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生命力学〈Vital Mechanics〉part2

1 :◆GOVXYB0Zc. :2023/07/28(金) 08:57:32.48 ID:tFPmpWfT.net
現代科学は我々の宇宙に存在するものを2つの物理法則により記述している。
すなわちミクロ系には量子力学、マクロ系にはニュートン力学、あるいは(一般)相対論。
しかし我々の宇宙に存在するものをミクロ系、マクロ系という2色刷りで印刷することはできないのだ。
強いて二分法があるとするならばそれは生命系か非生命系かなのである。
そして生命(力学)の目的はミクロ系とマクロ系の統一、ひいては生命系と非生命系の統一である。

生命力学〈Vital Mechanics〉part1
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/sci/1287126048/
もしエーテルが存在したら
https://science6.5ch.net/test/read.cgi/sci/1142171928/

279 ::2024/06/12(水) 20:06:56.49 ID:???.net
実際人間の皮膚に爪を立てるとくっきりと跡が残る、すなわちこれが粘性、しかししばらく時間が過ぎると
いつの間にか跡形もなく消える、すなわちこれが弾性、ゆえに人間は粘弾性体といえる。

ではこの粘弾性を量子論的な描像で解釈して擬人化すると我々の常識が通用しない不可思議世界となる。
すなわち人間を弾性体とすると、そして高いところから飛び降りるとあたかもゴムまりのように弾んで
元の位置に戻る。
さらに人間を粘性体とすると液体、すなわちあたかもターミネーターのように床一面にべったりと拡がり
どこにいるのか位置が分からなくなる、そして指をパチンと鳴らすと元の人間の姿に戻り位置が確定する。

280 ::2024/06/12(水) 20:10:32.99 ID:???.net
つまり実際の粘弾性は全体系としては粘弾性だが粘性も弾性もあくまでも全体の部分系としての性質。
しかし粘性も弾性もそれぞれ全体系、すなわち量子論で言う所の純粋状態とするとゴムまりのように弾んだ
状態と床一面に拡がった状態がシュレ猫のように同時併存することになる。
つまりそれが量子論における粒と波の二重性の意味である。

つまり媒質の世界では媒質の本質は粒以外の何物でもないのだから、そして波とは粒の振る舞いなのだから、
粒であり波でありそれ以外の何ものでないことになる。
それに対し粒と波は対立する概念であり、それが一つに収まっていることに納得がいかない、我慢がならない、
そしてその対立をことさら煽るのが粒と波の二重性でありいわゆるシュレ猫である。

281 ::2024/06/12(水) 20:14:56.53 ID:???.net
物理の書物に半死半生の猫は考えられないと記述されると、免疫のない読者はそうだ半死半生の猫は考えられない
と素直に信じてしまう。
しかし辞書を開くと分かるように半死半生とは瀕死の状態、すなわち程度の差はあれどっちに転んでも
おかしくない様である、すなわち生命系においては実在を表す用語だ。
それに対し物理学においての半死半生の猫とはじゃれて愛くるしい猫と死んで埋葬される運命にある猫が
併存している、すなわち2つの排他的な実体(全体系)が1つに収まっているというものである。

282 ::2024/06/12(水) 20:18:00.77 ID:???.net
つまり物理学における半死半生とはどっから見ても死、どっから見ても生、すなわち純粋状態なのだから本来それは
全死全生の猫と呼ぶべきだ、すなわち半死半生という実在するものを完全無視し、それに代わる非実在的な全死全生
という概念をもってきて理論を展開するのが理論物理学者の手法。
ちなみに全死全生も必ずしも非実在とは言えない、なぜなら死んだ猫も遺伝子操作の進展により遺伝子という
実体があれば生き返る可能性を否定できないからだ。

いずれにせよ一般常識として半死半生の猫は実在するのだから、物理学者がシュレ猫を語る際には全死全生の
猫は考えられないというべきである、つまり半死半生の猫はごまかし、
つまりそれにより物理学者のいうところのシュレ猫の意味合いが分かるというものだ。

