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ゲームこみゅ : かみゃ

かみゃ ([info]かみゃ) 投稿者,
@ 2008-03-10 13:04:00


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現在のヒトコト: きゅうり
タグ: 仕事

ゲームこみゅ
あ、ちなみに俺、ネトゲ関係やってるんで。

今日はアメリカに来て初めて1日引きこもって、本とかネットで思索にふけってみた。

今回のテーマは、ネトゲとコミュニケーション/コミュニティについて。

この記事が面白かったので、貼っておく。
http://www.4gamer.net/games/033/G003334/20080304041/



●コミュニケーションの形態について

オンラインゲーム=部活
ニコニコ=ゲーセン
というメタファーが非常に興味深い。


オンラインエンタテイメントがネットコミュニケーションのOSかプロトコルに過ぎないというのは自明だと思うが、それゆえに非常に微妙なさじ加減が必要な印象。

俺は明らかにオンラインゲームよりはニコ動が好き。

だが、飯を食っていくという観点ではどうなのか?Google的に、それすらも考えなければ「投げ銭」も自然に開発されるのか?


●集う場のルールの違いとそのサステナビリティについて

SNS=ムラ・ゆえに2年で廃るか、都市に脱皮する必然?
2ちゃん=劇場都市・ゆえにロールプレイに飽きなければ発展?

非同期コミュニケーションとしてのオンラインゲームとコミュニティ(あるいは都市)というものは、どうすれば魅力的につくれるか?
コミュニティをスティッキィにするという設計思想は間違っているというか、見切りを早くしろということか。
2年で消費するコミュニティは、どうするのが一番面白く、かつ費用対効果が高いのか?


●コミュニケーションの楽しみと文化の違い

そしてそれは英語圏でウケルのか?

英語圏というよりは、アメリカかな。。。ゲームのテイストひとつとっても、完成品をスポーツとして楽しむ感覚があり、ニコ動や萌え系の不完全さを補完的に突っ込んで、それをコラボする楽しみが理解されるのか、かなり自信がない。

もしくは母数が違いすぎるから、ウケルこと自体を考えずにターゲットを絞ってしまってかまわないということなのかな?


●オープンソースコミュニティの喜びとしての「萌え」

でも、「足りないものを補完する喜び」としてのコミュニケーションとはまさにオープンソースコミュニティのそれではないか?と思う。
足りないものを足りないものとして、とにかく晒し、補完しあうことで楽しむ。これって「萌え」だと俺は定義している。(だからエヴァが萌えるのは、いろんなレイヤーで必然。)

であれば、今俺がいる場所は、現代の本場であるはず。
Googleが世界で指折りの企業であり、Linuxがインターネットを支え、インターネットが現代社会を支えているのであれば、それは時代の本質になっているのかな。
であれば、もっと自分の感覚に自信をもっていいはず。


ちなみに「萌え」は源氏物語に見られるように、平安時代からの日本古来の感情だと認識していますが、そのネイティブな感覚で仕事に当たれるのであれば、幸せだな。


cf. オープンソースとしての初音ミク
http://wiredvision.jp/blog/hamano/200711/200711011100.html


その一方で補完する楽しみを共有するためには、いろんな条件が要りそう。
いろんな共通言語とか、共有知識とか、EQ(空気嫁的な)とか。。。

それって市場を小さくすること?それとも適切な絞込みをするってこと?



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ひろゆき氏
[info]かみゃ
2008-03-11 04:11 pm (リンク)
ちょうど関連するインタビューが出てた。

http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20368940,00.htm

いや、ひろゆき氏は天才だわ。

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