二宮金次郎像、学校から次々撤去。ながら歩きは危険などの理由
小学校に飾られていた二宮金次郎像の行方が話題となっている。
勤勉の精神を伝えるために、薪を背負いながら歩いて本を読む二宮金次郎の銅像は、勉学の象徴として多くの学校で採用されてきた。
だが、勤勉の精神が時代にあっていないという意見や、そもそも、「ながら歩き」は危険だという批判などが寄せられていた。
そのため、今、 各地で二宮金次郎像が撤去されている。その行方は、神社へ奉納されたケースもあるし、居酒屋に贈られたケースなどもある。
二宮金次郎は、幕末の農民。とても貧しかったが、苦労を重ねながらも学問をおさめ、成功を果たした。農民から努力して武士へと身分を上昇させ、明治の時代になった時は農地改革を行った。朝から晩まで一生懸命働き、仕事があるため家では勉強させてもらえなかった。そこで、銅像にあるように、薪を背負って歩く途中に本を読んでいたのだ。
二宮金次郎は、ナスが好きだったと言われる。ある年に、ナスの味がおかしいような気がすると気がついた二宮金次郎は、飢饉がやってくるのではないだろうかと予測した。そして、周囲には、天候不順に強い作物を植えるように推奨した。飢饉は実際にやってきたが、その地方では餓死者がでることなく、無事に悪天候を乗り切ることができたのだ。
二宮金次郎が独学で学んだのは、論語や、中庸などの書物。荒廃した土地の復興に見事に成功し、農地改革を行って農村の生産性を高めた。また、倹約や富のわかち合いも推奨しており、徳を高める行為を推奨したのだ。明治の時代になると、政府が彼に注目し、農民の勤勉と倹約を重んじて、農村を復興させた人物として知られるようになる。
明治の時代にはすでに、彼は優れた人物として描かれており、親の手を助け兄弟協力しあって孝行するお手本として広く宣伝された。昭和のはじめごろになると、日本政府は彼の姿勢を参考に国民を高揚させるため、銅像にして全国に建てるようになった。戦後は戦争の反省もあって銅像は撤去されたが、勤勉さの部分と業績そのものを推奨する姿として、再び銅像が広まったのだ。
/マイナビスチューデント 2016年3月4日/
大津市立下阪本小では昨夏、玄関前の像が倒れ、撤去した。地元自治連合会が復元を申し出たが、学校側と協議して復元するものの校長室への“隠居”が決まった。
教諭の一人は「努力を尊ぶ姿勢は受け継ぎたいが、子どもが働く姿を勧めることはできない」と話す。昨年12月の復元像の除幕式では、卒業生のお年寄りから「子どもたちの前から消えるのは寂しい」と惜しむ声が漏れた。
また、長等小では職員室前の戸棚に頭部だけが置かれている。壊れた理由は不明で、補修の予定はないという。
市教委の調べでは、かつて多くの市立小にあったはずの像も、37校のうち現在残るのは9校。銅像は戦時に供出され、残った石像も70年代のベビーブームに伴う校舎の建て替えで大半が撤去されたらしい。
担当者は「戦時教育の名残という指摘や『歩いて本を読むのは危険』という保護者の声もあり、補修に公費を充てるのは難しい」と話す。
/毎日新聞/
以下、2chの反応
イイハナシダナー
まじで…
金次郎の時代は自動車に跳ねられる心配なかったけど今は危ないからな
歩きスマホの元祖みたいなものだからな
神社はともかく居酒屋に左遷は気の毒だな
居酒屋はどういうつもりで像を引き取ったんだろう
いつの間にか狂った国になったなw
クソみたいな時代だな
世知辛い世の中だな
日本てこんな国だっけ? どうした?
子供が真似するから止めてってよく聞くクレームだな
車のほうを撤去すべき
※金次郎は特殊な訓練を受けています 真似をしてはいけません
もともと過大評価だしなこの人 大した実績もないし
>>6
一国一城をどうした人ではないが偉人には違いないだろ 在野の偉人としては中々だと思うぞ
実績あるわ!!