283 ::2024/06/12(水) 20:20:34.49 ID:???.net
ちなみに一般人の会話、
友人A「昨日半死半生の目にあったよ」
友人B「あぁ、それは大変だったな」これで済む話、
それに対し物理学者の会話、
物理学者A「昨日半死半生の目にあったよ」
物理学者B「ほう、じゃ、あの世で見聞きした事を聞かせてもらおうか」ということになる、
ようするに一般人と物理学者の間には会話は成立しないということ。

284 ::2024/06/12(水) 20:24:39.82 ID:???.net
シュレ猫を裁判に置き換えるとその意味合いが分かる、すなわちシュレディンガーの裁判だ。
我々は裁判の名において検察側も弁護側も部分集合であると思っている。
|判決ψ>=|検察側↑部分系>+|弁護側↓部分系>
すなわち検察側は罪を重くしようとするベクトルを持ち、そして弁護側は罪を軽くしようとするベクトル
を持っている、そして裁判における重ね合わせとは検察側と弁護側が丁々発止でやりあうことだ。
そして裁判長が判決を言い渡した瞬間刑は確定し、いわゆる波動関数の収縮が起こる。
さらに判決に不服な者が控訴すれば、そしてそれが認められたならば再び刑は不確定になる。

285 ::2024/06/12(水) 20:27:34.13 ID:???.net
ところがシュレディンガーの裁判においては裁判の名において検察側も弁護側もそれぞれ全体集合である(純粋状態)。
|判決ψ>=|検察側↑全体系>+|弁護側↓全体系>
ゆえに検察側は裁判そのものであり、死刑を求刑したなら被告は死刑だ、さらに同時に弁護側は
裁判そのものなのだから無罪を主張したなら被告の無罪だ。
ゆえに被告はあの世とこの世、塀の中と外に同時併存することになる、すなわちこれが量子論における重ね合わせ。
つまり検察側も弁護側もそれぞれの主張は100%保証されているのだから、
100+100=200=2→1 とするのがいわゆるコペンハーゲン解釈、それに対し
100+100=200=2→1+1 とするのがいわゆる多世界解釈。

286 ::2024/06/12(水) 20:30:40.82 ID:???.net
ちなみに実際のシュレ猫の仮想実験において1時間以内に放射線が出る出ないの確率はそれぞれ50%だ。
つまり 50+50=100→1
それは 気象予報士が明日何時に雨が降る確率は100%、同時に降らない確率も100%などとふざけたことを
言わないのと同じだ。

287 ::2024/06/12(水) 20:34:03.10 ID:???.net
結局シュレ猫は部分と全体を同一視するトリックである、いやそもそも数学的な点とされる電子などのミクロ粒子に
部分などという概念、情報はない。
ちなみにそれが媒質の世界ならば、例えば界面活性剤は親水基と疎水基・親油基、すなわち排他的二値が部分系として
重ね合わさっている。
あるいは水は水素と酸素、つまり水素イオンH+と水酸化物イオンOH−という部分系からなる、
しかし界面活性剤も水も普通それを量子とは呼ばない。
それはなぜかと言うと物理学における量子とは全何々であり全何々であるが、水や界面活性剤は半分何々であり半分何々
であるからだ、ようするにそこに理解不能というエッセンスがなければ量子失格というわけ。
しかし私に言わせれば水は量子論以上に量子的である、何しろ水は生命を育んでいる、この事実を見逃してはならない。

288 ::2024/06/21(金) 10:43:21.49 ID:???.net
ボールゲームにおいてボールを運ぶ方式は2種類ある。
すなわちドリブルとパス回しだ。
つまりそれがドリブルならば選手自身がボールと一緒に移動する、ゆえにボールを運ぶ行為は一人でも可能だ。
ようするにあくまでも固有名詞AならばAの移動。
それに対しパス回しは一人では不可能、つまりフィールドに複数の選手がいなければ成立しない。
つまりそれゆえパス回しにおいては必ずしも選手それ自身移動する必要はない。
すなわち野球でいえば5.4.3のダブルプレーといった場合、3塁手自身が1塁に移動するわけではない、
移動するのはあくまでもボールである。
しかしボールをもった選手は移動する、あたかも電光掲示板の文字のように。

