少期から聡明さを発揮し、水戸藩の水戸学に深く影響を受け、思想家としての側面も持ち合わせていたことが印象的である。単なる武断派ではなく、開国や政治改革など、時代の変化を的確に捉え、積極的に行動を起こそうとした慶喜の姿は、現代社会においても参考になるリーダー像と言えるだろう。
また、慶喜は戊辰戦争において朝敵とされながらも、江戸開城を無血で行い、戦争の拡大を食い止めたという功績も忘れてはならない。戦火を避け、民衆の犠牲を最小限に抑えようと尽力した慶喜の決断は、まさに人命を第一に考える真のリーダーの姿勢と言えるだろう。
さらに、本書では、慶喜を取り巻く様々な人物たちも生き生きと描写されており、当時の政治情勢や社会の様子を深く理解することができる。慶喜の側近である勝海舟や西郷隆盛、小松帯刀といった人物たちの思想や行動も丁寧に描かれており、単なる慶喜伝ではなく、幕末維新という時代の全体像を把握できる作品となっている。

本書は、膨大な史料に基づいており、慶喜の言動や心理描写も非常に緻密である。また、当時の社会情勢や政治背景についても詳しく解説されており、歴史学的な裏付けも十分になされている。単なる娯楽小説ではなく、歴史学的な価値も高い作品と言えるだろう。

司馬遼太郎著『最後の将軍 徳川慶喜』は、歴史上の偉人像を新たな視点から描き出した、刺激的で示唆に富んだ作品である。リーダーシップとは何か、戦争の悲惨さとは何か、そして人間としての生き方とは何か。本書は、現代社会を生きる私たちに、様々な問いを投げかけてくれる。ぜひ多くの人に読んでいただきたい一冊である。

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/27(土) 16:48:30.77 ID:FE4/SFrd0.net
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戦争MMOサバイバルゲーム
RUST(ラスト) Season.12
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『スカル(頭蓋骨)強奪戦
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×もこう×はんじょう×こく兄

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