なにした人なのか調べてみたが思ったよりショボいな
小田原時代
子供の頃、わらじを編んで金を稼ぎ、父のために酒を買った。
両親の死後、叔父の家にて暮らしていた頃、寝る間も惜しんで読書をした。油代がもったいないと叔父に指摘されると、荒地に菜種をまいて収穫した種を菜種油と交換し、それを燃やして勉学を続けた。
荒地を耕して田植え後の田に捨てられている余った稲を集めて植えて、米を収穫した。一斗枡を改良し、藩内で統一規格化させた。役人が不正な枡を使って量をごまかし、差分を横領していたのをこれで防いだ。 倹約を奨励し、かまど番から余った薪を金を払って買い戻した。
桜町時代
ナスを食べたところ、夏前なのに秋茄子の味がしたことから冷夏となることを予測。村人に冷害に強いヒエを植えさせた。二宮の予言どおり冷夏で凶作(天保の大飢饉)となったが、桜町では餓死者が出なかった。
早起きを奨励した。
開墾した田畑は、既存の田畑に比べると租税負担が軽くなることに注目、開墾を奨励した。
村人らに反感を持たれ、復興事業が上手く行かなくなると、突然行方不明になった。間もなく成田山で断食修業していることが判明。修業を終えて戻ると村人らの反感もなくなっていた。
村人の仕事ぶりを見て回り、木の根しか撤去できない、周りの村人から馬鹿にされていた老人に15両もの褒美を与え、逆に、人が見ている時だけ他の村人より3倍近く働いているように見せかけて普段はサボっている若者を厳しく叱った。
電車の吊革持って勉学に勤しむ金次郎像にすれば良い
デフォルト→ながら歩きは良くない
薪背負って座る→サボり
薪背負わず座る→何してるか分からない
という流れで幾つも試作作られた例は実際にあったらしい 爆笑問題の漫才ネタか何かで太田が言ってた
近くの小学校には今でもある 銅像じゃなくて石像だが
よく考えたら生で二宮像見た事ない どこの学校もオリジナルの記念像みたいなのが立ってた
ながら歩きまでしながら本を読む気がが触れた所が良かったのにな
時代背景教える教師もいないのか?
>>22
過去はともかくいま手本としては使えんって話だろ
歩きながら本を読むのは良いがスマホはいけないという理由付けが出来ないから
>>43
個人の責任だろ
なんでも世の中のせいにすんなカス
歩いてるんじゃなくて労働してるんだけどな 本を読んでるんじゃなくて勉学にいそしんでるのな
時代状況の違いとか考えさせない教育するほうがバカだろ
時代状況の違いをちゃんと判断できるように育てるために 二宮金次郎像をきちんと置いて質問されたら先生はちゃんと 答えればよし
>>95
先生「こら!ケータイ操作しながら歩いちゃいかん!」
ガキ「えーだってあの銅像もやってるじゃーん」
先生「時代が違うんだ時代が!」
めんどくさいだけだと思う
>>101
そういうバカガキどもを生まないために必要だw
>>101
そういうバカガキは分かってても自分の都合のために言ってるからな
クレーマーなんか無視していいのに コイツら面白がってるだけなんだから
どうでもいいことに難癖つけて得意になってる人ばかり
こうやってクレーマーの望み叶うとまたやるのがクレーマー つまり日本社会がクレーマーを増長させてる
それお前らじゃん
俺らは正当な批判をしてるだけなだが?こんなのと一緒にしてほしくないんだがw
この2chスレまとめへの反応
日本的価値観が憎くてしょうがない一部の方々がちょっと喚くだけで大騒ぎして撤去かよ
サヨクが嫌いな明治天皇と昭和天皇に関係してるからだよ
地元の学校の二宮尊徳の像が建った経緯を調べてみるといい
昭和天皇即位や戦後天皇陛下が巡幸された記念に建てられたモノだから
教育の無償化が進む現代にはそぐわんのかもな。
それに地元はともかく、全国的に祀り上げるような人物でもないしな。
像は子供に教育を与える意味で建てるもの。ながらを推奨しているわけではなくその志と向上心を称賛して教えようという意図なわけだから、それを子供たちに教えるときに、ながらはいけないとあわせて教えればいいだけの話。教育する側が像を建てて自己満足、実際に教育を施す手間を惜しんで、責任回避みたいなことをしたあげくに、現実をねじまげて虚構の像をつくりあげるなどというのは現場教育の怠慢でしかない。
今まで間違った価値観を押し付けてすみませんだろ