289 ::2024/06/21(金) 10:46:15.57 ID:???.net
で何を言いたいかというと、ようするに量子論における粒と波の二重性とはいわば一人パス回しのようなものだ。
つまりフィールドには選手(A)は一人しかいない、しかしボールを蹴るとなぜか蹴った先にAがいる、
つまりどこに蹴ろうがその先にはAがいる、普通に考えてどんなダッシュ力の持ち主でもそれは不可能であることは
ちょっと考えれば分かるというものだ。
しかし空間に局在する選手(A)はあたかも波のような拡がり、すなわち空間のあちこちに同時併存するという特殊能力を
持っているならば一人パス回しも可能という考え、ようするに我々が日常抱いている常識を捨てなさい
というのが量子力学、そしてそれが彼らのステータス。

290 ::2024/06/21(金) 10:49:18.93 ID:???.net
かつて、そして今でもそれぞれの地方に点在する放送局は情報を発信し続けている。
そして中継車が事故や災害及び各種イベントに駆け付け我々に情報を提供する。
各放送局に何台中継車があるのか分からないが、もしその中継車が量子中継車ならば一台で間に合うことになる。
すなわちその中継車が量子を名乗るならば空間的拡がりをもち、あたかもシュレ猫のように複数の状態を
取れるからだ。
すなわち量子中継車は神出鬼没、いつでもどこであろうと我々にニュース映像を提供してくれるというわけ。

291 ::2024/06/21(金) 10:52:17.23 ID:???.net
ところがである、現在そこら辺の人間がスマホやドラレコに映った写真、映像をSNSに上げている。
つまりかつて、そして今でも多くの設備と人員を要する放送局が担っている情報の発信、受信という行為を
空間に遍在するそこら辺の人間がやっているのだ。
ある意味空間に遍在するそこら辺の人間とは前世紀初頭に台頭した量子論及び特殊相対論により葬り去られた
エーテルの系譜である。
つまり当時と現代では時代背景が様変わりしている。
つまり皮肉なことに、科学技術の発展、発達は空間は何かで満ち満ちているという思想の正しさがあぶり出され
ということだ。

292 ::2024/06/21(金) 10:55:30.27 ID:???.net
ちなみに媒質の直訳はミディアム、すなわちメディアなのだから科学者が実質否定したのはメディアな。

293 ::2024/06/21(金) 10:58:05.28 ID:???.net
前スレから引用
現在ChatGPTで盛り上がっているが、言うまでもなくChatGPTの原理はネット環境に満ち満ちている
メディア、すなわち記憶媒体に書き込まれている情報を拾ってきて演算処理しているものである。
そしてその原理は洞窟に描かれた壁画、ロゼッタストーン、画家にとってのキャンバス、音楽家にとっての楽譜、
さらに紙という記憶媒体があるがゆえに我々は歴史及び歴史上の人物を知ることができるのと同じだ。

そもそも画家からキャンバスを取り上げたらこの世にモナリザという絵は実在しない、ゆえに我々はそれを
鑑賞することもできない。
浮世絵により江戸時代の風景、人々の生活様式である風俗やファッションを知ることができるのも紙という
記憶媒体があるおかげである。

294 :◆GOVXYB0Zc. :2024/06/21(金) 11:02:05.72 ID:???.net
ちなみに科学者は光の媒質とされたエーテルは存在しないと無邪気にはしゃいでいるが、科学者が否定したのは
媒質は波だからという理由で必要とされた架空の存在。
しかし媒質の直訳はミディアム、すなわちメディアなのだから科学者、すなわち物理学者が否定したのは記憶媒体
ということになる。

実際、光の速度は誘電率と透磁率の比から導出されるが真空は誘電体でも磁性体でもないとしている。
確かに音波に媒質は必要ないとしたなら記憶媒体である空気も圧力も密度(質量)も存在しないとしなければ整合性はとれない、
それと同じ。

要するに真空には位置エネルギー(復元力)を担うコンデンサも運動エネルギーを担うコイルであるインダクタ(慣性-質量)
も実在しない、あるのは数式だけというのが現代科学のパラダイム。

295 :◆GOVXYB0Zc. :2024/06/21(金) 11:04:43.00 ID:???.net
結局前世紀初頭にマッチングアプリ、すなわちエーテルのプロフィールに粒々の集団、さらに結婚指輪が
ローレンツ変換ならば、エーテル説は量子論と結びつく可能性があった、
すなわち未だ見ぬ媒質の量子論(Quantum medium Theory)の存在だ。
ところが量子論は慣性系というこの世界には厳密に存在しない極めて限定的な理論である特殊相対論をパートナーに選んだ。
結局物理学は近接作用を担うべき媒質、すなわちメディア(記憶媒体)を捨てたのだから、量子力学であれ場であれ
遠隔作用のオンパレードなのは当たり前ということになる。

