相談者?さんが帰ってこない間に、コソーリ昔話投下。
元夫は若い頃近所の憧れのお兄さんだった。
お恥ずかしながら、私も「かっこいいよねー」と言い合っていたクチだ。
ひょんなことで縁談が持ち込まれた時、結婚したら同居の条件を承知で結婚した。
若かった。いや、もういい歳だったが精神的に若かった。
自分が一生懸命に努力をすれば、周囲の人間は認めてくれると信じていた。
まさか意図的に人を貶めたり嘘をついてまでも人を悪者にする人間が、こんな身近にいるとは思っていなかった。
結婚式を済ませたその時から、温厚で優しかった義両親は手のひらを返した。
食事をけなされる、残されるは当たり前。よく流しにそのまま捨てられた。
掃除・洗濯すべて私の仕事で、ちょっとでも埃に気がつくとドナり声で私を呼ぶ。
近くに嫁いだコトメは子連れで入り浸る。
自分が尽くせば尽くすほど、それに感謝するどころかいい気になって増長する人間がいるということを始めて目の当たりにした。
一年たらずで7キロ痩せた。
それでも耐えた。旦那が好きだったから。
惚れた弱みだと自分でも思った。
だが、義実家どころか最愛の夫までが私を裏切っていたことがわかるまで、そう長くはかからなかった。
お定まりの浮気。
唖然としたが、これで「夫の有責で離婚できるなー」と思ったことを覚えている。
自分の中で何かが変わったんだろう、喧嘩上等の気分で反撃を開始。
言い返す・ウトメの言うことアーアーキコエナイ程度のものだったけどうろたえる義実家。
嫁のくせに! と言われた時に 嫁やめましょうか?? と笑顔で返した、あの時のウトメ・コトメ・そして遠巻きに見守る夫の顔も忘れられない。
こっちが離婚上等で覚悟を決めると、義実家は弱いもんなんだなーと思った。
厭味バトル合戦のような生活に馴染み、だんだんと居心地も良くなってきた。
不思議なもので、こちらが診断書を取る覚悟ができてドナり声や威嚇に怯えなくなると、その手の脅しも減っていった。
万が一に備えて離婚への準備は続けていたが、ひょっとしてこのままいい関係が作れるかと思っていた矢先、法事で姻戚一同が集まっていた中で旦那がぬかした。
「お前らも30過ぎの行き遅れを狙え。すぐ飛びついてくるぞ」
お察しの通り私の嫁ぎ先は田舎で、40毒なんて珍しくもない地域。
夫の一族もお30代・40代の男の半分は毒だったし、50代毒もいた。
自分が40毒にならず(ぎりぎりだったけど)嫁をもらった優越感をひけらかしたかったんだろう。
「あっちの方は買うなり何なりできるだろう、嫁もらうなら辛抱が肝心だ」
「まっ、たまにはやって や ら な い と いかんが、その時にゃ電気を消せ」
下卑た笑い声が湧き上がって、大広間に響いた。
「座布団かぶせんじゃねーのか」
合いの手が入った。広間の他の場所は、静まり返っていた。今でも覚えている。
血の気が引くのがわかった。そして次の瞬間頭に血が昇るのがわかった。
般若の顔で(姻族曰く)手に持っていた盆を夫に渡し、そのまま法事の行われていた本家を一人で後にした。
この時夫が追いかけていてくれたら、また違った展開があったのかもしれない。でも夫は来なかった。
すぐに追えという姻族一同(毒男連中除く)の声を、毒男連中への見栄のために無視したという。馬鹿だ。
家に帰って、あらかじめ詰めてあったダンボール3箱分の荷物の他、衣類や思いつくものを黒いゴミ袋に投げ込んで、自分の軽自動車に積み込んだ。
最悪車の中での野宿も覚悟していたが、駅前のビジネスホテルにチェックインして荷物はコインロッカーに押し込んだ。
翌日あたりをつけていた物件を押さえ、これも以前に無料法律損談でお世話になった弁護士さんに電話をした。
離婚の交渉に入ると、義家族よりも夫の方が強行だった。
お前が神経質だ、あんな事でいちいち怒るな、身内をけなすのも照れのうちだ。
俺の親はお前の親だ。そんなに俺の親が嫌いか。悪気はないんだ。
浮気は男の甲斐性だ、お前は女房なんだからどっしり構えていればいいんだ、等等。
これを聞きながら、もう駄目だと思った。
この男と一生いるくらいなら、女一人で惨めに生きる(夫と義実家曰く)方がましだと離婚の決心が強まった。
こっちの覚悟が強いと分かると、今度は泣き落としにかかってきた。
でも、愛想を尽かした相手からの泣き落としなど、気持ちが悪いだけだった。
この前言った強気のセリフはどうした。今そんなことを言っていても、またすぐに前言撤回するんだろうと言ったら、びっくりしたようにこっちを見ていた。
自分の哀願が拒否されるなんて、考えてもいなかったんだろう。
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