296 :◆GOVXYB0Zc. :2024/06/21(金) 11:07:49.99 ID:???.net
>ならば一つの命題が存在する。
>すなわちAIは生命系と非生命系のどちら側のロジックに収斂するのか?というものだ。

よくコンピュータの電源を抜くとただの箱というが、ChatGPTにとって記憶媒体は命の綱であることは明白な事実である。
ならばAIは生命系と非生命系のどちら側のロジックに収斂するのか?という命題にはすでに答えがでている。
すなわち人間の頭の中には脳という記憶媒体があるだろ?
しかし非生命系である物理学は宇宙空間からオブジェクトである記憶媒体、すなわち実在というものを否定した。
しかしそもそも記憶媒体という情報ツールもないのに情報のへったくれもないということだ。

297 :ご冗談でしょう?名無しさん:2024/07/22(月) 21:12:20.67 ID:DWpjDTWd.net
タンパク質は、一次構造から三次構造へと折り畳まれることで機能を獲得します。

タンパク質のフォールディング過程をシミュレーションする手法をいくつか挙げ、それぞれのメリットとデメリットを比較しなさい。

298 :ご冗談でしょう?名無しさん:2024/07/23(火) 22:00:31.73 ID:uz8iGRdW.net
宇宙って生命系なんけ?

299 :ご冗談でしょう?名無しさん:2024/07/27(土) 12:22:55.71 ID:8lvlFOlt.net
>>298
生命とは何か、という定義自体が科学的に完全には確立されていません。

300 :ご冗談でしょう?名無しさん:2024/08/03(土) 18:17:31.73 ID:???.net
鉄道模型はやめなさいお婆ちゃん濁点小さすぎて見えないんだよ

301 :ご冗談でしょう?名無しさん:2024/08/03(土) 18:59:40.59 ID:???.net
下げてるな
やっぱニューハーフで

302 ::2024/08/06(火) 09:37:28.82 ID:???.net
>>298
前スレから引用
>この宇宙に存在するものは全て生命系か非生命系かで説明できる。

宇宙そのものは?
生命系?非生命系?

このスレの主旨からして当然生命系だろうね。
俺は特定の宗教的信条をもっていないが、あえて言えば原始的と言われているアニミズムかな。
スローガン的にはアトミズムからアニミズムへと言ったところか。
人間に生命の息吹きを吹き込んでいるのが水や空気であるように、
宇宙の営みは光子エーテルにより突き動かされている。
神は細部に宿るってやつだ。
と言っても俺はより根源的なモノを実体的、メカニカルなモノに還元してるのだから、
その意味では俺は唯物論者だ。

303 ::2024/08/06(火) 09:50:30.01 ID:???.net
ミクロ系の特性に重ね合わせがある、もっとも重ね合わせ自体はミクロ系、マクロ系を問わず普遍的なものだが、
何分ミクロの世界の話である、マクロの世界と同じでは量子力学者のプライドが許さない、
実際両者が同じならば例えば従来のコンピュータに対する量子コンピュータの超越性はありえないことになる。

304 ::2024/08/06(火) 09:54:56.52 ID:???.net
さて北半球の住人は地球の自転を反時計回りとしてその主張を譲らない。
さらに南半球の住人はいやいや地球の自転は時計回りとしてその主張を譲らない。
そして両者の主張は互いに全財産を賭けても決して失うことのないほどに確かなものである。
つまりマクロ系においては地球であれコマであれフィギュアスケートにおけるスピンであれ何であれ、
全ての回転するものは右回りと左回りが重ね合さっている。
つまり上からの目線で右回転ならば下からの目線では左回転であり逆も同様である。
ようするに右回転、左回転という排他的二値はあくまでも全体に対する部分系であるということだ。
そしてそれが大きさと構造をもった、そして我々が通常実在すると認識しているモノの姿である。

305 ::2024/08/06(火) 09:57:51.56 ID:???.net
ちなみにミクロ系の住人である電子は自転、すなわちスピンという属性をもっているとされている。
(もっとも数学的な点とされている電子や光子に回転という概念はない)。
いずれにせよそれゆえ電子は地球が磁石であるように磁性を獲得している。
さらに回転には対称性により必然的に左右の回転が許される。
もちろんこの場合マクロの描像は使えない、つまりそれが左回転ならばどっから見ても左回転↑、
さらにそれが右回転ならばどっから見ても右回転↓、すなわち全体系、いわゆる純粋状態。
つまりマクロにおいて重ね合わさっているのはあくまでも全体系における部分系同士、(半死半生)
それに対しミクロにおいて重ね合わさっているのは全体系同士、(全死全生)

306 ::2024/08/06(火) 10:01:04.97 ID:???.net
棒磁石のN極とS極という名称は磁石である方位磁針においてそれぞれ北(ノース)の方向と南(サウス)の方向
を指し示すからである。
つまり地球の磁場は地球が自転しているからだと説明されるが大きさをもつ球体である地球には
北半球と南半球が定義される。
しかし数学的な点とされる電子に全体に対する部分などという概念はない。

307 ::2024/08/06(火) 10:03:50.86 ID:???.net
いずれにせよ数学的な点とされる電子に回転という能力はないにもかかわらず電子はスピンという属性を
もっている。
ゆえに当然対称性により左右の回転が定義される、そしてそれぞれの回転の向きを↑↓で表す。
↑N(上向きアップ)
○S(右回り)

●S(下向きダウン)
↓N(左回り)

308 ::2024/08/06(火) 10:06:43.67 ID:???.net
つまり量子論では↑上向きスピンと↓下向きスピンが重なり合っていて(シュレ猫状態)、それが観測
という行為によりどちらか一方がぱっと消えてどちらか一方に収縮すると主張している。
つまりこれがいわゆる量子ビット、ようするに1か0でなく1であり同時に0でもあるというもの。
ようするに1であれ0であれ全体系。

309 ::2024/08/06(火) 10:09:34.61 ID:???.net
ちなみにそれが地球であれば重なり合っている排他的二値は北半球、南半球という部分系である。
↑S(左回り)

↓N(右回り)

↑N(右回り)

↓S(左回り)
そしてこれを複素共役という。

310 ::2024/08/06(火) 12:47:21.71 ID:???.net
量子力学にはいわゆる観測問題が存在する。
すなわち観測によるその重なり合いの解消のメカニズムだ。

さて我々が日常目にするコインは表面と裏面が背中合わせに張り付いている。
その状況はまさに半死半生の猫、あるいは北半球、南半球と同様に半分表であり半分裏である。
そしてコイントスを行うと50%の確率でどちらかの面の収束する。
この場合いわゆる波動関数の収縮の解釈はそれぞれの面(解)は表と裏に分離したとすればよい。
すなわち上を向いた面を実、下を向いた面を虚とすればよいのだ。
なぜ上が実で下が虚なのかいうと、それは何かを決める場合、上を向いたデザインを指定した者に
決定権があると我々は約束しているからだ。

結局我々が普段目にするコインは見慣れているという意味では古典的であるが、実際には古典的でない。
つまり私に言わせるなら一枚のコインは2面で一つ、すなわち複素平面であったということだ。
要するに一枚のコインが排他的な2面性をもっていたとしても、そしてゆえに2つの事象が出現する可能性が
あったとしても、あくまでも一枚のコインであることに変わりはないということだ。

311 ::2024/08/06(火) 12:51:07.02 ID:???.net
さて我々が普段見慣れているコインを古典コインとすると、では量子コインとは何か?ということになるが、
それはシュレ猫は全死全生なのだから全表全裏の奇妙なコインということになる。
すなわち空中に漂っているコインは全表と全裏の2つのコインが併存し、そして手に握った瞬間例えば
全表のコインを見ることになる。すなわち2つの解が1つに収縮する、すなわち2→1
これがいわゆるコペンハーゲン解釈である。
この場合2つのコインが実在していたとするともう一方のコインを消し去る恣意的なメカニズムがいる。
ゆえにコペンハーゲン解釈は非実在論な世界観である。

312 ::2024/08/06(火) 12:55:02.64 ID:???.net
コペンハーゲン解釈に対し、全表のコインを観測したなら全裏のコインを観測するもう一つの平行世界が存在する。
すなわち2→1∔1
これがいわゆる多世界解釈である。
この場合波動関数の解毎に世界は存在するのだから必ずしも非実在論な世界観ではない。
いずれにせよどちらの解釈も、ミクロの世界には全死全生の猫が生息しているという前提なのだから、
その奇妙さはどっちにしても負けず劣らずだ。

ちなみに我々が見慣れている古典コインは、コイントスの前後においてもあくまでも一枚のコインだ。
すなわち1→1
つまり一枚のコインは半分表であり半分裏であるのだから波動関数の解は表と裏、すなわち実と虚。
すなわち上を向いた面が実であり下を向いた面が虚。
なぜ上を向いた面が実でその反対側は虚なのかというと、それは上を向いたデザインを予測した者に
決定権があり、その思惑により世界は動くからだ。

結局虚数であれ複素数であれ、実在を記述するための数学であると言える。
それ以外の何のためにあると思ってんだ?

313 ::2024/08/06(火) 12:57:40.44 ID:???.net
コイントスをサイコロ投げに置き換えてもその状況は同じだ。
すなわち実在するコインが表と裏、すなわち二面性という構造をもっているように
サイコロも六面体という構造をもっている。
そしてそれぞれの面に1から6の数字を割り振っている。
ゆえにそれぞれの面及び数字は全体系である一個のサイコロの部分系である。
そしてそれぞれの面を波動関数の解とすると、波動関数の収縮とはサイコロを振ってどの面が上を向くか
という過程、結果に過ぎないことになる。

転がるサイコロのそれぞれの数字は実と虚の間を絶えず揺らいでいる。
そしてサイコロが動きを止めた瞬間、波動関数は収縮し、実と虚に分離する。
すなわち上を向いた面が実であり、そうでない面は虚であるということだ。
要するに上を向いた面の数字を言い当てた者に物事の決定権があるのであり、もし金を賭けていたなら
報酬、すなわち富を得ることになり、数字を外した者は財産を失う、
もし外した者が、自分が予測した数字は真下に隠れている、側面に見えていると主張しても無駄だ、
ただの悪あがきに過ぎない。

314 ::2024/08/06(火) 13:00:06.04 ID:???.net
我々が普段見慣れているサイコロを古典サイコロとすると、量子力学における状態ベクトルは全体系同士の
重ね合わせなのだから量子サイコロは全1、全2、全3、全4、全5、全6の目をもったものが一つに
収まっているという奇妙なサイコロである。
そしてその摩訶不思議なサイコロを振ると例えば1の目、すなわちどっから見ても全1のサイコロに収束する。
これが量子サイコロにおける波動関数の収縮である。
つまり量子サイコロを振る前には6個の全体系が重なり合っていたはずなのに一つに収束した。
すなわち6→1
これがコペンハーゲン解釈である。
当然、他の5個はどこに行った?という疑問が湧くが、それには答えない、ただ確率のなせる業としか言いようがない。

コペンハーゲン解釈に対し、全1のサイコロを観測したなら全2のサイコロを観測する別の平行世界が存在する、
さらに全3を観測する別の平行世界、さらに・・・
すなわち6→1+1+1+1+1+1
これが多世界解釈である。

315 ::2024/08/06(火) 13:04:23.65 ID:???.net
コペンハーゲン解釈にしろ多世界解釈にしろ奇妙なコインやサイコロを要求するが、それはあくまでも
ミクロの世界にはこの世とあの世の2つの世界を往き来する全死全生の猫、すなわちシュレディンガーの猫
が生息しているという前提があるからである。
もちろんその前提が崩れたならば、ミクロの世界を記述する量子力学は書き換えられることになる。

316 ::2024/08/06(火) 13:24:09.21 ID:???.net
排他的二値の重ね合わせとその解消を理解したければ、そしてそれがミクロ系である量子の世界と
マクロ系、すなわち生命系である我々の目にする現実世界の違いを理解したければ現在行われている
オリンピックを参考にすればいいであろう。

317 ::2024/08/06(火) 13:27:09.26 ID:???.net
つまりスポーツにおいては個人であれ団体であれひいきのチームと相手チームのベクトルが重なり合っている。
つまり競技場はまさに得点を得たり失ったりの生成消滅のフィールドに他ならない。
でこの場合AチームとBチームが対戦している場面に対する量子論の描像は
フィールドには歓喜の雄たけびをあげるであろうAチームと歓喜の雄たけびをあげるであろうBチーム
が重なり合っている、そして審判がゲームセットと言った瞬間その重なりは解消される。
すなわちもしフィールドに歓喜の雄たけびをあげるAチームの選手がいるならばそこにBチームの選手はいない。
つまりこれがコペンハーゲン解釈。
それに対し確かにフィールドにBチームの選手の影も形もないが歓喜の雄たけびをあげるBチームの選手がいる
平行世界が存在するというのがいわゆる多世界解釈。

318 ::2024/08/06(火) 13:30:50.79 ID:???.net
では我々が目にする現実世界はどうなのかというと歓喜の雄たけびをあげる勝者であるAチームの選手がいるならば
その傍らには屈辱に打ちひしがれる敗者であるBチームの選手がいる、
さらに勝った勝ったと興奮冷めやらないAチームのサポーターがいればシーンと静まり返り声も出ないお通夜状態の
Bチームのサポーターがいる。
でAチームとBチームの立場が入れ替わった事象が複素共役。
つまりこの場合勝者が実で敗者が虚。
すなわち夢を叶えたがゆえに実、対して夢が指の間からすり抜けてつかみ損ねて虚しさがだけが漂うがゆえに虚、
その意味では虚数というネーミングは言い得て妙、秀逸、
ちなみに敗者に贈る慰めの言葉がある、すなわち「この屈辱をバネにしろ」だ。
もちろんバネは数学的には虚数項に対応していることはこのスレに書いてある。
いずれにせよこの感覚が分からなければ物理をやるセンスはないのだから物理はあきらめた方がいい。

319 ::2024/08/06(火) 13:35:12.67 ID:???.net
ついでに言うと無観客試合、すなわち観客席に観客はいない、テレビを視ている視聴者はいないというシュールな世界、
それが20世紀が生んだ2大理論と言われている特殊相対論及び量子論だ。
そもそも虚数は量子力学の代名詞というイメージだが不思議なのは相対論はもちろんのこと量子力学に
インピーダンスという用語が出てこないということだ。
それに対して工学の世界では電磁波インピーダンス、光学インピーダンス、音響インピーダンス、機械インピーダンス、
とインピーダンスを使わなければ夜も日も明けない。
もちろんその理由は明らかだ、すなわち虚数とは加速と減速の最小単位なのだから、そして慣性系を絶対視し、
運動量表示の特殊相対論及び量子力学に虚数は猫に小判、豚に真珠だからだ。

320 ::2024/08/07(水) 11:20:38.56 ID:???.net
シルエット錯視 ウィキペディア
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/21/Spinning_Dancer.gif

この映像は確かに左右の回転は重なり合っていて、どちらかに収縮するのは観測者依存であり客観性はない。
電子のスピンの重なりもこれと同じと考えてもいいのかな?
ちなみにこのシルエット映像はもちろん実在の回転でない。
そもそもシルエットには表裏の情報がない、つまりそもそも奥行きがない。
つまりそれが実在の回転ならば、例えば右足と左足が交差した場合裏表が定義できる。
それゆえ我々は回転の向きを認識できる、ゆえに例えばフィギュアスケートの選手が左に何回転したと
解説者が言ったとしても、誰も文句は言わない、そしてそれを客観性という。

321 ::2024/08/11(日) 19:13:07.75 ID:UvnSlPum.net
インピーダンスとはインピード、すなわちスポーツにおいてのオブストラクション、すなわち邪魔をする、
進路を妨害する、相手の攻撃を遅らせるという意味の類語だ。
つまり抵抗、すなわちレジストの名詞形がレジスタンスであるようにインピードの名詞形がインピーダンス。
つまり回路における主に直流に対する抵抗を交流を含めたより一般化したのがインピーダンス。

ようするに静止と等速直線を標榜する慣性系とは無縁の世界。

322 ::2024/08/11(日) 19:22:57.37 ID:???.net
直流による抵抗は車のブレーキ、すなわち摩擦により熱となって空気中に散逸するイメージだがインピーダンスは
EV車の回生ブレーキに近い、すなわち運動エネルギーが位置エネルギーに変換され、すなわちバッテリーに戻る。
そもそも波動方程式は位置エネルギーと運動エネルギーの交換、すなわち両者の間を往ったり来たりと無限ループ
するものだが実在する空間においては摩擦や抵抗により減衰する、つまり波動方程式に減衰項を付与したのが
いわゆるクライン-ゴルドン方程式、KG方程式を特殊相対論により導かれたと思っているとしたら情弱。

323 :ご冗談でしょう?名無しさん:2024/08/12(月) 08:29:05.44 ID:???.net
物理用語を並べて意味がありそうでデタラメな作文を作るだけなら馬鹿や人工無能でもできる。

324 ::2024/08/12(月) 09:49:24.76 ID:???.net
>>323
>>138
>大気の循環はねじれてなんかいないし、三次元空間の中で連続体として記述可能。クラインの壺もメビウスの輪も全く関係ない。
お前に言われてもな~

325 ::2024/08/19(月) 10:30:38.69 ID:???.net
言うまでもないことだが地球の大気の振る舞いは非平衡系である。
よく平衡系の説明として部屋(箱)を仕切り板で隔て、一方を高い圧力そして一方を低い圧力の空気を入れる。
そして仕切り板を取り除くとやがて部屋の圧力は一定になるというものだ。
つまり色に置き換えると白と黒を混ぜ合わせると一様にどこもかしこもグレーになるというイメージ。
そしてその状況は圧力の高低を熱の高低に置き換えても同じだ。

326 ::2024/08/19(月) 10:34:16.73 ID:???.net
ところが地球上の大気、すなわち高気圧と低気圧はあたかも水と油のように交じり合わない。
もし交じり合うならばおよそ天気図のようにあのようなくっきりとした模様にはならない。
さらに日本列島にやって来る低気圧である台風は高気圧とぶつかると急激に勢力を落とし消失することになる。
しかしそのような事実はない、実際台風は高気圧にブロックされ、高気圧を避けて北上する。
ではなぜ高気圧と低気圧は交じり合わないかというと両者はベクトルの向きが反対だからである。
つまり高気圧は下降気流であり北半球では時計回り、対して低気圧は上昇気流であり反時計回り、
ゆえに両者を交じり合わせるにはその反対向きのベクトルを超える力を加えなければならないからだ。

327 ::2024/08/19(月) 10:42:29.12 ID:???.net
もっとも両者は交じり合わないといっても高気圧は湧き出しであり低気圧は吸い込みなのだから両者は
連結していてその意味では連続である、しかし交じり合う境界では高気圧と低気圧は入れ替わるのだから
(回転の向きも反転する)その意味では不連続である。
つまり上空から降りてくる高気圧は地上でバウンドして高気圧のまま上空に帰るわけではない、すなわち
高気圧は低気圧として上空に戻る。
つまり高気圧は下降専用、そして低気圧は上昇専用のエレベーター。
そしてそれは位相幾何学(トポロジー)におけるメビウスの帯(クラインの壺)と同相である。
つまりメビウスの帯の表面をなぞるといつの間にか裏面をなぞっていて、さらに長い道程を進むとやがて
スタート地点に戻る。
そしてそれは最初高気圧であったものがいつの間にか低気圧になっていてさらに高気圧に戻るのと同じだ。
すなわちねじれた円環構造。

328 ::2024/08/19(月) 10:46:11.30 ID:???.net
高気圧と低気圧が水と油のようにバリアを張って混じり合わないように暖気団と寒気団も混じり合わない。
すなわち寒気が暖気にぶつかると重く冷たい空気は暖気の下に潜り込みながら進む、そしてそれが寒冷前線、
つまりその境界すなわち前線面に低気圧が発生し雨になる。
逆に暖気が寒気にぶつかると軽く暖かい空気が寒気にせり上がりながら進む、そしてそれが温暖前線、
いずれにせよ暖かい空気と冷たい空気、すなわち温度は平衡系のように一様にはならない。
もっとも地球は常に太陽の光エネルギーを浴び続けている、すなわち孤立系でないといえばそれまでだが。

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